杉本和行・公取委委員長インタビュー(下)
2019年11月26日
情報インフラのパラダイムシフトと同時に、戦後の国際政治や経済体制でも大きな変化が起きつつある。自由貿易主義をベースにした国際経済スキームをリードしてきた米国での、それを否定するかのようなトランプ大統領による一国主義の台頭だ。
独禁法(反競争法)は、必要とする国が作る国内法だ。ただ経済のグローバル化で規制対象は国際化し、それに合わせて規制ルールも国際化・国際標準化し、摘発事件も国をまたぐようになった。一国主義の台頭は、競争政策の前提を衝き崩すような事態ともみえる。
――公取委員長にうかがうのは筋違いかもしれませんが、可能な範囲で、最近の国際情勢についての見方をお聞かせください。競争政策の前提は、自由貿易体制だと思います。それを否定する動きが、競争政策の母国である米国で起きています。米中の貿易摩擦は経済戦争の観さえあります。この一国主義の台頭こそ、競争政策の最大の敵ではないでしょうか。
杉本氏: 個人的な感じ、感慨をいうと、戦後世界では、米ソ対立に象徴される資本主義対社会主義の争いがあった。結局、社会主義が敗れ、ソ連は崩壊した。より効率的な経済システムという点で、社会主義は資本主義に及ばなかったのが原因です。
資本主義というか、市場主義経済は、情報をみんなが分権的に持っていて、その情報がマーケットでクリアされてより効率的なシステムができ、経済発展していく。社会主義は、国家計画経済でいろいろやろうとしたが、マーケットでクリアされるような情報がなかった。だから、うまくいかなかった。
ところがデジタル化社会になると、国家が情報を独占することが可能になり、効率的な経済システムがワークすることになりかねない事態になった。国家独裁体制のもとでも、デジタル経済はうまく回っていくかもしれない、という可能性が出てきたわけです。
そこが、米国が中国に対して一番危機感を持っているところではないか。中央集権的なシステムによるデジタル・エコノミーになると、(市場経済体制)より効率的なシステムができ、民主主義によるコストもかからない。何でも命令的にできるようになる。
例えば、自動運転の実験。自由経済国で実施しようとすると、いろいろな制約があるが、中国では、政権がその気になれば、自由にできる。データは、中央集権独裁体制国家の方に集まりやすい。自由経済国は個人情報保護や技術規制など様々な制約があって簡単にはできない。
そこの価値観の対立が基本にあると考える。トランプ大統領は、中国に対し、貿易問題で富の不均衡を解決しようとしているようにみえるが、根本的なところはそこではない。ペンス副大統領が言っているように、体制間、価値観の争いになっていると思う。
ペンス米副大統領は18年10月4日、米国の保守系シンクタンク「ハドソン研究所」で行った演説で、中国による米国の知的財産権の侵害や米国の内政への干渉など経済問題に限らず、政治、軍事、人権問題まで多岐にわたって中国を公然と批判。トランプ政権の対中政策を体系立てて示す包括的な内容で、米中両大国が覇権を争う時代に入ったことを印象づけた。
――ペンス副大統領の宣言は、衝撃的でした。あれを読むと、中国の大手通信機器メーカー、ファーウェイに対する米国の厳しい姿勢も理解できます。
杉本氏: 我々が標榜している競争政策は、情報がマーケットでクリアされることが前提です。人々が自由、権利、情報をもって、マーケットでクリアされる世界。分権的、個人の権利を尊重した世界といってもいい。他方、独裁的独占的な世界でも国家が情報独占することで効率的な経済ができる。そこでの価値観の対立がある。
共産主義対資本主義のときは、自由主義資本主義・マーケット主義の方が体制的、制度的に優位にあったから勝った。それでソ連が崩壊した。そういうところの争いであった。デジタル時代になって、中国にデジタル技術が流出していく、いろんなところでデジタル技術をとられていくことに対する危機感がアメリカにはあるのだと思います。――中国にも独占禁止法はありますね。社会主義体制の中でも機能するのでしょうか。
杉本氏: 市場メカニズムを利用して、経済を効率化しながら社会主義を実行していくということなんでしょうね。
――一方で、欧米を中心とした自由主義陣営では、移民・難民排斥運動など排外主義的動きが目立っています。こちらについては、どうみていますか。
杉本氏: 現象面でいうと、結局、世界中で所得格差が大きくなっている。グローバライゼーションが、所得、富の偏在に繋がった。それに対する世の中の不満が、外国人労働者を排斥する動きに向かっている。そこをいろいろ考えないといけない、ということではないか。
――それに対して、競争政策で答えは見つかると思いますか。委員長は著書の中で「競争政策は、独占企業や企業集団が競争を妨げるような手段でレント(過剰利益)を蓄積することを防止する。これにより格差の拡大にも一定の歯止めを掛ける政策だ」と記しています。その話は新鮮でした。競争政策が、格差を解消する手段となるのなら、それはすばらしいことです。
杉本氏: 所得の偏在、格差が大きくなったことに対する政策のメーンプレーヤーは、社会保障政策と税制です。ただ、競争政策も貢献できると思っている。
所得格差の広がった原因は、テクノロジーの発展や、中国という低賃金国が参入して世界のレーバーマーケット(労働市場)がグローバル化したこともある。ただ、フランスの経済学者、トマ・ピケティは、「r(資本収益率)」が「g(経済成長率)」より大きくなってきた結果だといっている。
実際、米国では80年代までは所得格差が縮小する傾向にあったが、90年以降に拡大した。日本はそこまでではないが、米国では、トップ0.1%の人に約10%の富が集中する。明らかにものすごい格差です。
なぜ資本収益率が高くなってきたか。私は、米国経済で独占・寡占が進行し、企業のコンセントレーションが高まったのが背景にあるのではないかと考えている。そこではレントが積みあがる。積みあがると格差が大きくなる。IMFは今年の世界経済見通しで「企業のコンセントレーションが高まると、労働分配率が下がっていく」と指摘している。これは歴史的事実かもしれない。
そこでは独禁法も役に立てる。競争政策で所得再分配、富の偏在の是正の助けをしていくことは可能だと考えています。イノベーションがあれば、レントは発生する。レント自体は仕方がない。競争政策には、それが永続的、過大にならないようにしていくための役割がある。
最近の公取委の動きで注目されるのは、従来、労働法制との境界の谷間になり光が当たってこなかったフリーランス人材問題に対する積極的なアプローチだ。テレビ局などに「SMAP」の元メンバーを出演させないよう圧力をかけた疑いがあるとしてジャニーズ事務所を注意したのをはじめ、吉本興業が多くの芸人と契約書を交わしていないことを念頭に「競争政策上、問題だ」と指摘した。
いま、広義のフリーランス人口は1千万人を超えるとされる。著書『デジタル時代の競争政策』で杉本委員長は
かつて、人が自分の勤労を提供することは、独禁法が対象とする事業には当たらないとの解釈が行われてきたこともあって、公取委は働き方について独禁法を適用することには消極的であった。しかし、就労形態が多様化し、フリーランサーに代表されるように労働契約以外の契約形態によって役務提供を行っている労働者が増加(略)こうした者については独禁法上の事業者に当たるとも考えられる。(略)スポーツ選手や芸能人と言った職種もフリーランスと同様の個人として働く者の範疇に入る(略)こうした分野においても独禁法は適用される
としている。
――少子高齢化による労働人口減少から、政府は4月から外国人労働者に大きく門戸を開放する政策転換をしました。人材問題に対する競争政策からのアプローチはタイムリーです。公取委はこれまで働き方の問題については消極的な印象がありますが、最近になってフリーランスの労働者をきちんと守る方向性を打ちだしました。競争政策の大きな転換だと受け取りました。
杉本氏: 本来、労働市場も競争的であるべきだと思っています。労働市場の競争環境も必要です。使用者と労働者が関わる問題は、労働者の権利を守るため、労働法で規制しているが、労働法で規制できない周辺の世界が広がっている。まさに、デジタリゼーションの影響です。
ネットで単発の仕事を請け負う「ギグ・エコノミー」。本業以外に空いた時間で副業の形で仕事をする。クラウド・ソーシングで、ネットを通じて求人する。シェアリング・エコノミーもそう。自動車配車アプリのウーバーがその代表格です。労働法で規律できないような、個人として働いているが、労働関係がある、という世界が増えている。そこは労働法が未だ適応できていない世界。そこに独禁法が入っていってもいいのではないか、と考えています。
市場の自由と公正さの観点から、問題がないか、目を光らせるべきという問題意識です。そこで、自由な個人の働き方が現状で問題になっているのがスポーツ、芸能界。だから、そこにも目を向けている。世の中、どんどん変わっているということです。
杉本委員長は著書『デジタル時代の競争政策』の中で「人材と競争政策の分野においても、(独禁法の)優越的地位の濫用の適用が考えられる」と明記している。
杉本氏は、官界のトップに昇りつめたエリートだが、素顔は
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