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ブレグジットとラグビーから垣間見る「イギリス」

金子 涼一

ブレグジットとラグビーから垣間見る「イギリス」
 ~ 英国事務所出向を振り返って

 

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
金子 涼一

金子 涼一(かねこ・りょういち)
 2008年、東京大学法学部卒業。2010年、東京大学法科大学院修了。2011年、司法修習(64期)を経て、弁護士登録。2012年1月、アンダーソン・毛利・友常法律事務所に入所。2017年5月、米国University of California, Berkeley (LL.M.)修了。2018年まで英国(ロンドン)のSlaughter and May法律事務所勤務。18~19年、スペイン(マドリード)のUría Menéndez法律事務所で勤務。

 熱狂の44日間。南アフリカの優勝で幕を閉じたラグビーW杯日本大会であったが、開催国日本の快進撃も大会を盛り上げ、World Rugby会長は「最も偉大なW杯として記憶に残る」と称賛した。スタジアムに足を運んだ方も少なくないのではないだろうか。

1. はじめに

 筆者は、2016年8月から足掛け3年ほど、米国カリフォルニア州への留学と、英国(ロンドン)、スペイン(マドリード)の現地法律事務所への出向を経験し、出向中はクロスボーダーM&Aや競争法実務に携わった。米国留学時代はトランプ政権が誕生した大統領選挙を目の当たりにし、渡英時には英国のEU離脱(ブレグジット)からの当初の離脱日(2019年3月)が1年半に迫っていたこともあり、米国と欧州の政治・社会が大きなうねりに直面する時期に現地にいられたことで多くの学びを得ることができた。

2. 「紳士の国」英国のオフィス事情

 ロンドンでの出向先は英国でも歴史が長く伝統的な大規模法律事務所の一つであった。出向開始当初は、その雰囲気のためか、はたまたカリフォルニアでの1年間の学生生活を謳歌したためなのか、どことなく緊張したものである。事務所には筆者の他にも出向者がいたが、その中のフランス人弁護士が「この法律事務所では茶色の革靴はNGだと知っているか?」と聞いてきて冗談だと思ったが、よくよく周りを見ると誰一人として黒以外の革靴を履いている人がいない。
 後日、ロンドンの老舗の靴屋で訊いてみたところ、ロンドン金融街を中心とした「堅い」職業では昔、茶色の革靴をNGとするような慣習があったそうだ。もっとも、同じ事務所のブリュッセルのオフィス(欧州委員会があるため欧州の有力事務所は競争法担当のオフィスを置いている。)では8月~9月は「カジュアル・サマー」ということでみんな毎日スニーカーを履いていた(笑)。
 こんな風に書くと息の詰まるような雰囲気に聞こえるかもしれないが、仕事終わりにはオフィス近くのアソシエイト弁護士御用達のパブに同僚たちとよく集まったものだった。ロンドン市街には無数のパブがあり、晴れた日には(ランチタイムでも)店の前の路上にビールを飲む人が溢れかえっているのは珍しくない。

3. ラグビーでぶつかる「愛国心」

 ラグビーW杯の開催期間中は週末、東京の街に出ると昼間からビール片手にラグビー観戦をする人達がそこかしこにおり、ロンドンの街角のパブが思い出されて懐かしい気分になった。英国でのラグビー人気はサッカーに負けじと高く、代表の試合となると「愛国心」を前面に出して応援する。「イギリス」とひと括りにされることが多いが、英国はグレート・ブリテン島のイングランド、ウェールズ、スコットランドと北アイルランドから構成される連合国家である(「イギリス」という呼称の語源は、一説には「イングランドの」(English)を意味するポルトガル語(Ingles)やオランダ語(Engels)のようである。)。サッカーでもラグビーでもW杯にはアイルランドは勿論、イングランド、スコットランド、ウェールズも別々のチームとして出場している。国旗も国歌もそれぞれ持っているし、英語の訛りもそれぞれ独特である。スコットランドやウェールズでは道案内は英語と「現地語」であるWelsh(ウェールズ語)やScotts(スコットランド語)が併記されているが、アルファベットで書かれているものの(言葉が違うのだから当然だが)意味は皆目見当がつかない。伝統あるラグビーの6か国対抗戦(Six Nations)をロンドンの同僚たちとテレビ観戦する機会が(当然パブで)あったが、勝利したスコットランド出身のアソシエイト弁護士が対戦相手だったイングランド出身のパートナー弁護士に向けた勝ち誇った表情(とパートナー弁護士の大人げなくも悔しそうな表情)は印象的であった。今回のラグビーW杯でも、ウェールズ代表が事前キャンプを行った福岡北九州市では市役所職員が選手を歓迎するためにウェールズの国歌を練習していたことをBBCが報道し、反響を呼んだようである。また、日本代表は、開幕戦でロシアを破り、続く第2戦で当時世界ランキング2位のアイルランドに勝利し、世界を驚かせたが、その際、アイルランド代表を追い込む日本代表を力強く(?)応援するスコットランド人がいたそうである。納得である。

4. ブレグジット後はアイルランド弁護士に転身?

 英国滞在中、延期が度重なっているブレグジットは弁護士としても目が離せなかったが、英国がこのような連合国家であるが故の問題が浮き彫りになっていた。例えば、北アイルランドとアイルランド共和国の間に物理的な国境を暫定的に設けること(いわゆる「アイリッシュ・バックストップ」問題)が、北アイルランド紛争における独立派・英国残留派の対立を再燃させかねないという懸念から、与党保守党は英国とEUとの間の離脱協定案について閣外協力していた北アイルランドの民主統一党(DUP)の賛成を得られず、同案は英国議会で度々否決されることとなった。また、離脱協定が結ばれずに英国がEUを離脱した場合(いわゆる「合意なき離脱」)、スコットランドが英国離脱・EU残留の国民投票に進むのではないかという見方は依然くすぶっている。ブレグジットは2020年1月まで延期されたが、ブレグジット後に英国が連合国家としての一体性をいかに維持できるかも注目されている。

 そもそも、スコットランドは1770年頃にイングランド・ウェールズに統合されるまでは独立した王国であり、このような歴史的背景もあって、スコットランドはイングランド・ウェールズとは法体系も元々異なっている。いわゆる英国ソリシター(事務弁護士)というとイングランドとウェールズにおける法曹資格であり、スコットランドには独立した法曹資格がある。実際には、スコットランドの法制はイングランド・ウェールズと共通する点も多いが、例えば不動産法などは、同僚の英国ソリシターによればスコットランドは法制度が違いすぎてアドバイスできないそうである。一方、英国法曹界では、ブレグジットに際して、真剣にアイルランドへの法曹資格の転換を検討する英国弁護士もいたようである。これは、ブレグジット後にイングランド・ウェールズの法曹資格ではEU(特に欧州裁判所や競争法等の調査を行う欧州委員会)との関係で弁護士秘匿特権(いわゆるPrivilege)を主張できないのではないかという懸念が持ち上がったことが理由であった。

 ブレグジットに関しては、現地日本企業の中では特に大手金融機関を始めとして、大陸ヨーロッパに拠点・機能を移す動きがみられるなど、日本企業の関心も高かったことから、出向先法律事務所ではブレグジット後の日本企業の欧州・英国での企業活動への影響に関して、現地日本企業へのセミナーや情報発信にも携わる機会を得たのも貴重な経験であった。英国の法制は日本にとってはまだ馴染みが薄いところもあるが、ブレグジットにまつわる法体制の変革としては、例えば日本でも注目されたEU一般データ保護規則(GDPR)がブレグジット後の英国にどう適用されるかといった問題があった。また、2018年に耳目を集めた武田薬品工業によるシャイアーの買収は、英国法上の組織再編の手段である「スキーム・オブ・アレンジメント」(英国系法制があるオーストラリアや香港などでも同様の制度がある。)を採用したものであり、また、ブレグジット後を見据えて英国競争法当局がリソースの拡充を進めており、今後英国市場の競争に影響を与えうるクロスボーダーM&Aや国際カルテルへの独自調査に意欲を示している。日本企業によるアウトバウンド投資、欧州での事業活動に関連して、英国法制の重要度は今後高まっていく可能性も十分にあろう。

5. おわりに

 ブレグジットはまだまだ行く末が見えないものの、英国の伝統・文化、そして外からはなかなか見えなかった豊かな地域性は色褪せない魅力であるし、ブレグジット後に予想される混乱を踏まえても、欧州経済・金融の中心たるポジションは変わらないとの見方も根強い。ちょうどタイミング良くNetflixではエリザベス2世の半生を描くCrownの最新シーズンも始まったようなので、週末はジントニックとともに鑑賞しつつ英国をもっとよく知るための勉強とするのも悪くない。