2019年12月18日
西村あさひ法律事務所
横山兼太郎
「ADR」とは、「Alternative Dispute Resolution」、日本語にして「裁判外紛争解決手続」の略称であり、訴訟手続によらずに民事上の紛争の解決をしようとする当事者のため、公正な第三者が関与して、その解決を図る手続である。2007年に施行された「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律」(通称:ADR法)を根拠法とし、法務大臣の認証を受けた事業者(認証ADR機関)がその手続を実施することができる。このうち、事業再生に関する紛争を取り扱う事業者として経済産業大臣の認定を受け、「特定認証紛争解決事業者」となった者が、事業再生ADRを行うことができるものとされており、現在、我が国においては、一般社団法人事業再生実務家協会(Japanese Association of Turnaround Professionals。通称:JATP)のみが当該認定を受け、事業再生ADRを実施している。
過去には、日本アジア投資、アイフル、日本航空(後に会社更生へ移行)といった上場企業も利用し、また、近時では、曙ブレーキ工業のニュースが新聞紙面等を賑わせたことなどもあり、「事業再生ADR」という言葉自体を目にしたことがある読者は多いであろう。民事再生や会社更生といった「法的整理」とは異なり、事業再生ADRは、あくまで債務者企業が(主として)金融債権者との間の任意の話し合い(債務のリスケジュールや債務免除等)によってその事業の再生を目指す「私的整理」の一つである。
(1) 利用件数の推移
※ JATPより提供を受けた情報による。
申請年度(注1) | 申請件数 | 申請社数(注2) |
---|---|---|
2008年度 | 4件 | 7社 |
2009年度 | 17件 | 108社 |
2010年度 | 6件 | 11社 |
2011年度 | 7件 | 7社 |
2012年度 | 12件 | 28社 |
2013年度 | 4件 | 24社 |
2014年度 | 4件 | 4社 |
2015年度 | 3件 | 8社 |
2016年度 | 2件 | 6社 |
2017年度 | 5件 | 14社 |
2018年度 | 8件 | 22社 |
2019年度 (但し11月末時点まで) |
6件 | 11社 |
合計 | 78件 | 250社 |
JATPによれば、事業再生ADRの申請件数 は、制度が始まった2008年度から2019年11月末時点までで累計78件(申請社数にして250社)となっている。
2008年に発生したリーマンショック以降の全国的な景気減速の影響を受け、2009年度の申請件数は比較的大型の案件を中心に、17件(申請社数にして108社)と過去最も多く、以降3期にわたって申請件数が6件、7件、12件という状況にあった。もっとも、2013年度から2016年度辺りまではその利用が急激に落ち込み、毎年一桁台前半の申請に留まる状況となった。これは、いわゆる金融円滑化法終了後の金融機関による「暫定リスケ」(債務者企業が直ちに抜本的な経営改善計画を立てられない場合に、暫定的な期間(3年程度)に限って認められるリスケジュール)の影響による抜本的な再生案件の減少や、地域経済活性化支援機構という政府系機関による事業再生案件への取組み開始の影響など、複数の要素がその背景にあるものと思われる。もっとも、地域経済活性化支援機構における再生支援業務の取扱いの抑制の影響等もあってか、2017年度以降、利用件数は再度増加に転じており、2019年度は、4月から11月までの統計であるものの、当該8か月の間に既に6件の利用申請がなされているとのことである。特に、近年では、田淵電機、曙ブレーキ工業、文教堂グループホールディングスなど、上場会社による事業再生の取組みが新聞紙面等でも報じられるなど、事業再生ADRについては、企業再生・事業再生のツールとして改めて脚光を浴びる状況になりつつある。
(2) 申請企業の規模及び上場・非上場の別
JATPの統計によれば、2019年11月末までに利用申請がなされた全78件の申請社数250社のうち、上場企業は25社(全申請社数の10.0%)、非上場企業は225社(同90.0%)とのことである。
また、申請企業の金融債務額ベースで見ると、100億円超の企業が36社(約26.7%)であるのに対し、50億円超~100億円以下の企業が20社(約14.8%)、10億円超~50億円以下の企業が28社(約20.7%)、5億円超~10億円以下の企業が14社(約10.4%)、1億円超~5億円以下の企業が21社(約15.6%)、1億円以下の企業が16社(約11.9%)となっている(但し、当該金融債務額ベースの統計は、一部に連結合算で集計されているケースがあるため、上記の250社という全申請社数とは合計数値が異なる点に留意されたい)。
上場企業とともにグループ内の複数の非上場企業が事業再生ADRを同時に申請しているケースもあると思われるため、この当計数値から単純に結論を導けるものではないが、それをおいても、事業再生ADRは、上場企業のみが利用する手続ではなく、中規模・中堅以上の非上場企業の事業再生の取組みにおいても相応に利用されていることが推測されるところである(筆者も、過去に中堅の非上場企業の事業再生ADRを数件取り扱った経験がある)。前述したような、地域経済活性化支援機構における再生支援業務の取扱いが抑制されている現状等に照らすと、今後、事業再生ADRは、上場企業のみならず、地方企業の再生ツールとしても一層役割が増えることが期待されるところである。
(1) 「事前相談員」制度の導入
前述のとおり、これまでの利用実績を分析してみると、事業再生ADRは、上場企業のみならず、むしろ、中規模・中堅の非上場企業においても重要な事業再生のツールとして利用されており、また、今後も利用されていくことが期待されるところである。しかしながら、メディアによる報道が上場会社の案件に集中することも相俟ってか、事業再生ADRは、これまで「上場企業のような大企業のみが利用する(利用できる)手続」というイメージが世間に一定程度定着している感は否定できず、中規模・中堅企業が制度を利用して良いか(できるのか)否か判断しかねることも少なくない。
また、事業再生ADRは、案件の数でいえば、中小企業再生支援協議会を通じた再生案件に比して圧倒的に少なく、また、現在、事業再生ADRを取り扱うことのできる唯一の団体たるJATPの事務所が東京にのみ存在していることなどもあり、特に地方の企業や金融機関にとっては、「なじみが薄い」あるいは「制度を正しく理解しきれていない」という側面もあるように思われる。
これに加え、近年では、中規模・中堅企業の事業再生事案であっても、多数の子会社・関連会社を抱えている、海外子会社を有している、複雑なスキームで金融機関から資金調達をしているなど、過去の事案に比べて、案件の内容がより高度化・複雑化しているものが多くなってきているという事情もある。
このような課題への取組みの一つとして、現在、JATPでは「事前相談員」制度の運用を開始している。従前より、事業再生ADRの利用を検討している債務者企業や同企業のメイン銀行等がJATPに相談する制度は存在しており、ここでは、JATPの職員が相談を受けている状況であった。もっとも、上述した状況を踏まえ、より効果的・効率的な事前相談を実現し、事業再生ADRの利用を促進するという観点から、今般の新たな制度の下においては、概要以下のような運用がなされている。
かかる制度のもと、事前相談員の弁護士は、相談にくる債務者企業やその代理人弁護士等に対して、手続の流れやスケジュール感、利用申請・正式申請に向けて検討が必要な論点や準備作業等を、(公正・中立な)JATPの立場として、説明・指導する。相談を行った債務者企業等は、この相談によって事業再生ADRの申請義務を課せられるものではなく、また、当該事前相談は無料で実施されている。事業再生を検討する企業においては、事業再生ADRをその選択肢の一つとして、ひとまず事前相談にいってみるというのも良いであろう。
(2) 上場会社の適時開示義務 ~ 特に、正式申込み及び正式受理時の開示について
前述のとおり、民事再生や会社更生のような裁判所手続を通じた再生手法である「法的整理」ではなく、事業再生ADRは、「私的整理」の一つとして位置づけられる。法的整理は、少額の取引債権者なども含む債務者企業の全債権者を原則として手続に巻き込み、その手続の申立てが公になるが、私的整理は、原則として債務者企業の金融債権者のみを対象とし、その手続の存在が(報道によるリーク等を除けば)公にならない点(「密行性」)において、債務者企業の事業価値毀損を防止でき、より円滑な事業の再生を可能にするものと一般的にいわれる。また、この「密行性」は、債務者企業の経営陣が、事業再生への早期着手を決断することに対するインセンティブを与え、結果として当該企業を取り巻く各ステークホルダーにとって望ましい結果を生みうるとされる。
この点、適時開示義務を負う上場企業についていえば、事業再生ADRの正式申込みをし、JATPがこれを正式受理した時点(注3)で当該事実の開示がなされるケースがこれまで殆どであり(例えば、上述した田淵電機、曙ブレーキ工業、文教堂グループホールディングスのいずれのケースにおいても、事業再生ADRの正式申込み及び正式受理の時点で適時開示を行っている)、その意味において、密行性という私的整理の妙味を完全に享受しきれない状況が存在する。もっとも、かかる密行性は、上場有価証券についての適切な投資判断材料を適時に投資者へ提供し、もって健全な金融商品市場を維持するという適時開示制度の趣旨からすれば、一定の制約を余儀なくされることも致し方ないともいえる。抜本的な再建に踏み出すことを検討する上場企業としては、これら両要請の狭間で判断に悩むケースも少なくなかったのではなかろうか。
この点に関し、JATPが近時、株式会社東京証券取引所(以下「東証」という)との協議・確認を踏まえ、「事業再生ADR手続と適時開示について」と題するペーパー(以下「JATPペーパー」という)を取り纏め、事業再生ADRの利用を検討している上場企業に配布する取組みを始めた(JATPペーパーの詳細等については、近時発表された、小林信明(現・JATP専務理事)・水越恭平「事業再生ADRと適時開示」NBL1158号(2019年11月15日号)12頁~19頁を参照のこと)。
JATPペーパーにおいて筆者が特に注目するのは、事業再生ADRの正式申込み及び正式受理(以下「正式申込等」という)の時点、すなわち、債務者企業が未だ債権者との間で事業再生計画の合意に至っておらず、これからその協議を行っていくことを決定した状況下における適時開示の考え方である。債務者企業において未だ債権者との協議が整っていない状況での開示は、債務者企業にとって最もセンシティブなものと考えられるためである。
この点について、JATPペーパーでは、東証の定める有価証券上場規程には、正式申込等の事実が適時開示事由として規定されていないことを踏まえ、
との整理が示されている(もちろん、債務者企業が正式申込等の事実を自ら進んで開示することは妨げられるものではなく、むしろ、望ましいあるいは有用な場合があるとされる)(注4)。
事業再生ADR成立時の適時開示などは、既に債務者企業が金融機関との間で事業再生計画の合意に至ったこと示すものであり、その意味では債務者企業における現場の混乱や事業価値毀損発生のリスク・インパクトは相対的に大きくないと思われるところであるが、正式申込等の時点における開示が原則として必要ではないという整理が示されたことは、上場会社たる債務者企業の事業再生への取組みの促進、ひいては各ステークホルダーの利益に資することにも繋がりうると考えられる。もっとも、上述のとおり、この原則には例外があり、むしろ、メディアも注目するような大型の上場企業の再生案件などにおいては、この原則と例外の適用関係が実質的に逆転しているともいえるかもしれない。適時適切な情報開示による投資者の保護と、私的整理の密行性に基づく事業価値の維持という双方の要請を念頭に、個別具体的な案件における債務者企業としては、必要に応じて証券取引所への相談・確認等を踏まえて開示の要否を判断すべきという従来からのプラクティスが抜本的に変わるものではないとは思われるが、事業再生ADRにまつわる近時の一つの動向として報告するものである。
(3) 今後の論点 ~ 費用の弾力化・明確化
筆者は、事業再生を主な取扱分野として、大小様々な債務者企業からの相談を受けるが、今後採りうる選択肢を提示する際に、最も依頼者が敏感になりがちなものの一つとして「手続費用」が挙げられる。現在、JATPでは、手続費用について、対象とする債権者数及び対象債権者に対する債務額を基準として、以下のような費用のテーブルを設定している(事業再生実務家協会編『事業再生ADRのすべて』37頁参照)。
対象債権者数 | 対象債権者に対する債務額 | 業務委託金 | 業務委託中間金 | 報酬金 |
---|---|---|---|---|
20社以上 | 100億円以上 | 10,000,000円 | 10,000,000円 | 20,000,000円 |
10社以上 20社未満 |
20億円以上 100億円未満 |
5,000,000円 | 5,000,000円 | 10,000,000円 |
6社以上 10社未満 |
10億円以上 20億円未満 |
3,000,000円 | 3,000,000円 | 6,000,000円 |
6社未満 | 10億円未満 | 2,000,000円 | 2,000,000円 | 4,000,000円 |
この点、例えば、金融負債が20億円の企業と99億円の企業とでは、その企業規模や資金力に自ずと大きな差異があることが多いように思われるところ、両社の手続費用が原則として同額となっている状況については、議論の余地(例えば、もう少し細かいメッシュでの費用テーブルの改定等)があるように思われる。この点、JATPにおいては、当該費用テーブルを基準としつつ、個別具体的な案件では、その難易度等に応じて業務委託金等の金額が決定されるとされており、その意味では費用についての弾力的運用が可能な状況ではある。もっとも、債務者企業の予測可能性の観点からは、当該費用テーブル自体の改定が検討されても良いのではないかと思われるところである(注5)。
事業再生ADRを遂行していくに当たっては、上記のJATPに納める費用のほか、債務者企業自身がリテイン(依頼)する代理人弁護士やコンサルティング会社、フィナンシャル・アドバイザー等の費用が掛かることになるため、債務者企業の財務状況・資金繰り状況によっては、相当程度の負担になる場合も少なくない。この手続費用の負担感が、債務者企業において、事業再生ADRという選択肢を「採らない」理由となり、これが各ステークホルダーにとって本来的に望ましい結論の阻害要因になることがあるとするならば、その点は関係者において議論がなされても良いところであろう。この点、中小企業再生支援協議会や地域経済活性化支援機構とは異なり、JATPは、純然たる民間の機関であることから、その運営費用については、独自の収入で賄っていく必要があるという点において一定の制約があることは間違いないが、費用の弾力化や明確化等を今一歩進め、事業再生ADRの入口における予測可能性を高めておくことは、結果として、今後の事業再生ADRの利用向上にも繋がっていくのではないかと思われるところである。自らも依頼者のために事業再生ADRを利用した経験があり、その制度としての高い有用性を認識している筆者としては、この点についての今後の議論の進捗を期待したい。
以上、これまでの事業再生ADRの取組みを統計から振り返るとともに、近時の動向について紹介した。
事業再生ADRは、日々移り変わる社会の制度や、それがもたらす新たな論点に合わせて少しずつ進化しうる制度であり、また、進化すべき制度であると筆者は考える。そのような進化が、債務者企業及びそれを取り巻くステークホルダー、ひいては社会全体にとってより良い結果をもたらすことを願いつつ、今後もその動向を注視していきたい。
▽注1: JATPは、4月1日から
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