2020年02月12日
西村あさひ法律事務所
弁護士 柴原 多
まず周知のとおり、現在、社会的格差が世界中で問題となっている。
当該格差は経済的な格差が原因であることが多く、各国はその対策に「一応」追われているように見える。
ここで「一応」というのは、多くの国においては資本主義システムを採用している以上、経済的格差が生じるのはある意味当然の結果であるし、「経済的格差の是正」に必要な積極的政策は(富裕層の痛みを伴う以上)富裕層の賛成を得られにくいからである。
日本においても、特に非正規社員・派遣社員の働き方が問題(特に非正規社員が就業人口の約4割を占める状態である以上、当然重要な社会問題)となり、いわゆる「働き方改革法」(働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律)の中で、これらの問題が(幾分)対応されつつある。
ところで、労働法の水町勇一郎教授によると、米国においては、正規社員と非正規社員らの契約内容の差異は(契約自由の原則が妥当する以上)問題とならず、むしろ人種による差別や遺伝子情報による差別など自己の意思に基づかない差別が問題とされるといわれる(水町勇一郎『詳解労働法』(東京大学出版会)298頁参照)。
具体的には、米国においては、遺伝子情報を効果的に利用することは医学的・法的リスクを減らすことができるとの反対意見はあったものの、結果として遺伝子情報差別禁止法(Genetic Information Nondiscrimination Act)が制定されており、遺伝子情報に基づく差別的取扱いを禁止しているという(当該法律制定の経緯について詳しい文献としては柳澤武「遺伝子情報による雇用差別」名城法学第60巻別冊’10参照)。
この問題に関して、世界的には「ヒト遺伝情報に関する国際宣言」も存在する。
また、日本においても、従前は個人情報保護法や不法行為法で部分的に(個人情報の不当利用に対する)救済が検討されてきた(横野恵「ゲノム情報に基づく差別に関連する法制度のあり方について」(第8回ゲノム情報を用いた医療等の実用化推進タスクフォース)参照)。
これに加えて、「適切な遺伝医療を進めるための社会的環境の整備を目指す議員連盟」が、ゲノム医療推進法の成立を目指し、その中において遺伝子情報に基づく差別の禁止を盛り込む予定であるとの報道がなされている
(https://www.sankei.com/life/news/180617/lif1806170013-n1.html)。
米国においては遺伝子治療・遺伝操作(以下「遺伝子治療等」という)は既に大きな社会問題となっており、法的な問題も生じやすいところである。
有名なところでは(遺伝子検査に関連して)遺伝子は特許の対象になるかという訴訟(Myriad事件)が最高裁まで持ち込まれ、当該事案において特許性は否定されている。
この事案は若干複雑であり、乳がん・卵巣がんに関する特許を保有している企業に対し、非営利団体らが当該特許の無効を訴えた訴訟である(背景としては、当該特許に基づく遺伝子検査料が高額であるという問題が存在する)。
勿論、特許を保有している企業は、人間の遺伝子も特許の対象たり得ると主張したところであるが、遺伝子という天然由来の物質が(幅広く)特許の対象になるのは不合理ではないか、ということが争われたものである。
結論として、米国の最高裁は「自然界に存在するDNA 断片は天然物であって、遺伝物質から単離したというだけでは保護適格性をもたない」という判断を下している。
この判例については、当然のように色々な読み方が存在する。
一つの考え方は、「結果的には遺伝子解析モデルの変化に対応した合理的政策転換であった」と評価する考え方である(高倉成男「特許保護適格性に関する米国最高裁判決等と日本の知財政策への示唆」日本工業所有権法学界年報40参照。当該論文は、米国最高裁がヒト遺伝子の特許範囲の限定に積極的な方向を打ち出したと評価する)。
これに対する別の考え方は(単離でなければ保護適格性をもつため)「セクターに対して過剰に金銭的な被害を生み出さないという点で、既に下された判決の事後的な理由付け」という考え方である(トーマス・マルゴーニ「遺伝子及び遺伝子組換え生物発明の『新規性』要件とピア・トゥー・パテント・システムの潜在的利益」知財研紀要2012 Vol.21参照。当該論文は、米国最高裁は特許範囲の限定にそれほど積極的ではないと評価する)。
この点、日本においては、(技術レベルの向上に伴い)1975年の特許法改正により化学物質の特許性が認められ(特許範囲の拡大)、遺伝子も化学物質の一つであるとされており(加藤浩「遺伝子の特許適格性に関する一考察」知財ジャーナル2014参照)、「天然物から人為的に単離した化学物質、微生物などは、創作したものであり、『発明』に該当する」とされる。
その一方、日本においては長年、そもそも「医療行為は特許取得の対象とならない」と解されてきた(特許法29条1項柱書による産業上の利用可能性との関係)。
そのため、単離遺伝子の発明がこのような医療行為に該当する場合は、特許権を得られないと指摘されている(井関涼子「遺伝子特許に関する米国連邦最高裁判決の意義」ジュリスト2013年12月号参照)。
これは、①医学研究はそもそも営利目的でないし、②医療行為に特許性が認められると緊急の治療状態において患者の命が危機に晒される可能性があるから、とされる。
しかしながら、このような見解に対しては再考の可能性を指摘する意見も存在するところである。その理由としては、①医療行為を特許の対象から除外することが大命題になっていないか、②世界的な開発競争に遅れをとる危険性、③人体以外の部分に関する特許能力との不均衡性、など様々な理由が挙げられている(詳細については中山信弘『特許法〔第4版〕』(弘文堂)124頁以下参照)
しかしながら、更に問題なのは、遺伝子治療等が進んだ先にある社会である。
これまでの記述から明らかなように、特許政策は各国の国策と絡みあっている。
そのため、ある程度発達した社会では(自国産業の底上げが一段落したことから)特許保護による恩恵を広く認める傾向にある(他方で、特許権の力が強くなりすぎると(社会の反発を生み)反対のベクトルが働き易い)。
かかる視点を踏まえると、①今まで不治の病といわれる病気を発症した者にとっては、(高コストであったとしても)遺伝子治療等の進歩は朗報といえるし、②当該治療の開発にインセンティブを持たせるには、特許権者を保護する方がWin-Winの関係を築きやすい。
他方で、新規治療・医療が高コストになりやすいことからすれば、富裕層はその保有資産故に遺伝子治療等を受けられる一方で、非富裕層は当該治療等に必要なコストを負担できない結果になると、貧富の格差は(遺伝子レベルでも)拡大するかもしれない。
仮に、このような結果を社会が是認できないとすると、①特許による保護範囲は弱まるかもしれないし、②「だからこそ医療方法は特許で保護するべきでない」との主張が維持されるかもしれない。
これに対して、情報技術の発達した現代社会においては、高額のコストをかけなくとも遺伝子治療等は行えるようになる可能性があるので、逆に格差が解消する手段にもなり得るとの見解も存在するようである。
なお、生物の多様性は、個々の疾病に対する防御機能でもあるので、遺伝子治療等による均一化の進行は、かかる防御機能の低下に繋がりかねない可能性もある。
わが国は今日まで、自由主義経済の恩恵を受けてきたわけであるが、(新)自由主義経済は
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