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30年後に出版された博士論文 資源国有化紛争、国際投資法と私

中川 淳司

国際投資法と私

 

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
中川  淳司

中川 淳司(なかがわ・じゅんじ)
 東京大学名誉教授。
 1979年3月、東京大学法学部卒業。1988年3月、東京大学法学博士。東京工業大学工学部人文社会群助教授、メキシコEl Colegio de México客員研究員(FASID研究フェロー)などを経て2000年4月~2019年3月、東京大学社会科学研究所教授。2019年4月より中央学院大学現代教養学部教授。同年4月、アンダーソン・毛利・友常法律事務所入所。

国際投資法に取り組んだ大学院時代

 1979年に東大大学院法学政治学研究科に入学して以来、私は一貫して国際投資法の研究に取り組んだ。修士論文は外交的保護権をテーマに取り上げた。海外に投資した自国民が投資先で被害を被ったときに、本国が投資先国に救済を求める権利を外交的保護権という。これが国際法上の制度として成立する歴史的なプロセスを辿った。資料を集めるためにメキシコ大使館を訪ねたことがきっかけとなり、博士課程に進学してからメキシコに留学した。メキシコで1938年の石油産業国有化について調べたことから、博士論文のテーマを決めた。

博士論文は資源国有化紛争をテーマに

 博士論文が取り扱ったのは資源開発分野のいわゆる国有化紛争である。資源国が資源開発のために招いた外資企業の資産を国有化する例が1950年代以降、そして特に1970年代以降増えていた。「資源ナショナリズム」の掛け声とともに資源国が資源を自国に取り戻そうとする動きである。国際法の世界でも、こうした動きを支える「天然資源に対する恒久的主権」や「新国際経済秩序」が唱えられていた。外資企業やその本国である先進諸国は当然これに反発する。こうして国有化紛争が引き起こされることになる。紛争では、国有化に際して外資企業に支払われる補償金額の算定基準やその法的な根拠をめぐって議論が戦わされた。先進国は、完全で(対象資産の価額全額をカバーすること)、迅速で(国有化と同時に、または遅延する場合遅延利息を支払うこと)、実効的な(兌換可能な通貨によること)補償の支払いを求めた。これに対して国有化を実施する資源国は、適当な補償の支払いでよく、その額は国有化国が国内法に基づいて決定すると主張した。こうして、資源開発分野の国有化紛争をめぐって先進国と資源国の主張は真っ向から対立し、この争点をめぐる国際法の状況は混とんとしていた。

博士論文の気づき:国有化紛争後も外資企業は残留していた

 私はまず、このテーマを扱った先行学説を集めて検討してみた。しかし、先進国の学者の多くは先進国政府の主張を支持し、途上国の学者の多くは資源国(その多くは途上国である)政府の主張を支持して、両者は平行線を辿っていることが確認できたのみであった。次に、実務に着目し、実際に国有化紛争がどのように解決されてきたかを網羅的に調査することにした。そこからはきわめて興味深い結果が得られた。国有化に当たって補償が支払われた場合、完全な補償が支払われた例は少数派であり、多くの場合それよりも少ない補償しか支払われていなかった。その限りでは国有化を実施する資源国の主張に分があるように見える。しかし、事案を精査すると別の側面が明らかになった。それは、資源国による国有化を契機とする紛争の大半で、資源国ないしその国営企業と外資企業との間で新たな協定が国有化後に締結され、資源開発事業が進められているという事実である。合弁協定、請負協定、生産分与協定など、名称はさまざまであるが、これらの協定に基づく資源開発事業の当事者として、外資企業は国有化後も資源国で資源開発事業に従事していたのである。

資源国と外資企業の動態的な交渉過程に注目する

 これはある意味で当然である。資源国は資源を埋蔵するが、これを開発するための資本や技術を外資企業に頼っている。この事情は国有化後も基本的に変わらない。そこで、多くの資源国は国営企業を設立し、この企業が外資企業と新たな協定を結んで外資企業の資本や技術を利用した資源開発を進めることにした。その意味で、国有化紛争の本質は、資源国と外資企業との間の資源開発をめぐる契約関係の改訂である。このことは、資源開発事業を開始から終了に至る長期の契約関係とみることで、より明らかになる。資源開発はリスクのきわめて大きい事業活動である。商業ベースでの産出が見込まれる鉱脈を探り当てるまで何度も試掘を繰り返さなければならない。通常外資企業がこのリスクと費用を負担するので、それに見合った利益配分が当初の契約で外資企業に保証される。しかし、いったん商業ベースでの生産が軌道に乗れば、交渉における資源国と外資企業の相対的な力関係は資源国有利の方向に変化する。外資企業は事業を継続する強い動機を持ち、事業から離脱することは望まないからである。こうして、資源開発事業の開始から終了に至る長期の契約関係は、リスクと費用の負担や利益の分配をめぐる動態的な交渉過程として把握される。国有化の国際法上の合法性をめぐって主張される法・ルールも動態的交渉過程において動員される主張・請求として理解すべきである。
こうして、「国境を超える資源開発の法過程」と名付けた博士論文を取りまとめ、東京大学に提出した。30年以上前のことである。

二つの後日談

 博士論文について後日談が二つある。一つは、主張の適用範囲というか応用可能性についてである。資源国と外資企業の関係を資源開発という長期の事業をめぐる資源国と外資企業との動態的な交渉関係としてとらえるという見方は、資源開発分野以外の外国投資にも応用できる。例えば、資源国政府が発注するプラントの建設、道路や港湾、電力などのインフラの建設と運営などの事業に外資が参加する場合、事業開始時点、さらに事業継続中にも様々なリスクが予想される。それらを織り込んで、当初の契約内容をいかなるものと定めるか、事業継続中にリスクが顕在化した場合にどのような対処策を契約に盛り込むかは実務上重要である。その意味で、動態的な交渉過程というとらえ方は長期にわたる外国投資プロジェクト一般に有効であろう。このような発想から、「海外のインフラ整備プロジェクトにおけるリスクマネジメントのための多層的な法的枠組み」というテーマで日本学術振興会の科学研究費補助金を得て研究を行っている。特に、中国の一帯一路構想の下で展開されているインフラ整備プロジェクトでリスクマネジメントがどのように行われているかに関心がある。

30年後に英文で出版

 後日談の二つ目は、博士論文の公刊に関わることである。博士論文に若干の手を入れて1990年に刊行した(中川淳司『資源国有化紛争の法過程』国際書院)。残念ながら、あまり反響がなかった。動態的な交渉過程や法過程などの概念は狭義の法律学をはみ出しており、オーソドックスな法律学の研究者にはピンとこなかったためではないかと思う。他方で、海外の研究者仲間に説明すると「面白い」と言ってくれる人が何人かいた。とはいえ、このような概念に立脚した文献は海外にも見当たらない。そこで、思い立って英文で刊行することにして出版企画書をRoutledge社に送ったところ、刊行を引き受けてくれた。原著に若干のアップデートを加えた英語版の原稿を同社に送り、2017年に出版された。原著の元になった博士論文から約30年経っても、学術書として刊行する価値があると判断してもらえたことが何よりうれしかった。2019年にはペーパーバック版も出た。ハードカバーの初版の売れ行きが悪くないということである。研究者冥利に尽きると思っている。