2020年02月21日
高浜3・4号機増設時に関電経営トップと何度も面談し、増設に関して依頼を受けたと話していた。森山氏は、その際、当社の経営トップから受け取ったという手紙やはがき等を保管しており、「発電所立地当時の書類は、今でも自宅に残っており、これを世間に明らかにしたら、大変なことになる。」などといった発言があった。
関電幹部の金品受領問題を調査している関電の第三者委員会(委員長=但木敬一・元検事総長)は、関電役職員らに対する聴取をもとに、この「経営トップ」が、関電「中興の祖」といわれる芦原義重と、その芦原の「影」として政官界から地下社会までネットワークを広げ、森山とも親しい関係だった内藤とみている模様だ。
内藤が14年4月23日のリーガロイヤルホテル大阪ジムでの朝日新聞記者のインタビューで「高浜と大飯と二つ、いっぺんにやってしまった。それが出来たのは私が彼と……」と言いかけて、言葉を濁したことは本連載初回に紹介した。
内藤の言葉から、地元の顔役で福井県知事にも一目置かれた森山が、地元の原発反対派の懐柔や、知事の建設同意取り付けなどで関電側に協力したことは容易に推認できる。ただ、それだけでは、森山のいう「世間に明らかにしたら、大変なことになる」とは思えない。
政官界のトップにも太いパイプを持つ芦原、内藤のような大物経営者が、その「借り」だけで、地方の町役場助役にすぎない森山を手厚く扱い、関電が組織ぐるみでつい最近まで工事発注情報を提供するなどの便宜供与をするものなのだろうか。
芦原、内藤が、関電の原発事業をめぐり、もっと構造的な、中央の政官界がからむような秘密工作にかかわり、その事実を森山と共有、あるいは、森山につかまれていた可能性はないのか――。そういう疑問を持つ電力関係者は少なくない。しかし、芦原は2003年に亡くなり、政官界工作のキーマンだった内藤も2018年に世を去った。
第三者委員会は、芦原、内藤がどういう政官界工作をしたのか、という視点で関電関係者を聴取したとみられる。しかし、内藤は1987年の「社内クーデター」で関電を追われた後、関電経営陣とは距離を置き、現経営陣や存命の元経営幹部らで内藤の肉声を知る人はほとんどおらず、調査は暗礁に乗り上げているようだ。
結果として、朝日新聞が2013年から14年にかけて行った内藤のロングインタビューは、内藤の肉声を伝える唯一の
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