2020年04月22日
西村あさひ法律事務所
弁護士 紺野 博靖
G20財務大臣及び中央銀行総裁の求めにより金融安定理事会が2015年12月に設置した「気候関連財務情報開示タスクフォース(Task Force on Climate-related Financial Disclosures)」は2017年6月に最終報告書(以下「TCFD提言」という。)を公表し、気候関連情報を「財務情報」として開示することを推奨している。TCFD提言は、将来の気候変動による資産価値、収益等の変化を財務的に評価し、開示することを求めた提言である。
まず、TCFD提言では、気候変動に対応するために将来政策・法規制が移行することによって企業の資産価値、収益等が変化することの開示が推奨されている。
例えば、パリ協定が産業革命前からの世界の平均気温上昇を2度未満に抑え、1.5度未満を目指していることを踏まえ、情報開示企業が、事業を展開している国や地域の政策・法規制が将来移行したならば、どの程度当該企業の資産価値、収益等が変化するかをシナリオ分析を使って財務的に開示することが、TCFD提言では推奨されている。
また、TCFD提言では、気候変動によって将来生じる物理的状況の変化によって企業の資産価値、収益等が変化することの開示が推奨されている。
例えば、温暖化によって海面上昇の可能性が指摘されていることを踏まえ、情報開示企業が、保有する工場が所在する沿岸地区の海面が上昇した場合に必要となる対策(海水流入防止のための設備投資、工場の移設等)によって当該企業の資産価値、収益等がどの程度変化するかをシナリオ分析を使って財務的に開示することが、TCFD提言では推奨されている。
端的に言えば、TCFD提言は、情報開示企業がパリ協定に賛同しているか否か、地球温暖化対策に取り組んでいるか否かの開示を問題としているのではない。気候変動にまつわる将来の政策・法規制の移行や物理的状況の変化に関して合理的なシナリオを立てて、当該シナリオに沿った場合に自社の資産価値、収益等がどのように変化するか、財務的に開示することを推奨するものである。
TCFD提言は「非財務情報」ではなく「財務情報」の開示への提言である。そのように認識することは、コンプライアンスの観点から重要である。TCFD提言に伴う情報開示が進むにつれて、気候変動に関する情報開示に対して、「財務情報」の開示に適用されてきた各種ルールの適用可能性が高まるからである。
前述のとおり、TCFD提言では、情報開示企業が、事業を展開している国や地域の政策・法規制が気候変動対応のために将来移行した場合に、どの程度当該企業の資産価値、収益等が変化するか、気候変動に伴って将来物理的状況の変化(海面上昇、洪水、干ばつ等)が生じた場合に、どの程度当該企業の資産価値、収益等が変化するか、といったことをシナリオ分析を使って財務的に開示することが推奨されている。
この点、TCFD提言は、将来の政策・法規制の移行や物理的状況の変化による「リスク」のみならず、将来の政策・法規制の変更や物理的状況の変化がもたらす「機会」(ビジネスチャンス)の開示も等しく推奨していることに注目すべきである(注1)。
2019年10月8日にTCFDコンソーシアムが公表した「グリーン投資の促進に向けた気候関連情報活用ガイダンス」(注2)(以下「グリーン投資ガイダンス」という。)は、この「機会」について以下のように述べている。
気候関連の機会として、資源の効率的利用や低排出型エネルギー源の採用、新たな製品やサービスの開発といった点が挙げられている。資源の効率的利用や低排出型エネルギー源を通じた機会の中にはCO2の再生利用や革新技術を活用するもの(例:CCUS/カーボンリサイクルや水素・燃料電池)も含まれる。新たな製品やサービスの開発を通じた機会の中には、ライフサイクルの観点から見てバリューチェーンを通じて他の企業のリスク低減に貢献するもの(例:高効率な機器・部品の供給等)や、気候変動への適応に資するもの(例:異常気象等による影響を低減する技術等)が含まれる(グリーン投資ガイダンス10~11頁)
温室効果ガスの排出を例にすると、将来、温室効果ガスの排出に対して政策・法規制が強化される「リスク」が顕在化した場合の企業の資産価値、収益等の開示のみならず、温室効果ガスの排出を「機会」ととらえ、温室効果ガスの排出を低減する技術や温室効果ガスを吸収する技術が将来事業化する場合の企業の資産価値、収益等の開示もTCFD提言は推奨している。
気候変動に伴う「リスク」と「機会」は表裏の関係であり、「リスク」だけの情報の開示及び評価はバランスを欠く虞がある。我が国の温暖化対策は「環境と成長の好循環」をコンセプトとして進められているところ(注3)、かかる観点からも企業側が「リスク」のみならず「機会」も財務的に情報開示し、評価機関や投資家側も「リスク」のみならず「機会」を財務的に評価することが重要と解される。
特定の価値観に基づく投資分野であれば、当該価値観から開示情報を評価することになる。他方、TCFD提言が推奨する財務情報に基づく投資分野では、TCFD提言に沿って開示された「リスク」と「機会」(ビジネスチャンス)が財務的に等しく評価されなければならない。
前述したグリーン投資ガイダンスは、企業の情報開示を評価する投資家側が「リスク」だけではなく「機会」も評価する事例として、以下を例示している。
E社では、事業実施に伴う温室効果ガス(GHG)排出といった環境に負荷を与える企業の側面のみを評価するのではなく、同企業または同企業の属する組織体によるCO2回収・再利用(カーボンリサイクル)の実現に向けた研究開発の取組といった気候変動対応の側面も前向きに評価している。(グリーン投資ガイダンス11頁)
評価機関や投資家側は、将来、温室効果ガスの排出に対して政策・法規制が強化される「リスク」が顕在化した場合の企業の資産価値、収益等のみならず、同等に、温室効果ガスの排出を「機会」ととらえ、温室効果ガスの排出を低減する技術や温室効果ガスを吸収する技術が将来事業化した場合の企業の資産価値、収益等も財務的に評価することが求められることになる。
とりわけ気候変動に関しては特定の価値観に基づく評価機関や投資家が先行してきた。それら評価機関、投資家の中には、とかく気候変動の「リスク」にだけ着目して企業を評価してきたものも見受けられる。
しかし、TCFD提言は、気候変動の「リスク」のみならず「機会」(ビジネスチャンス)についても等しく財務的に開示するように求めている。TCFD提言に基づき気候変動に関する「リスク」と「機会」を財務情報として開示し、その両者を等しく評価することが進むにつれて、財務情報ではなく特定の価値観に基づき企業を評価する評価機関との区別を明確化するルール作りが必要となってくると思われる。
前述のとおり、TCFD提言によれば、温室効果ガスの排出を「機会」ととらえて、温室効果ガスの排出を低減する技術や温室効果ガスを吸収する技術が将来事業化した場合の企業の資産価値、収益等をシナリオ分析により財務的に開示することが求められている。
この点、二酸化炭素を資源としてとらえ、これを分離・回収し、鉱物化や人工光合成、メタネーションによる素材や燃料への再利用等とともに、大気中への二酸化炭素排出を抑制していく技術である「カーボンリサイクル技術」について、経済産業省が、内閣府、文部科学省及び環境省の協力のもと、2019年6月に「カーボンリサイクル技術ロードマップ」(注4)を公表している。
このロードマップは、カーボンリサイクル技術について、目標、技術課題、タイムフレーム(フェーズ毎の目指すべき方向性)を設定し、広く国内外の政府・民間企業・投資家・研究者等関係者に共有することを目的とし、①CO2を資源として利用可能な物資毎に、技術の現状、コスト低減に向けた課題を明確化して、技術進展のステップを記載し、②既存製品と同等のコストを目指し、2030年・2050年のコスト目標を設定している。
カーボンリサイクル技術に関係する企業が、TCFD提言に基づいて当該技術が事業化した場合の企業の資産価値、収益等をシナリオ分析する場合、この「カーボンリサイクル技術ロードマップ」を基礎とすることが合理的である。また、カーボンリサイクル技術に関係する企業を評価する評価機関や投資家も、この「カーボンリサイクル技術ロードマップ」を基礎とするシナリオに基づき、当該企業の資産価値、収益等を評価することが合理的である。
気候変動を要素とする投資活動としては、これまで特定の価値観に基づく投資が先行していたが、TCFD提言により財務情報に基づく客観的な投資が進んで行くことになる。
財務情報に基づいて投
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