検事長定年延長・検察庁法改正の迷走劇を元東京地検特捜部長が斬る①
2020年06月01日
▽本連載第2回: 黒川元検事長を定年延長した内閣人事の問題点
▽本連載第3回: 検察庁法改正案が検察に対する国民の信頼を損なうことになる理由
▽本連載第4回: 検察権は司法や国民による日常的なチェックにより適正に行使されていること
▽本連載第5回: 特捜検事として思う政治と国民のこと
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検察官の身分の拠り所である検察庁法には検察官について定年延長の規定はなく、「検察官に定年延長はない」ということを誰もが信じて疑わなかったからだ。内閣が根拠としたのが国家公務員法の定年延長規定だ。「検事も国家公務員である以上国家公務員法の規定の適用を受けるのは当然」という論理である。
前代未聞の定年延長までして黒川氏を検察に残すということは、次期検事総長に彼を据えようとする内閣の意図であることは誰の目にも明らかである。ということは、稲田伸夫現検事総長の人事案が内閣に受け入れられなかったということだ。内閣はそこまでやるか、一体この先どういう展開になるのかと案じていたところ、3月13日、内閣は国家公務員法の改正案に併せて検察庁法改正案を閣議決定し、そこに黒川人事を正当化するような定年延長の特例規定をもぐりこませた。
内閣の判断によって、役職ポストのまま定年延長の恩恵を受ける者と平検事に降格して定年延長になる者との差別を設ける制度である。こんな人事制度の下で、公正妥当な検察権の行使ができるのか、検察が拠って立つ国民の信頼は得られるのか、断固阻止しなければいけない。私はそう思った。
折しも、ネットを中心に、俳優や作家等著名人が相次いで検察庁法改正案反対の声を上げてこの運動が盛り上がりを見せ始めていたし、日弁連始め各地の弁護士会が法案反対の声明を出している。にもかかわらず、当の検察関係者が黙っていてよいはずがない。現役の検察官が動きにくいことは理解できるので、我々OBが動くしかない。
しかし、個人の力は弱い。仲間の検察OBに連絡を取っていたら、かってロッキード事件の捜査公判に携わった検事が中心になり、黒川人事の白紙撤回と検察庁法改正案の廃案を求める意見書を法務大臣宛に提出する準備を進めていることを知った。その中心になって活動していた清水勇男元最高検検事に連絡を取り、仲間に加えていただいた。
本来であれば、多くのOBに声をかけて賛同を求めるべきところ、5月19日(火曜日)に内閣委員会で法案の強行採決が予想されたことからとにかく急ぎ、当面の賛同者14名だけで5月15日(金曜日)に法務大臣宛に黒川弘務元東京高検検事長の定年延長と検察庁法改正案の特例規定についていずれも反対である旨の意見書を提出することとした。当日、松尾邦弘元検事総長と清水さんが法務省を訪れて意見書を提出し、都内で記者会見を開いて我々の主張を訴えた。すぐに後輩の特捜部勤務経験者ら多数の検察OBも我々に続いて行動を起こした。マスコミの多くは我々検察OBの行動を好意的に報道してくれ、幸いにも、内閣が今国会での法案成立を見送ったため、我々の目的の一つは達成することができた。また、黒川氏の定年延長問題も意外な形で同氏が辞任したことにより決着した。
しかし、検察庁法改正案が廃案になったわけではないし、次期検事総長がどのような形で決まるのか、問題が完全に解決したとは言えない。「検察官も行政官だから内閣のコントロールに服するのは当然である」との建前論を固持し、内閣の提出した検察庁法改正案に理解を示す識者もいる。
この一文は、この度の検事長定年延長と検察庁法改正の問題を検証することによって、検察権の独立の重要性と検察人事に内閣が介入することの危険性を理解していただくとともに、再び検察庁法改正案が国会審議の場に登場した際にとるべき行動を考える一助としてまとめたものである。
検事長定年延長問題と検察庁法改正問題の二つに共通する事項として、次のような主張がある。
検察官も国家公務員であるから、内閣のコントロール下に入るのは当然である。検事総長も内閣が任命することになっているではないか。
このような建前論だけで問題が解決するなら、そもそも黒川人事も問題にならなかったし、検察庁法改正案も問題にならなかった。国民は、検察官も国家公務員であることを百も承知で、反対の声を上げたのだ。建前論を唱えるだけでは何ら問題が解決しない。その理由を述べよう。
まず、検察官とはどんな仕事をしていて、一般の国家公務員とどこが違うのかを見ておこう。一般の国家公務員は、内閣の政策を立案し、その実行に一致協力して当たることを職務としている。内閣総理大臣を頂点として同じ目的に向けて一致協力していく姿勢が要請される。他方、検察官は、公益の代表者として犯罪の捜査と起訴した事件の裁判に立ち会うことを主な職務としている。これを検察権の行使といい、内閣総理大臣もその他の大臣も国民の一人として等しく検察権の行使の対象となる。後で詳しく述べるが、検察権の行使には法律により様々な制約が課されており、内閣が口出しする余地はない。検察官は国家公務員であるといっても一般の国家公務員とは全く性質の異なる職務を担当していることをまず、念頭に置いていただきたい。
国民の皆さんは、民事に関することであれば、例えばお金を貸したが返済してくれないとか、家を貸したが期限が来たのに明け渡してくれないとかの場合に、裁判所に訴えて権利の実現を図ることができる。しかし、刑事事件に関しては、例えば傷害事件の被害者とか殺人事件の被害者の遺族が直接裁判所に犯人の処罰を求めて訴えを起こすことはできない。犯人を起訴するか不起訴にするかの権限は検察官が独占しているからだ(起訴独占主義)。つまり、検察官は内閣から独立して、国民に代わって国民のために検察権を行使しているということである。だから国民の信頼がなければ適正な検察権の行使はできないことになる。「検察官は行政官として内閣の統制に服するべきである」との建前論を強調すると、国民はどうしても内閣に係る事件の捜査処理について、内閣の意向が働いているのではないかとの色眼鏡で見がちになる。その見方が正しいかどうかが問題ではなく、そのように国民から見られかねないことが問題なのであり、そのように国民から見られないような制度を整えておくことが必要である。
検察官は、検察庁法という国家公務員法とは別個の特別の法律で、その身分を裁判官に準じて手厚く保障されているが、その検察庁法には定年延長の規定はない。1980年代に国家公務員法を改正して一般の国家公務員に60歳定年制を導入した際「公務に著しい支障が生じる場合は例外的に定年延長を認める」という規定を設けたのに対して、検察庁法の改正は行わなかった。検察官に定年の延長を認めると、時の政権が定年延長を認めるかどうかで検察の人事に介入する恐れがあるからだと説明されている。内閣の統制から独立して検察権を行使することの保障である。つとに40年も前に、立法関係者は、今回の黒川人事のごとき事態が発生する懸念を抱いていたということである。
元最高裁判事の故・団藤重光博士は生前、次のように述べた。
裁判所は起訴されない事件を審理するわけにはいかないし、起訴された事件は必ず審理しなければならない(不告不理の原則)ので、司法権の行使は検察権の行使にかかっている。だから、時の政府の都合によって、ある事件は不問に付され、ある事件は一斉に捜査されて起訴されるという事態が起これば、まさしく政治的司法を現出させたことになる。司法権独立の主眼は司法権の行使を政治的影響から自由にするところにある。だから、万が一にもかような事態が起これば司法権の独立は名のみになると言っても過言ではない。
検察権は、司法権と密接不可分の関係にあり、司法権の適正な実現のためには検察権が公正妥当に行使されることが不可欠の前提となる。恣意的な検察権の運用は司法権の独立を脅かすという点で三権分立にもかかわってくる問題である。
検察官の職務と責任の特殊性から、内閣が職務上の接触を持つ検察官は、法務事務次官、官房長、刑事局長等法務省に勤務する限られた検事のみである。検察業務の中核である捜査公判に従事する検察官との職務上の接触はない(あってはならない)。だから、法律的には検察のトップである検事総長を内閣が任命することになってはいるものの、現実問題として、内閣が個々の検察官の能力を評価し、公正で妥当な人事を行うことなど、到底期待できない。
歴代の内閣は、このことをよくわきまえ
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