検事長定年延長・検察庁法改正の迷走劇を元東京地検特捜部長が斬る③
2020年06月03日
▽本連載第1回: 検察官も国家公務員だから内閣の統制に服するべきであるとの建前論では、問題の解決にならないことの理由
▽本連載第2回: 黒川元検事長を定年延長した内閣人事の問題点
▽本連載第4回: 検察権は司法や国民による日常的なチェックにより適正に行使されていること
▽本連載第5回: 特捜検事として思う政治と国民のこと
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▽関連資料: 国家公務員法等の一部を改正する法律案
特例規定の内容は、原則は、検事長等幹部検察官が63歳に達したなら役職を解いて一般の検事、つまり平検事に異動になるが、役職を解いて平検事にすると「公務の運営に著しい支障が生ずるとして内閣が定める事由」がある場合には検事長等の役職を解くことなく最長3年までそのままの身分で勤務することができるとするものである。A検事長は原則通り平検事に降格して定年を延長するがB検事長は検事長のまま定年を延長するということを、内閣が決めるということである。これが、検察人事に内閣が露骨に介入するものだとして批判を浴びた。
特例規定のいう「公務の運営に著しい支障が生ずるとして内閣が定める事由」とはどんな内容のものか。森法務大臣は国会で、「国家公務員法の規定と併せて慎重に検討して決める。今の段階では明らかにすることはできない」と答弁した。差別人事を正当化する規則の内容を不明にしたままで、まず法律案に同意せよとは、乱暴この上ない。政府与党からも国民に対して法案の内容を丁寧に説明して理解を求めるべきであるとの声が上がったが、特例規定の適用要件が決まっていないのに丁寧な説明など不可能だ。これで押し通せると考えていたとしたら、ずいぶんと国民をなめていたものである。
考えられる規則の内容は、黒川氏の定年延長に適用した国家公務員法第81条の3と人事院規則11-8第7条と同じ程度のものであろう。つまり、「余人をもって代えがたいとき」ということになる。
たしかに、一線の現場の検事について捜査公判の進展状況により人事異動を遅らせるという例はあり得る。しかし、検察官同一体の原則の下に、長期に及ぶ勤務で実績を上げて幹部までのぼり詰めた検察官に、定年の延長に差を設けるほどの検察官としての資質に違いはない。また、定年間近の幹部検察官が残ってくれなければ困るという検察事務も考えられない。
だから、検察官の定年延長について差を設けることを正当化する理由を現行法規以上に具体的かつ明確な形で示すべきであるが、できるはずはないのである。
この国家公務員法と人事院規則をもって黒川元東京高検検事長の定年を延長させておきながら、安倍首相は、特例規定の適用で恣意的な人事が行われることは全くないと断言した。検察庁法施行後73年に及ぶ検察の歴史上かってなかった黒川氏の定年延長を断行した人事そのものが恣意的人事の最たる例であることに、安倍首相は未だ気付かないのであろうか。特例規定の運用によって、黒川問題と同じ問題がまた起きることは必定である。
立法事実があるのかという点からも、この検察庁法改正案には問題がある。
立法事実とは、法律の制定や改正の場合に、いろいろな角度から見て何故その法律の制定なり改正が必要なのかということを支えている事実をいう。検察庁法の改正についても、現行の法律ではこのような事情に照らしてこのような欠点があるからそれを改正法によってこのように改善するということを発議者である内閣が具体的に示さなければならない。
繰り返し言ってきていることだが、検察庁法施行以来73年間、検察の人事に内閣が介入したことはなく、検察人事への内閣の不介入は慣例として出来上がっていた。これを破ってまで特例規定を制定する意図、目的、理由は何なのか、内閣は丁寧に説明するべきであった。
しかし、内閣も与党も、少子高齢化が進む中で高齢公務員の知識、経験、技術を生かし、複雑高度化する行政課題に対応するために国家公務員の定年引上げが必要であり、これに合わせて検察官の定年も引き上げることにしたとの紋切り方の答弁を繰り返すばかりであった。このような改正理由が検察官に当てはまらないことについては、これまで再三述べてきたとおりである。また、「内閣が黒川氏の定年延長を後付けで正当化しようとするものだ」との野党の批判に対しては、法改正によって定年延長が実施されるのは2022年4月からであり現職検事長への適用はないから批判は当たらないと反論したが、内閣の本音が「黒川人事は、後に成立した法律でも認められるような何ら異常な人事ではなかった」と言いたいことにあるのは見え見えだ。当初の法務省案には特例規定がなかったのに、黒川氏の定年延長人事(1月31日閣議決定)を行った後の3月13日に特例規定を盛り込んだ法案を閣議決定した経緯に照らしても、特例規定が黒川人事を正当化する後付け法案であるとの批判は正鵠を射ている。国民の多くもそのように見ていることに、内閣はもっと思いを致すべきであった。
こう見てくると、果たしてこの法案について与党内でしっかり議論を重ねたのかと疑いたくなる。与党内には森法務大臣を始め法曹資格を有する議員が大勢いる。公明党の山口那津男代表もその一人だ。彼らは日本弁護士連合会や各地の単位弁護士会の法案反対声明をどんな思いで聞いたのだろうか。内容自体があいまいで、納得できる立法目的の説明もできず、国民から反対の大合唱が起こったずさんな法案を、一時は強行採決してまで成立させようとしたことに対し、国民にどう説明するのか。政党政治の下、国権の最高機関である立法府における与党の責任が問われている。
検察は、これまで時の政権党所属の国会議員とも対峙することがあって、政治とはいつも緊張した関係を保ってきた。捜査に当たる検察官の中に、定年延長の措置でどのような処遇を受けるかを考えて真相解明の熱意に消極的になる検事が出てくるとも思えないが、当の検事にそういう気持ちがなくても国民からそのような目で見られる事態が生じることが危惧される。特に捜査がうまく進展しなかったときに、政治の力が働いたのではないかと疑惑の目で見られる恐れが強くなるであろう。そうなると、検察に対する国民の信頼が得られない状況を招くことになり、政界捜査はおろか一般の刑事事件の捜査についても国民の協力を得られなくなりかねない。司法全体にとって重大な問題である。
検事長という役職は、30年以上にわたる長い検察官生活の中でそれなりに実績を上げ、検察内部において評価されて辿り着いた、いわば最終ポストである。検事長になった者は、次期検事総長と目される者を除いて誰もがこのポストで十分と思っている。特例規定である以上この規定の適用を受けて検事長のままのポストで定年延長になる者は限られ、通常は役職を外れて定年延長となると思われるが、数年ごとに構成の代わる内閣が公正に判断することができるとは思われない。多くの検事長OBも同じ意見で特例規定の新設には反対である。現役検事も将来このような差別的な新制度を適用されることを迷惑と思っているのではないか。
検察庁法改正案の中身を国民目線で見るとどうであろうか。
捜査現場で政権と対峙してきた特捜部に代表されるいわゆる現場派検事よりも、今回の黒川人事に象徴されるように、内閣が職務上接触を持つ法務官僚経験者のいわゆる赤レンガ派と称される検事を優遇するのではないか、それでは内閣からの検察の独立など望むべくもないと思う国民は少なくないであろう。また、検事であってもいいポストのままでいたいと望むのが人情であろうから内閣の顔色をうかがう検事長が出てくるかもしれないと思ってしまうかもしれない。実際に内閣の意向を忖度する検事長が出るかどうかが問題ではなく、国民からそのような疑いの目で見られかねない制度を作ることが問題である。検察庁法改正案に対して多くの
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