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稲田検事総長と辻法務事務次官に元特捜部長が再び辞職勧告 政治と検察で対応に誤り

検事長定年延長・検察庁法改正の迷走劇を元東京地検特捜部長が斬る

五十嵐 紀男

改めて稲田検事総長と辻法務事務次官の責任を問う

 6月1日から5日まで、5回にわたり、本欄において、黒川弘務元東京高検検事長の定年延長と検察庁法改正案の定年延長に関する特例規定の問題を述べさせていただいた。この間の6月4日に本欄に、「黒川検事長辞職 安倍政権の人事介入が招いた不幸な結末」と題する村山治氏の記事が配信された。村山氏は、知る人ぞ知る検察ウォッチャーの第一人者。綿密な現場取材に基づく論評の正確さと鋭さには誰もが一目を置く存在である。この記事を読んで、改めて検事総長と法務事務次官の責任を問う必要を感じた。

前代未聞の黒川検事長定年延長の真相

五十嵐 紀男(いがらし・のりお)五十嵐 紀男(いがらし・のりお)
 1940年生まれ。北海道大学在学中に司法試験合格。64年4月、司法修習生。66年4月、検事任官。東京地検特捜部副部長(財政・経済担当)、公安調査庁総務課長、東京地検総務部長を経て91年1月から2年半、東京地検特捜部長。共和汚職、東京佐川急便事件、金丸ヤミ献金事件、金丸脱税事件などを手がけた。大分、宇都宮、千葉、横浜の各地検の検事正を歴任し99年12月退官。公証人を経て2010年5月に弁護士登録した。
 村山氏の調査によると、黒川氏を巡る一連の人事の経緯はおおよそ以下のとおりという。

 2016年9月、稲田伸夫法務事務次官が仙台高検検事長に転出するのに伴い、稲田氏は後任次官に林真琴刑事局長を推薦したが、官邸は黒川弘務官房長の昇格を希望した。稲田氏は官邸側と折衝の末、黒川氏の次官在任は1年とし、林氏がその後任につく、との合意ができた、と受け止めて検察首脳らに報告。首脳らもそれを了として受入れ、黒川法務事務次官が誕生した。

 ところが翌17年夏、官邸は黒川氏の次官続投を希望。その結果、林氏は刑事局長に据え置かれ、黒川次官の折衝で翌18年1月に黒川氏が地方の検事長に転出し、後任に林氏を充てることで官邸と折り合った。しかし、上川陽子法相は林氏を名古屋高検検事長に転出させ、黒川氏はそのまま次官ポストに残った。当時の上川法相が意見を異にする林氏を転出させたと噂されるも真偽は不明だという。

 19年1月、黒川氏が検察ナンバー2の東京高検検事長に就任。検事長人事は、検察トップの検事総長が法務省の人事案を了承し、検察の総意として法務大臣に閣議を要請し、閣議の決定を経て内閣が任命する手順を踏むが、黒川氏の東京高検検事長人事もそのとおりなされたので、官邸は、次期検事総長に黒川氏を充てることで検察の合意が形成されたと判断した。時の検事総長は、18年7月に就任した稲田氏である。

 19年秋、辻法務事務次官が官邸に、後任検事総長に林氏を充てるとする稲田氏の意向を打診すると、官邸は驚き、黒川氏の昇格を強く求めた。

 辻次官は、官邸の意思が固く黒川氏を後継にするしかないことを稲田氏に説明し、20年2月8日の黒川氏の定年までに検事総長の椅子を黒川氏に譲るように求めたが、稲田氏が拒否した。

 そこで、辻次官らが考え出したのが、国家公務員法による黒川氏の定年延長という奇策。稲田氏も了解したうえで、1月29日、法務大臣から内閣に対して閣議の開催を要請し、31日の閣議で、黒川氏の定年延長が決定された。

黒川検事長定年延長の問題

 このような経緯を踏まえ、村山氏は、「すべては16年9月の黒川氏を法務事務次官とした人事が始まりで、この人事で官邸に黒川氏の検事総長就任の期待を持たせてしまった、稲田氏は法務事務次官の職を賭して官邸の要求をはねのけて、林氏の次官就任を実現させるべきであった。当時の検察首脳も、1年後には間違いなく黒川氏から林氏に代わるとの稲田氏の感触に納得するのでなく、『検察の総意』として『林氏で』と押し返していれば、今回のような顛末にはいたらなかっただろう。そして、(法務・検察と官邸の)『結界』は破られた。その後の事務次官人事、東京高検検事長人事と法務・検察は政治に一瀉千里で押し込まれた。検察は隙を見せてはいけなかった。法務・検察には苦い経験となった」という。村山氏の解説のとおりであり、法務・検察に反論の余地はないであろう。

 私が言いたいことは、検事総長として黒川氏と林氏のどちらが適任かという個人の資質の問題ではない。村山氏が指摘するように、内閣に隙を見せて検察人事に介入を許すことがないよう、検事総長は確たる信念をもってしっかりとした検察人事を行ってもらいたいということが一つ。そして、法律家として絶対に受け入れることができないのが、法務事務次官が違法な黒川氏の定年延長人事を発案し、それを検事総長が了解していたという事実だ。

 黒川氏の定年延長人事が検察庁法に違反し、「一般の国家公務員に定年延長を認めた国家公務員法の定年延長規定は、検察官には適用されない。」とする人事院見解にも反する違法な人事であったことについては、本稿の第2回において詳しく述べているので、繰り返さない。70年を超える検察の歴史上一度もなかった検事の定年延長を、国家公務員法を利用して正当化しようとした法務官僚の奇策には驚かされたが、これを稲田検事総長が容認していたとはもっと驚きだ。しかし、村山氏が指摘するように、検事長人事は検察トップの検事総長が法務省の人事案を了承し、検察の総意として法務大臣に閣議を要請し、閣議の決定を経て内閣が任命する手順を踏む。(黒川氏の定年延長についてもこの手順が踏まれたであろうから)今更驚くことではなかったともいえるのだが、そういうことならば、黒川定年延長人事が問題化したとき、内閣や法務省ばかりでなく検察ももっと批判されるべきであった。稲田検事総長は問題を正確に理解しないまま、法務官僚の浅知恵に乗っかってしまったのであろうか。それもこれも内閣に対して場当たり的な対応に終始し、毅然とした姿勢で検察の人事構想を押し通す努力を怠った見通しの甘さに原因があるのではないか。検察トップの検事総長としての資質にかかわる問題だ。

 私は本稿の第2回で、「定年延長問題は、検事総長と内閣との対立という点で、検察庁法14条但書の、いわゆる法務大臣の検事総長に対する指揮権を定めた規定をめぐる問題と通底するところがある。理論的にすっきりと割り切ったものではなく、運用の実際において妥当な結果が得られるように工夫されて出来上がった規定と言われ、法律の建前と検察実務を如何に調和させるかという点で今回の定年延長問題と共通する。法曹界や学界の多くは、運用がうまくいくかどうかは検事総長の識見と手腕にかかっているとする点で一致している。『場合によっては、検事総長が職を賭してまで法務大臣の指揮を食い止めることも可能』という意見もある(団藤重光博士)。稲田検事総長はこのような覚悟をもって事に当たったのか?今回の一連の騒動は、稲田検事総長が法務大臣等内閣を説得するのに最大限の努力を尽くさなかった結果ではないかと見る識者は多い。検察の歴史上かってない混乱をもたらし、検察に対する信頼を少なからず傷つけた責任は重大である。次期態勢が固まり次第責任を取って退官すべきである。また、検察と内閣の緩衝役である法務事務次官(検事)の責任はより重大である。即刻辞任すべきである。」と書いた。「検察権は国民に代わって、国民のために行使されるべきものだ。だから国民の信頼なしには適正な検察権の行使はできない」ということも繰り返し述べた。定年延長という違法な人事を考え出したのが事務次官(検事)で、検察トップの検事総長がそれに同意したとなると、果たしてこのような検察幹部の下で国民に信頼される適正な検察権の行使ができるのか、国民の検察を見る目は一段と厳しくなろう。改めて、稲田検事総長と辻法務事務次官に退任を求めるゆえんである。

黒川氏を定年退職後に検事総長にすればよかったとの案について

 法律上、検事総長は現職検事から任命しなければならないものではない。戦後の初代検事総長福井盛太氏は弁護士の出身であった。黒川氏についてもこの前例に倣い、東京高検検事長でいったん定年退職させ、その後に検事総長として迎えていれば問題はなかったという論がある。確かに、法律論としてはそのとおりである。そうしていたなら、検事に定年延長を認めた国家公務員法の適用はないとした人事院見解を巡り、安倍首相に「今回、解釈を変えた」と強弁させ、人事院や内閣法制局など他省庁を巻き込んで法律問題が国会で議論されることはなかったであろうし、黒川氏の定年延長人事を後付けで正当化すると酷評された検察庁法改正案の特例規定を急遽設ける必要もなかったのであるから、内閣や法務省がこれほど国民の批判を浴びることはなかったかもしれない。法律違反を犯していないという点では、今回の定年延長人事よりはましであろうということは言える。

 しかし、前例と言っても戦後の混乱期のことであるので、異例人事であることは間違いなく、奇策と見る向きも当然出るだろう。「いったん退職した検事を最高幹部に再登場させるほど検察に人材はいないのか、内閣に近い人物を充てるための人事だ」との検察批判や内閣批判は避けられなかったと思われる。

 本連載の第5回で、元自民党副総裁金丸信氏に対し取り調べをせずに上申書を提出して略式請求の処理をしたことが、政治家に対する特別な扱いだとして国民の批判を浴びた5億円事件について書いた。この例でもわかるとおり、日ごろ行われていない特別なことをする場合には、国民の納得を得るよう丁寧な説明が不可欠である。退職後の黒川氏を検事総長に迎える人事を行ったとして、国民の理解を得られたかは大いに疑問である。

我々の行動に対する批判について

 村山氏の記事を読んでいて、今回我々が法務大臣宛に意見書を提出した行動を批判する意見があることを知って、意外に思った。

 OBの一人の意見として「検察がいつも正しい保証はない。暴走しだしたらどうしようもない。そういう検察にいた者が、人事の自治権をくれ、と自分で言うのはおこがましい。そういう検察ではあっても人事の独立が必要だと思ってくれる人に意見をいっていただければいい」とのコメントが紹介されている。ジャーナリストの江川紹子氏も「(意見書を提出した)OBらを英雄視する向きがあるが、彼らも大阪特捜部の証拠改ざん事件に代表される検察官の独善体質をはぐくんだ当事者たちだという点もわすれてはならない」と手厳しいが、我々の行動には理解を示しているように感じられる。

 我々が意見書提出の行動を起こしたのは、検察の人事に内閣が介入することを許容する制度(法律)を設けることに反対し、現にその恐れが黒川氏の定年延長によって具現しているとして、併せて黒川人事の撤回を訴えるためだ。村山氏の言うように、検察権の独立と人事の独立はもろに絡み合っているからである。実に多くの国民がネットで検察庁法改正反対の声を上げた。国会周辺に足を運んで反対を訴えた国民も少なくない。法曹界でも、日弁連始め各地の単位弁護士会が、検察庁法改正反対の声明を出した。当の検察が黙っていていいのか。そんな純粋な気持ちで声を上げた。そういうことは検察に理解ある他人に任せておけばよいとして自らは行動を起こさず、我々の行動を「おこがましい」と言われると、なんともやりきれない気持ちだ。また、法案見送りは、我々OBの力というよりも、従前この種の問題に必ずしも関心が高いとは思えなかった国民の圧倒的な行動の結果であると、意見書に名を連ねたOBみんなが思っており、国民に感謝している。法案の成立が見送られ、安ど感だけを味わっていたから、英雄視されているとも思っていなかった。

 過去に検察が国民から批判を受ける出来事があったことは、たしかにその通りであり、素直に反省しなければならない。しかし、だからといって、今回の問題に向き合う上で、検察OBは黙っているべきだということになるのであろうか。

 もちろん、検事も人間である以上、検察が誤りを犯すことはありうる。制度上、検察の判断は、高検、最高検といった検察部内のチェックだけでなく、3審制、すなわち地裁、高裁、最高裁で繰り返しチェックされ、その上さらに再審の制度がある。つまり、我が国の裁判制度は、検察が誤りを犯すことがあり得るということを前提にしている。もちろん、誤りがあってはならないことであり、過去に検察が国民から批判を受ける出来事があったことは素直に反省しなければならないが、その反省の上に現在の検察がある。今回の問題に向き合う上で、政治と検察の関係の微妙さ加減を肌身感覚で知る検察OBらが黙っているべきだとは私には思えない。

 一般に、検察官は、政治絡みの事柄に意見を言うことを抑制する。OBになってからも、変わらない。私もその一人である。しかし、今回は違った。明らかな法律違反を犯しての黒川人事、その延長線上の検察庁法改正案の特例規定、こんなに露骨な内閣の人事介入を改正法で制度化しようとするのを座して黙していてよいのか。声を上げたくてもできない現役の後輩たちのためにも行動を起こすべきだ。

 今回の行動は、私の初めて起こしたそれである。

 今は、国民と共に声を上げてよかったと思っている。検察庁法改正案は廃案になったわけではない。今後もその行方に注視していきたい。

 最後に一言。今回を含めて6回にわたり、黒川定年延長人事と検察庁法改正案の特例規定の問題点について論述したが、稲田氏、黒川氏、林氏が司法修習生時代に、私は司法研修所の検察教官を務め

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