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東京地裁が女子医大に損害賠償命じ、控訴審で和解成立

東京女子医大病院「補助人工心臓治験訴訟」⑥

出河 雅彦

 より有効な病気の治療法を開発するために人の体を使って行う臨床研究は被験者の保護とデータの信頼性確保が欠かせないが、日本では近年明らかになったディオバン事件にみられるように、臨床研究をめぐる不祥事が絶えない。この連載の第2部では、患者の人権軽視が問題になった具体的な事例を検証する。その第4シリーズとして取り上げるのは、2007年に補助人工心臓の臨床試験の被験者となり、その後死亡した患者の遺族が臨床試験の実施計画書(プロトコール)違反を理由に東京女子医科大学に損害賠償を求めた訴訟である。その最終回となる本稿では、東京女子医大に損害賠償の支払いを命じた東京地裁判決と控訴審で成立した和解の内容を紹介する。

東京女子医科大学病院
 東京女子医大病院で補助人工心臓の治験の被験者となって植え込み手術を受け、2008年10月に死亡した患者(以下、T子さんと言う)の遺族(T子さんの母親と二人の姉)が東京女子医大を相手取り、約3100万円の損害賠償の支払いを求める訴えを東京地方裁判所に起こしたのは2011年6月30日だった。それから2年8カ月後の2014年2月20日、東京地裁(菅野雅之裁判長)は約860万円をT子さんの母親に支払うよう東京女子医大に命じる判決を言い渡した。

 この訴訟では、T子さんが治験の実施計画書(=プロトコール。東京地裁判決は「プロトコル」と表記しているので、判決内容を紹介する際はプロトコルを用いる)が定めていた除外基準(体表面積が1.4㎡未満の患者は治験の被験者から除く)に該当するか否かが最大の争点であった。この点について東京地裁は「除外基準に該当していたと認められる」と、原告側の主張を認めた。

 判決は、厚生労働省が医療機器の治験の実施方法を定めた医療機器GCP省令に「プロトコルの遵守を求める各種規定が存在する」としたうえで、原告側が提出した内田英二氏(原告代理人弁護士の依頼で意見書を作成。意見書作成当時、昭和大学研究推進室長)の論文「プロトコルの読み方」(『臨床薬理』34巻6号、2003年11月)を引用し、「プロトコルが遵守されないと、治験によって得られたデータの信頼性に問題が生じ、被験者を不必要な危険にさらすことになるとして、治験においてはプロトコルの遵守が最も重要であると指摘されている」と述べた。さらに判決は、内田氏の同じ論文を引用して、「除外基準の設定についても、『基準にあてはまるか否かを正確に判定できるよう、臨床検査値や期間に関する事項を可能な限り数値で表現する。除外基準の設定根拠を明記する』べきであるとの指摘が記載されているところでもある」としたうえで、「プロトコル中の除外基準については、基準にあてはまるか否かを正確に判定できるよう明確かつ具体的に設定されており、また、治験責任医師としてはこれを遵守することが求められているということができる」と述べた。

 すでに繰り返し述べてきたように、この訴訟では、手術直前の測定値に基づき、「体表面積は除外基準に該当する1.4㎡未満であった」とする原告側と、入院時の体表面積が1.48㎡であることを根拠に「除外基準に該当していなかった」とする被告側の主張が真っ向から対立した。

 この点について判決は、「治験が、未だ人体に対する安全性が確認されておらず、医療行為として認可を受けていない段階において、人体に対する侵襲を伴う行為を実施する性格を有するものであることを勘案すれば、プロトコルは、その治験の内容、方法を画するものとして、治験実施の正当性を基礎付ける意味合いを持つものというべきである。そうすると、少なくとも人体に対する安全性に関わる事項については、データの正確性の担保のために止まらず、被験者保護の観点からも、医療行為の場合と比べてより慎重な対応が図られ、厳格な解釈がされるべきであり、安易に治験実施者の裁量を認めることは相当といえない」と指摘した。そのうえで、T子さんが被験者となった補助人工心臓の治験の除外基準が定められた趣旨は「エヴァハートを植え込む胸腔・腹腔スペースが十分でない体格の小さな患者を除外し、エヴァハートによる周辺臓器等への圧迫によって合併症が生ずる危険性を避けることにあるのであるから、本件除外基準が人体に対する安全性に関わる事項を定めるものであることは明らかである」から、「その解釈に当たっては、データの正確性の担保及び被験者保護の観点の両面から厳格性が求められるというべきである」との見解を示した。

 東京地裁は治験実施計画書の記載内容を具体的に検討したうえで、T子さんが除外基準に該当していたと判断した。その理由を判決文から以下に引用する(元号表記の後の西暦は筆者が書き加えた)。

 「患者の体格」については、「身長・体重の測定は、直近、または、入院時のデータで可とする」と要件が緩和されているが、本来、ベースライン検査は、「本治験機器の植込み手術開始前24時間以内に実施するものとする」とされているものであり、「データで可とする」という記載ぶりからしても、何らかの事情により手術開始前24時間以内ないし直近での測定に支障がある場合等には入院時のデータで許容されるものの、本来は、手術に近接した時点のデータを用いることが予定されているものであると解される。また、治験によって得られるデータの信頼性という観点から見ても、入院から手術の実施までに患者の体重に大きな変動が生じ得るほどの長期間を遡って入院時のデータを用いるのでは、除外基準等を判定する際のデータとして問題があるといわざるを得ず(略)、直近のデータが存在するのに敢えて長期間遡って入院時のデータを用いることが予定されていたとは解し難い。

 しかも、本件プロトコルがエヴァハート植込み手術のための治験実施計画書である以上、当然に、除外事由該当性の判断も同手術の実施を行うことが可能であるか否かを判断する際に必要になるものであり、そもそも治験への参加や同手術の実施が何ら取りざたされていない時点で、除外事由該当性が議論される余地はないはずである。例えば、本件においては、別紙事実経過表のとおり、亡T子に対して、補助人工心臓の必要性(内科的治療の限界)やエヴァハートについて初めて説明があったのは、平成19年(2007年)2月8日のことであり、この時点以降、具体的に、本件治験への参加やエヴァハート植込み手術の実施が問題となったわけであるから、まずは、この時点において、除外事由該当性に関する最初の判断をすべきことになるはずであり、この時点で、8か月以上も過去に遡り、急性心筋梗塞を発症して入院した際の数値を前提に除外事由該当性を判断するということは考え難いというほかない。以上のような考察を前提にすると、文言を形式的に解釈するとしても、事柄の性質上、本件除外基準における「入院時のデータで可とする」とされている「入院時」とは、エヴァハート植込み手術を目的として入院した(または、本件のように入院が継続している場合には、その入院がエヴァハート植込み手術を目的とすることになった)時点を想定したものであり、それ以前に何らかの目的で入院した時点を指すものではないと解するべきであり、ましてや、入院から手術の実施までに患者の体重に大きな変動が生じ得るほどの長期間を遡って入院時のデータを用いることは想定していなかったといい得るものである。被告は、BSAに基づく除外基準が設けられているのは、極端に体格が小さい人を除外する趣旨であり、被験者の体格は体重が変化しても大きく変化するものではないから、長期間を遡った数値であっても、1.4㎡に達していれば問題ない旨主張するが、このような解釈は、プロトコルにおける人体に対する安全性に関わる事項についてこれまで判示したところに照らせば、採り得ないものであるし、被告主張のとおりであれば、体格が一旦固まった時点以降であれば、どの時点の数値を取り上げてもよいことにつながるが、本件除外基準がこのような考え方に立っていないことは明らかである。

 また、実質的に見ても、本件においては、(略)入院して3か月後に体重の測定が開始された後、一度も1.40㎡を超えないまま、本件植込み手術の実施が決まり、手術が実施されたという事情が認められるのであって、このような事情があるのに、敢えて入院時のデータを用いて医師が除外基準に該当していないと判断することは不合理であるから、形式面、実質面、どちらの側面から見ても、亡T子は、本件除外基準に該当していたといわざるを得ない。

 このように東京地裁判決はT子さんに対する補助人工心臓の植え込み手術が治験実施計画書に違反して行われていたことを明確に認めた。被告の東京女子医大は訴訟の中で、「プロトコルからの逸脱があった場合にも、直ちに治験の違法性に影響を及ぼすものではなく、民事法上の責任が問題になるとしても、責任の有無については、当該プロトコルの目的・趣旨、逸脱の態様・程度等も考慮して判断すべきである」旨の主張をしてきた。判決はこの点について、「プロトコルの内容は、現実には、被験者において治験に参加するか否かを判断するに際して、唯一の客観的な資料になるものと考えられ、被験者は、治験に参加するに当たって、当然にプロトコルの内容が遵守されることを前提にしているものと考えられる。したがって、両当事者の合意内容という意味合いにおいても、プロトコルの内容は、合意の一部を形成するものというべきであるから、その違反は、民事法上の違法性を有するものと認められるべきである」との判断を示した。

 判決は、①直接死因は脳出血で、その原因は敗血症である、②感染性脳動脈瘤の存在は認められず、胃の穿孔部周囲、術創いずれにおいても活動性の感染は認められなかった――という病理解剖結果に基づき、「胃穿孔から敗血症を発症して死亡につながったといった機序は認めることができない」とした。その一方で、脳血管障害が補助人工心臓による治療に伴う合併症として最も多く認められるものの一つであることを指摘し、「エヴァハートの植込みによる何らかの悪影響が引き金となって、亡T子が脳出血を起こし死亡したと考えることは十分な合理性を有するものであるというべきである。そうすると、エヴァハートの植込みの影響と亡T子の死亡との間には、因果関係の存在を認めることが相当である」との判断を示した。

 被告の東京女子医大は、T子さんの術前体表面積が1.4㎡を下回っていたことと死亡との間の因果関係の必要性を指摘したり、T子さんの原疾患による予後不良などを理由に補助人工心臓の植え込み手術を受けなかった場合においても実際の死亡時点で生存していた高度の蓋然性はないから義務違反と死亡との因果関係はないと主張したりしてきた。しかし判決は、除外基準に該当していたT子さんを治験に参加させたことで、「本件植込み手術の実施自体が違法のそしりを免れ得ないものとなる以上は、本件植込み手術の実施と生じた結果との間の因果関係を論ずれば足りるものである」などとして、被告の主張を退けた。

 この訴訟では、T子さんが除外基準に該当していたか否かと並んで、植え込み手術のビデオ撮影を行わなかったことや、補助人工心臓を考案した山崎健二医師がT子さんと家族に説明を行ったことが争点となったが、東京地裁は、これらの争点については判断を示さなかった。その理由は、除外基準に該当していたT子さんを治験の被験者として植え込み手術を行ったことが「プロトコル違反」であり、この義務違反とT子さんの死亡との間には因果関係が認められるので、「原告ら主張のその他の本件プロトコル違反の有無等や説明義務違反の有無等については判断の必要を認めない」というものだった。

 この判決に対し、東京女子医大は東京高等裁判所に控訴した。

 2014年5月12日付の控訴理由書では、体表面積基準を算出する際の身長・体重の値について補助人工心臓の植え込み手術の「直近」のデータと「入院時」のデータの双方がある場合、どちらのデータを用いてもよいというのが、治験実施計画書を作成した治験依頼者の株式会社サンメディカル技術研究所の作成意思であり、「入院時」のデータより「直近」のデータの方が優先するという東京地裁判決の解釈は誤りである、と主張した。また、入院時から手術実施までの入院期間が、患者の体重に大きな変動が生じ得るほどの長期間(T子さんの場合は10カ月)であっても、入院時の体重をもって除外基準を判定しても、データの信頼性を損なうことはない、と主張した。その理由として、①補助人工心臓の適応となる重度心不全患者の場合、機能低下した心臓の負担を軽減させるため、高度な水分制限や利尿剤使用により体重が減少することはよくあること、②補助人工心臓の適応は、内科的な治療を尽くしても救命できない重度心不全患者に限定されているので、除外基準該当性の判定をする時点では、すでに入院が長期にわたっていることもよくあること――を挙げた。

 さらに東京女子医大は、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)における製造販売承認審査でも、T子さんの事例は除外基準に該当しないと判断されたことを、主張の根拠として取り上げた。エバハートは2009年1月に製造販売承認申請が行われ、2010年12月に厚生労働大臣が承認した。すでに述べたように、審査に当たったPMDAの審査報告書(2010年10月29日付)は国立循環器病センターで治験の被験者となった直後に心停止状態となり、その後死亡した患者の治験継続確認の際の代諾者の同意の効力については疑問を呈し、継続治験のデータの一部を「GCP(※筆者注=薬事法に基づく治験の実施に関する基準=厚生労働省令)不適合」と判断したことが記されている。同じ審査報告書には、T子さんの遺族が起こした訴訟で争点となった「除外基準該当性」などについて、実地調査と「医事法制の専門家、臨床業務等に従事する専門家等外部専門委員」の意見を聴く専門協議を踏まえてのPMDAとしての見解が記されているので、その該当箇所全文を以下に引用する。

  •  治験の除外基準への該当性について
     治験実施計画書では除外基準として「BSA(体表面積)<1.4㎡の患者」、ベースライン検査として「身長・体重の測定は、直近、または入院時のデータで可とする」が規定されている。
     入院時のBSAが1.4㎡以上であり、植込み直近に測定された身長・体重により算出されたBSAが1.4㎡未満であった患者が被験者として選定されたことについては、専門協議においては、当該被験者は治験実施計画書の除外基準にはあたらないとされ、総合機構としても、GCPの規定に照らして特段の問題があったとは言えないと判断した。
  •   インフォームドコンセントの取得経緯について
     治験実施計画書では、本治験機器の考案者であり治験依頼者の役員と血縁関係にある医師が治験分担医師に加わっていても症例報告書の作成記入等、評価判定に一切関与しないこととする旨規定されている。総合機構の実施したGCP調査においては、当該医師が症例報告書の作成・記入を行った記録は確認されなかった。また、治験参加への同意取得の前に、当該医師から当該被験者本人及び家族に対して疾患や治験機器に関する説明が行われたことが記録され、同意取得の際には、他の治験分担医師から説明が行われ治験参加の意思確認がなされたことが記録されていた。
     専門協議の議論を踏まえ、総合機構としては、当該実施医療機関における被験者の治験参加に関する同意取得の経過について、GCPの規定に照らして特段の問題はないものと判断した。
  •   ビデオ撮影について
     治験実施計画書では、全ての実施症例につき、植込み手術の開胸から閉胸までの全手術過程につき、当該実施医療機関にてビデオカメラで撮影すること、及び当該映像は、原資料として保管する他、治験依頼者にそのコピーを提供する旨、規定されている。
     当該医療機関で実施された1症例についてビデオ撮影が行われず、治験実施計画書から逸脱したことについては、治験責任医師から治験依頼者へ文書により報告され、GCPの規定に基づいた逸脱時の手続きが適正に実施されていたこと、また、治験依頼者のモニターによる手術当日のモニタリング報告書に、治験実施計画書からの逸脱としてビデオ撮影が行われなかったことが記録されていたこと等から、専門協議の議論を踏まえ、GCPの規定に照らして特段の問題はないものと判断した。

 PMDAの審査報告書は、T子さんを治験の被験者としたことやT子さんや家族への説明と同意取得など、T子さんの遺族が起こした訴訟の争点のすべてについてGCP違反を認めず、「特段の問題はない」と結論づけている。ただし、そのような結論を出すまでの議論の詳細や結論の根拠は審査報告書には記されていない。また、PMDAは、治験の実施計画書で定められていた「体表面積1.4㎡未満」という除外基準についても、エバハートの承認条件とはしなかった。その理由についてPMDAは、T子さんに対する植え込み手術後の経過にも触れながら次のように審査報告書に記している(下線は筆者による)。

 本品を適用する患者の体表面積については、献体による検証結果を踏まえて原則1.4㎡以上としている。治験において胃穿孔を生じた患者は体表面積1.4㎡程度で、臓器圧迫が継続的に生じていたと考えられる。専門協議における議論を踏まえ、本症例の死因とされている脳出血と本品の関連性は否定できないと考えるが、脳出血は植込み型補助人工心臓において一般的に予想される有害事象である。また、本症例では、胃穿孔修復術の際にアスピリン及びワルファリンを中止し、術後ワルファリンを増量投与していることから、胃穿孔手術が脳出血のきっかけとなった可能性は否定できないものの、直接の原因ではないものと考える。なお、胃穿孔は植込み型補助人工心臓において予想される有害事象であり、本品特有の事象ではないと考える。一方、体表面積については、植え込みを検討する際の一つの目安になるものであり、体表面積のみをもって本品の適用を判断することは適切ではないと考える。体表面積が1.4㎡未満であっても適切な植込み領域が確保できる等、特に本品の適用を必要とする場合には、本品を慎重に適用することを検討することが可能な場合もある。逆に、体表面積が1.4㎡以上であっても体格によっては本品を植え込む領域を得ることができない患者が存在する可能性もあり得る。したがって、添付文書の禁忌欄に「十分な経験を有する医師により、患者の体格、体表面積、植込み予定部位の解剖学的状況等を総合的に判断した結果、適切な植込みができないと判断された患者。」と記載することは妥当と判断した。

 なお、筆者が情報公開法に基づいて行った行政文書開示請求に対して厚生労働省が開示した承認審査資料の中に含まれていた「審査報告書(案ver.4)」というPMDAの文書(2010年10月26日付)では、「体表面積1.4㎡未満の患者」を添付文書の原則禁忌欄に記載することを妥当とする、以下のような見解が示されており、最終的に公表された審査報告書(2010年10月29日付)とは添付文書に記載する内容が異なっている(下線は筆者による)。

 本品を適用する患者の体表面積については、献体による検証結果を踏まえて原則1.4㎡以上としているが、治験において胃穿孔を生じた患者は体表面積1.4㎡程度と小柄で、臓器圧迫が継続的に生じていたと考えられる。専門協議における議論を踏まえ、体表面積が1.4㎡未満であっても適切な植込み領域が確保できる等、特に本品の適用を必要とする場合には、本品を慎重に適用することを検討することができる可能性もあると考える。逆に、体表面積が1.4㎡以上であっても体格によっては本品を植え込む領域を得ることができない患者が存在する可能性もあると考える。したがって、添付文書(案)の原則禁忌欄に「体表面積1.4㎡未満の患者」と記載し、警告欄に「本システムを使用するにあたっては、適切な植込み領域が得られることを十分に確認すること」と記載することは妥当と判断した。

 このように、10月26日時点の審査報告書案と最終的な審査報告書では添付文書の記載内容に関する見解が異なっており、最終的に、体表面積基準を設ける必要はないと判断されたことがわかる。エバハートの治験の被験者の一人であったT子さんの体表面積を「治験実施計画書の除外基準には該当しない」とした東京女子医大病院について「GCPの規定に照らして特段の問題があったとは言えない」とPADAが判断することと、市販されたエバハートをどういう患者に用いるかを医療機関が判断するうえで重要な手がかりとなる添付文書に体表面積基準そのものを記載する必要がないと判断することは、別の問題だが、体表面積基準が不要とされた理由は不明である。

 被告である東京女子医大は一審段階でPMDAの見解を前面に出して自らの主張を補強することはあまりなかった。しかし、一審で敗訴した後の控訴審では、PMDAのほか、東京女子医大病院の治験審査委員会、エバハートの治験の効果安全性評価委員会がいずれも、「身長・体重の測定は、直近、または、入院時のデータで可とする」というプロトコールの規定を「文言通りに解釈」して除外基準に該当しないとの見解を示したことを指摘し、「原判決の解釈が、解釈の限界を超えた誤ったものであることを裏付けている」と主張した。東京女子医大は、「一審判決の解釈は、当社のプロトコール作成時における、作成意思に反している」というサンメディカル技術研究所品質保証グループ薬事チームリーダーの意見書(2014年4月17日付)や、T子さんに対する説明にも同席した東京女子医大病院の治験コーディネーター(看護師長)の「T子さんがプロトコール上の選択基準に該当し、除外基準に該当しないことを確認した。体表面積が除外基準に当たらないことはサンメディカル技術研究所の治験統括責任者にも確認した」という趣旨の書面(2014年4月21日付)を証拠として提出した。

 東京高裁は東京地裁判決から約3カ月後の2014年5月12日に行われた第1回口頭弁論で弁論を終結させて結審し、和解を勧告した。和解は同年7月16日成立した。訴訟の当事者双方が和解内容を口外しないことが和解条項に盛り込まれているため、筆者は東京地裁の民事記録閲覧室で訴訟記録を閲覧し、訴訟の経過と和解内容を確認した。

 和解調書によれば、東京女子医大が原告であるT子さんの母親に支払う和解金は、東京地裁判決が支払いを命じた賠償金より約160万円少ない700万円だった。和解調書の別紙に記載された和解条項には、「控訴人は、被控訴人に対し、T子やその家族に対する説明が必ずしも十分でなかったこと、本件診療経過及び結果の重大性から、本件和解金として、700万円の支払い義務があることを認める」と記された(「控訴人」は被告である東京女子医大、「被控訴人」はT子さんの母親を指す。本名で記載されているT子さんの名前は仮名とした)。このほか和解条項には、東京女子医大が①T子さんが同大病院において補助人工心臓の治験に参加し、入院中に、脳出血により死亡したことについて、深く哀悼の意を表する、②本件を貴重な教訓として、治験においては未だ安全性が確認されていない医薬品ないし医療機器が人体に適用されることについてあらためて認識を深めるとともに、同大病院における治験の実施に際しては、被験者の選定・除外に関する規定をはじめ、治験実施計画書(プロトコル)を遵守し、また、被験者やその家族に対する適切な説明・情報提供に努めることを約束する――ことも盛り込まれた。

 筆者は2019年2月、東京女子医大に対し文書で取材を申し入れ、①遺族の調査要求を拒み続けた理

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