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検察人事への政治介入をはね返した護送船団時代と受け入れたこの4年の違い

AJ10年記念ウェビナー①

村山 治

 2020年は検察と政治の関係が厳しく問われ、国民の関心事となった年として歴史に刻まれるかもしれない。安倍晋三首相と菅義偉官房長官(現首相)ら官邸による2016年以来4年間の検察人事への介入が極まり、安倍・菅政権は、介入をより容易にする法案まで策定して国会を通そうとしたからだ。その経緯を「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」(AJ)で克明に報じてきたジャーナリストの村山治氏と、AJの編集人を務める朝日新聞編集委員の奥山俊宏が、AJ10周年を記念し、7月20日夜、ズームのウェビナー機能を利用して読者の前で対談した。その一問一答を加筆・修正の上で数回に分けて紹介する。本稿はその第1回。

 奥山: みなさん、こんばんは。
 「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」10周年記念オンライン座談会をただいまから始めます。
村山治氏(左)と奥山俊宏=2020年7月20日夜、ズーム上
 「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」――略して「AJ」と呼ぶこともございますけども――、AJは朝日新聞社のインターネット新聞(ニュースサイト)として2010年7月21日に記事の発信を始めました。本日の夜中の12時をもって満10年となります。それを記念してZoomを利用してオンライン座談会を開くことといたしました。私は奥山と申します。
 本日のゲストは村山治さん。
 毎日新聞と朝日新聞で主に社会部の記者として活躍され、いまはフリーで、通算50年近くにわたって事件記者として活躍してこられました。私どもの業界では本当に「伝説の事件記者」として、わたくし若いころから仰ぎ見る存在でした。
 村山さん、きょうはよろしくお願いいたします。

 村山氏: 村山治です。よろしくお願いします。

AJ創刊に関する朝日新聞社のお知らせ=2010年7月21日
 奥山: 村山さんは徳島県出身で、1973年、早稲田大学政治経済学部を卒業したあと、毎日新聞社に入りました。福井支局、京都支局、大阪社会部、東京社会部で活躍し、政治とカネの問題、薬害エイズの疑惑追及で知られた存在となり、1991年(平成3年)、引き抜かれる形で朝日新聞社に入りました。以後、社会部、特別報道部でバブル崩壊後の過程で明るみに出た経済事件、金融機関の破綻などの取材に携わりました。10年前、2010年7月に「法と経済のジャーナル AJ」がスタートする際には、その言い出しっぺの一人として、その企画・運営に携わりました。3年前(2017年11月)に朝日を退職して、フリーランスとして引き続き活躍しておられます。
 「法と経済のジャーナル」、10年となりますけれども、村山さんいかがでしょうか。

スタート時点のAJトップページ=2010年7月21日
 村山氏: いやもう10年経っちゃったんですね。早いですね。本当に昨日のことのようです。いまはテレビ朝日の役員になってる朝日新聞社の編集担当幹部から、こういうウェブジャーナルをやらないかという話があって、それでさっそく奥山君に声をかけて、いろいろリサーチしましたね。いろんな形ができるんじゃないかって、あれこれ検討しましたけど。まあ最終的にこういう形になった。
 2010年7月21日に最初に公開した「主なトピックス」を見ると、この上から2番目の「検察、憲法の大臣不訴追特典を意識 鳩山氏聴取見送り」、下から3番目の「証券監視委・佐渡委員長」のインタビュー記事、これらは私、力を入れて書いた記憶があります。

 奥山: この「法と経済のジャーナル」が始まりました当時は民主党政権で、鳩山由紀夫さんが総理大臣を最初に務め、そのあと菅直人さんに引き継がれてしばらく過ぎた頃でした。鳩山さんは総理大臣でありながら自身に政治資金規正法違反、あるいは相続税法違反の嫌疑をかけられていて、検察がその事件をどう処理するかが一つの焦点となっていました。まさに政治と検察の関係を象徴する非常にきわどいところの事件だったと思います。
 さて、本日取り上げようと思っておりますのは、その検察と政治の関係です。
 今年は、検察と政治の関係の話題が世間の大きな注目を集めました。政治と検察の関係に多くの皆さんが注目するところとなりました。1月、東京高等検察庁の検事長、すなわち、法務・検察当局ナンバー2の地位にあった黒川弘務さんについて、通常ならば満63歳の定年で退官となるべきところ、安倍内閣は、その定年(勤務)を無理矢理延長いたしました。前代未聞のできごとでした。
 さらに、3月13日、安倍内閣は、検察幹部の人事に政治の意向、内閣の意向をより反映しやすくする検察庁法改定を含む国家公務員法改正法案を国会に提出し、5月、それを成立させようとしました。
 このように、検察の人事に政府官邸、内閣官房が露骨に手を突っ込んでくるというふうな事態になったことに対して、5月、それに反発する世論の大きなうねりが起き、6月、法案は審議未了で廃案となりました。
 一方、渦中の人となってしまった黒川さんは賭け麻雀の問題を週刊文春によって暴露され、辞職しました。その代わりとして、名古屋高等検察庁の検事長だった林真琴さんが東京高検の後任の検事長となり、先週金曜日(7月17日)、検事総長に就任しました。

 多くの人にとっては、安倍内閣による検察人事への異例の介入は、今年になって突如として起きた問題であるように見えているかもしれませんけれども、実はこの問題は、4年前、2016年9月の法務省人事に端を発しておりまして、この問題について「法と経済のジャーナル」ではその4年前から継続的に村山さんの原稿を扱ってまいりました。
 「官邸の注文で覆った法務事務次官人事『検事総長人事』に影響も」「検察独立の『結界』は破れたか 政治と検察の関係を考える」という見出しで、2016年11月22日に「法と経済のジャーナル」に掲載されたのがその最初の記事です。
 村山さんはその前文に次のように書いています。

 検察と政治の関係に変化が見える。それを象徴する出来事があった。今(2016)年9月に発令された法務・検察の幹部人事で、法務省が作成した法務事務次官の人事原案が官邸によってひっくり返され、それと連動して検事長の人事も変更されたのだ。1970年代以降半世紀にわたり、時の政権は、検察を抱える法務省の人事については、口をはさむことはなかったとされる。「政治からの独立」という検察の「結界」はついに破れたのか。(https://webronza.asahi.com/judiciary/articles/2716111900001.html

 このあとも、この安倍政権の官邸による検察人事への介入は続きました。2017年9月の人事、2018年1月の人事、昨年2019年1月の人事。そして今年2020年1月31日の人事、これは黒川さんの異例の定年延長(勤務延長)を決めた人事です。それぞれ節目に村山さんは「法と経済のジャーナル」に原稿を寄せてくださいました。
 5月以降、この問題は世間で大きな注目を浴び、いろいろな人がいろいろなことをいろいろなところで語っておられますけれども、その基礎となる情報、その前提となっている、法務省の人事、検察の人事がこの4年間、安倍政権の官邸による異例の介入を受けてきたという事実関係については、ほぼすべて、村山さんが「法と経済のジャーナル」で発表してきたこれらの記事を根拠にしていると言って過言ではないと思います。人事という、通常は外部の人からうかがい知ることの非常に難しい、そもそもが機微にわたるセンシティブな内容の話でありますため、ふつうの記者がその舞台裏を確信をもって記事にするということはまず無理だと思います。それが「法と経済のジャーナル」において可能となったのは、村山さんが取材した結果であり、村山さんが執筆した原稿だったからです。
 村山さん、なぜ、この問題を追いかけようと思ったのでしょうか。

 村山氏: 検察庁という役所について、私は、若い頃は警察と同じような捜査機関の一つと見ていました。しかし、ちょうど東京地検特捜部を記者として担当した1980年代の半ばから、東京の検察、つまり最高検や法務省など法務・検察中枢の実態を見て、これは普通の捜査機関じゃなくて、まあなんといいましょうか、一定の政策的目的をもって捜査権限を行使する、準司法的な、強力な官僚組織、権力機関であると思うようになりました。
 新聞記者のときから、どうしてもやりたいなと思ってきたテーマの一つが、国家権力の「はらわた」を見るということでした。そういう意味でいうと、検察というのはまさしく「はらわた」に当たるなというふうな思いをもちまして、以後ずっとそういう観点で検察を見てきました。
 私のことを「検察記者」と言う人もいるんですが、実際に司法記者クラブに在籍して検察を取材したのは大阪で1年、東京で1年半ぐらいで、あとはずっといわゆる遊軍の調査報道記者として記者クラブの外から検察を取材対象にしてきました。折に触れて検察幹部から話を聞いたり、検察OBの弁護士さん、はたまた、大蔵・国税など検察と関係が深い人たちから話を聞いてですね、取材メモを残していくわけなんですけども、私はそれらを「検察権力論」という名前のフォルダーに入れています。

 奥山: 「検察権力論」?

 村山氏: そうです。権力としての検察ですね。検察権力論。私のフォルダーの名前がそうなってまして。そのフォルダーにずっと、日々、検察関係者などから聞いた話、それに対するその当時の私の見方を書き溜めてきてるんですね。それをずっと続けています。これまで何冊か、検察がらみの本を出していますけども、すべてそのフォルダーの記録をベースにして書いています。

 奥山: いわゆる司法記者クラブに所属して、そこで検察担当という役割を会社、新聞社から、あるいはテレビ局から割り当てられて、検察庁に出入りして検察官を取材するという仕事を、私も20年あまり前に担当していた時代がありましたけれども、村山さんの場合はそういうわけではなかったということですか?

 村山氏: いいえ、もちろん最初はですね、検察の一挙手一投足を追ってふつうに夜討ち朝駆け取材をしました。毎日新聞の大阪社会部にいた時代に、大阪の司法記者クラブで検察を1年間担当し、その後東京に来て、毎日新聞の東京社会部で東京の司法記者クラブでまた検察を1年半弱、担当しました。そのときは、「でき」は別にして、司法記者クラブの加盟記者として他社と取材競争をしてきました。ただ、司法記者クラブを卒業して社会部の遊軍記者になって以降は司法記者クラブには加盟せず、調査報道の一環として必要に応じて検察取材をしてきたということです。司法記者クラブで検察を担当すると、その後、裁判担当や本社の遊軍記者、別のクラブ取材などを経て司法記者クラブのキャップになり、さらに司法担当のデスクになるコースもあるのですが、私は管理職には向かないとの自覚がありましたので、希望してずっと現場の記者としてやってきました。
 調査報道記者としていろんな事件、政治とカネだとか、命にかかわる話を追っかけていくと、どうしても検察につながってくるんですね。それらの問題を検察が刑事事件として立件することもありますし、そうならないこともある。ならなくても、法令違反の疑いがあれば、調査報道で記事を書く場合に書きやすくなるわけです。だから、追っかけているテーマに刑事事件の切り口がないか、見極めようとする。なんとなく検事と同じような発想になって取材することになっていくんです。そういう中で、取材の見立てが正しいかどうかを確認する意味でも、検察関係者と情報交換することになるんですね。
 そういうこともあって、遊軍記者になってからも、ずっと検察の取材はしてましたね。もちろん、特捜事件が勃発すると、遊軍記者の立場で司法記者クラブのアシスト取材をすることもある。朝日新聞に移籍してから特にその機会が増えましたね。そのときは、捜査の本筋の取材もします。が、あくまでお手伝いであり、司法記者クラブ員のように他社との競争にしのぎを削るわけではない。
 とはいえ、大型の特捜事件はネタの宝庫です。政治や企業社会の矛盾に切り込む切り口がいっぱいある。そういう問題について、検察捜査では直ちに切り込めないが、報道で歪みを正すことはできるのではないか、などと検察関係者と議論することもありました。そういう中から素材を発掘し、調査報道で構造的な問題点を記事にしたこともあります。私にとっては、結構、楽しい時間でしたね。
 同時に、意識して、検察が検察権を発動するときの意思決定の過程を聞き出し、逆に発動を見送ったときにも、その理由と検察部内でどういう議論があったかを取材するようにしてきました。それらはすぐ記事にならないことも多いのですが、いわば権力機関としての思想と行動の全体像、そういうものを見るように心がけてきました。

 奥山: 目の前にある事件への検察の対応を日々追いかけるのに汲々としてしまう記者が多い中で、それとは別の観点から検察と向き合ってきた。国家権力の「はらわた」である検察を追いかけてきた。ふつうの記者との、そこが村山さんの違いであり、強さの理由なのかもしれません。
 国家権力は日本でもアメリカでも立法・司法・行政の3つの権力に分けてお互いに監視、牽制、抑制しあわせるっていう、そういう統治構造が採られています。検察は、法務省の「特別の機関」として行政府に属しますが、一方で、司法とも密接で、その中軸のプレーヤーであると言って過言ではありません。国家権力の中にあって検察は行政と司法にまたがるユニークな立ち位置にあり、つまり、検察は国家権力の「はらわた」であるといえるのでしょう。
 首相官邸もまた権力の「はらわた」になる?

村山氏の新著『安倍・菅政権vs検察庁』の表紙
 村山氏: もちろん首相官邸も「はらわた」です。検察以上にダイナミックでドロドロの度合いも強い。ただ、記者として全部は見られないので、たまたま、告発型の調
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