AJ10年記念ウェビナー②
2020年12月25日
▽筆者: 村山治、奥山俊宏
▽この連載の第1回: 検察人事への政治介入をはね返した護送船団時代と受け入れたこの4年の違い
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村山氏: それは私もいっぱいあると思いますね。検察には起訴基準というものがあります。捜査した事件の起訴、不起訴を決める際の判断基準を指すのですが、明確な数値基準がある一方で、裁量的な相場観で不起訴にすることがあります。この10年でいうと、政治家では、小渕優子元経済産業相の政治団体を舞台にした政治資金規正法違反や甘利明衆院議員のあっせん利得処罰法違反がありました。小渕さんのケースは支援者向けの「観劇会」の収入を過少に記載するなどしたもので、関連団体の実質責任者の元秘書と資金管理団体の元会計責任者が在宅起訴されましたが、小渕さん本人は「関与が薄い」として嫌疑不十分を理由に不起訴となりました。
甘利さんの疑惑については、独立行政法人都市再生機構(UR)との補償トラブルを抱えた千葉県の建設会社側から甘利さん側が計600万円を受領したことを甘利さん本人が認めていましたが、検察は甘利さん側がUR側に不正な口利きをした事実は確認できないとして、本人、元秘書とも嫌疑不十分で不起訴にしました。不透明な事件処理ではないか、と一部マスコミが報じましたが、小渕さんの事件処理を含め、判例や法律制定時の法解釈の議論などから、まあ、納得できるものでした。
一方、どうにも検察のスタンスが腑に落ちない事件もありました。政治家は直接出てきませんが、2014年暮れに内部告発で発覚した東芝の会社ぐるみの粉飾決算疑惑では、市場犯罪の第一次調査機関であり、会計の専門家を擁する証券取引等監視委員会が告発相当として告発に向けた協議を求めたのに、検察側は本格的な捜査もせず「事件性がない」との見解文書を監視委に提示し、監視委の告発を牽制しました。その後も検察の姿勢は変わらず、監視委は告発のタイミングを失ってしまいました。多くの会計関係者がいまも、検察の判断に疑問を持っています。
森友事件では、2018年春に財務省による組織ぐるみの公文書改竄が発覚しました。公文書の改竄や毀損は、民主主義の根幹を揺るがすとんでもない公務員犯罪です。起訴すれば、裁判所は間違いなく有罪判決を出すと言う検察関係者もいましたが、検察は起訴を見送りました。公文書の毀損、改竄は、財務省ほどではないかもしれませんが、検察を含む役所では日常的に行われているため、起訴すると収拾がつかなくなることを恐れたのだと思います。
公文書の管理や開示のルール整備が欧米に比べて貧弱な日本に、真に国民のための公文書ルールを構築するきっかけになったかもしれない事件でした。この公文書改竄問題についての検察の判断は、国民のニーズに合っていなかったと今も思います。
一方、調査報道をしてきて一番面白いと思うのは、検察が本格的な捜査さえせずに見送った事件ですよね。取材してもなかなかモノにならないんですけれども…。見送り事件の中には、検察でさえ、メスを入れられない構造的で根の深いものがある。そこにこそ本当の意味での権力犯罪があるんじゃないかとずっと思ってまして。大型の政界汚職や大企業や金融機関の犯罪捜査で、捜査の費用対効果などを考慮して「枝切り」された疑惑にそういうものが多い気がします。しっぽを触るぐらいまではいくんですが、きちんとつかんで表に出すっていうことはなかなか難しい。それでも、忘れた頃に改めてその関係者が捜査対象になることもあります。そのときは「おお、やっと」という感慨に打たれます。
検察の起訴基準が厳格すぎるため、本来、起訴すべき人を起訴していない、それは国民の本当のニーズに応えていないのではないか、という問題意識は、かなり前から日本弁護士連合会などにありましてね。それを受けて法務・検察は司法制度改革で検察審査会による強制起訴の制度をつくりました。告発を受けて検察が捜査をして不起訴にした場合に、検察審査会が起訴相当を2回議決すると強制的に被告発者を起訴して法廷で公判を開くという、そういう制度で、2009年に運用が始まりました。
政界などが絡む権力犯罪の追及は、少しそれでましになったという感じですね。いまや検察官たちは検審(検察審査会)をものすごく意識して捜査をしてますよね。いい加減な捜査をすると検察審査会にいって、捜査記録を一般国民が見てしまうと。その恐怖感は検察官たちにものすごくあると思いますね。だから、捜査に対する気合の入り方が違います。非常に良い循環になっていると私は思っています。
奥山: たしかに、検察が自分の仕事をサボったり放棄したりした場合の最後の砦、ラストリゾートとして検察審査会がある、というのはその通りだと思うんですけれども、現実、「検察審査会があるからそれでいい」と言ってはならないと私は思います。捜査をする能力を持っているのは検察審査会ではなくて検察です。その検察が眠ってしまったら国民としては大きな不利益を被る。
村山氏: その通り。巨大な損失ですね。
奥山: これは村山さんとも以前いろいろと議論したことなんですけれども、いわゆる特捜検察、すなわち東京地検特捜部、大阪地検特捜部が国会議員を刑事立件したケースっていうのは戦後多々ありますし、国会議員の犯罪、権力犯罪に対して特捜検察が切り込むということが検察に対する国民的な要請になっていると私たちは考えているんですけれども、そうした特捜検察による国会議員の刑事立件が、2010年1月に石川知裕さんを逮捕・訴追して以来、秋元司さんが昨年(2019年)暮れに逮捕されるまでの10年近く途絶えていました。
戦後、特捜検察の歴史を見ると、ロッキード事件で1976年8月に田中角栄さんを訴追し、佐藤孝行さんとかを逮捕したんですけれども、そこからロッキード裁判で人的リソースを取られたということもあって、撚糸工連事件(1986年5月)まで9年9カ月間、特捜検察による国会議員の刑事立件が途絶えたことがありました。もうひと昔、時代を遡ると、日通事件(1968年)からロッキード事件(1976年)までの8年間も途絶えていました。
これらを超える長期の空白期間が、去年の暮れまで10年間あったということ、これはまさに特捜検察が眠っていたということの表れだったのかなというふうに考えられます。
村山氏: その通りですね。
奥山: この10年の間に東京電力福島第一原発の事故であるとか、甘利さんの疑惑であるとか、あるいは森友学園に関する決裁文書を財務省が改竄した問題であるとか、いくつか刑事処分相当の大きな事件ってあったような気もするんですけれども、これらはなぜちゃんと訴追されなかったのか。
よく黒川さんが官邸の守護神じゃないか、みたいな言いかたをする人がいます。村山さんはそのように書いたことは一度もないと思うんですけれども、どうお考えですか。
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