AJ10年記念ウェビナー③
2020年12月29日
▽筆者: 村山治、奥山俊宏
▽この連載の第1回: 検察人事への政治介入をはね返した護送船団時代と受け入れたこの4年の違い
▽この連載の第2回: 官邸の意向に沿う私的な政治捜査と本当の「国策捜査」、検察幹部の「起訴基準」
奥山: ロッキード事件は、検察が国民の支持を背中に受けて政治権力と闘うという、これは私ども記者にとっては、ある種の美しい物語といいますか、あるべき特捜検察の姿を国民に分かりやすい形で現出させた事件でもあったと言えると思います。
村山氏: 田中角栄さんが逮捕された頃というのは、たしか僕は(毎日新聞の)地方の支局にいて直接は捜査の取材をしてないです。だから「すごい事件だな」「東京地検特捜部ってすごいな」っていうイメージは新聞を読んでつくり、その後書かれた山本祐司さん(元毎日新聞記者)の本だとかああいうもので、若干刷り込みが入って、そういう目で検察とロッキード事件を見ていました。しかし、東京に転勤してきて、東京の特捜部を実際に取材してみて「あ、違うな」っていうふうに思ったんですね。石川達紘さんらの捜査を見て、権力犯罪を摘発するのは、講談のように快刀乱麻でできるものではないと知った。同時に、官僚組織特有のいやらしさ、保身、上昇志向。政界との関係も単純でないことがわかった。やっぱりだからよく見てみないといけないなと思って、それからずっと検察をそういうふうな目で見てるわけです。
事件全体を見ると、ロッキード事件というのは、アメリカの軍需産業が世界中に航空機、軍用機・民間機を売り込むために起こした巨大な贈収賄事件なんですよね。そのうちのほんの氷山の一角が、東京地検が摘発した田中さんの全日空に対する旅客機売り込みの口利きですよね。それで5億円渡されたっていう話になってるわけですけれども。ロッキード事件の全体としては全然、真相解明も全容解明もしてないと思うんです。それでも元首相で「闇将軍」と言われた本当の政界の実力者を逮捕するというのは大変なことなので、それはそれですごいとしか言いようがないんですけどね。やっぱり全体像を見ると、特に軍用機の売り込み、対潜哨戒機P3Cを防衛省に100機も売り込んだ経緯も、児玉誉士夫(戦後政界に絶大な影響力を誇った右翼)に21億円が渡ったその使途も解明してない。米国議会などが突き止めた贈収賄の事実を、資料をもらって、供述調書でなぞって起訴した。もちろん、田中角栄という強大な政治権力を被告人にするわけですから、周辺の容疑固めの捜査は生易しいものでなかったことは認めますが、まあ捜査としては、こんなこと言うと怒られますけど、大したことねえなって話ですよね。僕らが望むのは全容解明・真相解明ですから。
奥山: 私は2009年にアメリカに半年いたときに、村山さんのご指示で、この事件についてアメリカ側の公文書を探し、ワシントンに存命の人がいれば取材するという作業を行い、本にもしました。ロッキード事件について私が受けた印象の一つとして、あのとき1976年、このロッキード事件が世の中に暴露されたのは、あのときのアメリカの、あの瞬間の政治情勢があったからなんだ、ということです。
米議会上院のチャーチ小委員会(多国籍企業小委員会)は1972年に発足し、それから3~4年を経た75~76年にロッキード社から外国政府高官への不明朗な支払いを暴露した。それはなぜできたかというと、その当時の政治情勢があった。すなわち、ニクソン大統領がウォーターゲート事件を暴かれて、犯罪の嫌疑をかけられ、大統領の座を追われたのが1974年8月でした。田中角栄さんも同じ年の12月に、金脈の問題で総理大臣の地位を追われました。このような行政府のトップによる権限濫用や腐敗への嫌悪、そんな汚い政治じゃだめだ、政治をきれいにしなきゃいけないという世論の風、そういうのがアメリカでも日本でも、あの瞬間吹いていました。あの瞬間でなければ大統領や総理大臣に対する責任追及はできなかったんじゃないかなと感じています。
村山氏: それはたしかにありますね。ニクソン・共和党政権は、ベトナム反戦運動を抑さえ込むために国民を盗聴し、政権を追われました。司法省による捜査の過程で、航空機メーカーからニクソン政権への不正献金が発覚し、民主党議員のフランク・チャーチが委員長を務める上院の小委員会が追及に乗り出し、芋づる式にロッキード社の不正を暴いたのですよね。
それともう一つ要素があるとすると、アメリカでSEC(証券取引委員会)が強い権限を持つようになり、情報開示義務違反を厳しく摘発するようになったことを指摘できます。航空各社が次々に不正を告白した背景には、企業会計の開示義務を厳しくするSECの方針変更があったと思います。当時、米国による冷戦下の世界経済統治(ブレトン・ウッズ体制)は事実上破綻し、ドルは変動相場制に移行しました。あわせて、ケインズ型の経済政策から小さな政府へと市場メカニズムにもとづく政策への大転換が行われ、市場統治では、情報公開と自己責任原則が強調されました。SECの不正経理摘発強化はその一環でした。それによって、SECからいい資料が出てくるんですよね。
奥山: SECというのはアメリカ政府の証券取引委員会、Securities and Exchange Commissionですね。SECの規制強化で、企業は違法な政治献金をみずから調べて公表することを義務づけられます。資本市場に円滑に適正に投資家の資金が供給される、そういう投資のための環境をつくる必要性があり、企業の情報開示が強化された。その延長線上でSECはロッキード事件を暴きました。
証券取引委員会は政府機関ですけれども、それに加えて、議会の各種の委員会もそれぞれの権限を行使して、ロッキードなど企業の違法献金疑惑を追いかけました。それがなぜあの瞬間できたのかっていうと、先ほど申し上げました事情があります。すなわち、企業の情報開示が強く求められるようになった背景には、経済をうまく回すためという事情もさることながら、政府上層部の権限濫用や腐敗への嫌悪が極まったからだったという事情もあるように思います。
村山氏: それはもう間違いないですね。そして当時は、ロッキード社などの巨大企業や多国籍企業の横暴に対する国際的な批判がありました。ロッキード社は、現地の政府高官に贈賄して航空機などの商品を売り込む「不適切な営業活動」を展開し、それは全世界に及んでいました。イタリアやオランダ、ドイツ、インドなどでも秘密代理人を使った売り込み工作で巨額のリベートが支払われていました。日本で摘発された贈賄は、その断片を切り取ったものにすぎません。
ライバルのボーイングやダグラス、グラマン、ノースロップなどの巨大航空機メーカーも軒並み、ロッキード社と同様、秘密代理人を使って各国の政府高官に売り込み工作をし、リベートをばらまく商法を展開していました。米国では、ベトナム敗戦に伴う戦略の見直しで軍事予算が急減し、米航空機メーカー各社は、過剰生産ラインが生み出す軍・民用機を世界各国に売り込むことにしのぎを削っていたのですね。
ボーイング、ダグラス、グラマン社が、日本に対する旅客機や軍用機の売り込みでロッキードと競争していたことは、政官業界では周知の事実でした。米国では、それらの企業に対しても、追及を続け、公聴会などで日本工作に関する重要証言も出ていました。
グラマン社の軍用機の日本への売り込み工作疑惑はSECの公表で79年に発覚し、ダグラス、ボーイングも含めた不透明な商戦の実態解明が期待されましたが、時効の問題や関係者の自殺を理由に、捜査が尻すぼみに終わりました。
奥山: ニクソン大統領の後任はフォードさんで「癒やし」がキーワードでした。1976年秋には大統領選が迫っていて、フォードさんとしては、米国内の世論の影響を受けやすく、政治腐敗への対決姿勢をある程度は示さざるを得ず、日本の検察に協力せざるを得ない立場でした。一方、日本では、田中さんの金脈の問題の逆風をかいくぐるために、自民党は、クリーンと言われていた三木武夫さんを総理・総裁にした。その三木さんの下だからこそ、あの田中さんを逮捕できたという側面があります。
村山氏: まあその通りじゃないですかね。
奥山: 田中さんを逮捕して起訴したことがもし正義なんだとすれば、そういう正義がなされるということが、あの瞬間ではなく、ふだんの検察にはできたのだろうか、できなかったのかもしれない、そういう疑問を抱かざるをえないかなという感じはします。実際、1979年のダグラス・グラマン事件の捜査では政治家は逮捕されませんでした。
奥山: 私ども、取材で接してきた検察官は、このロッキード事件の捜査・公判を一つの金字塔としてとても意識し、お手本として捉えていました。そういった意味では、今後、ロッキード事件の「栄光」がその時代その時代の現役検察官に与える影響がだんだん薄れ、金メッキが剥がれ落ちていったときに何が残るのかなっていうのはちょっと心配です。
村山氏: そうですね。2010年の大阪地検特捜部の不祥事が状況を大きく変えましたね。厚生労働省局長の村木厚子さんの共犯と見立てた部下の官僚に対する供述の誘導などずさんな捜査で村木さんが無罪判決を受けただけでなく、主任検事が無理筋の供述調書に整合するよう証拠のフロッピーディスクの内容を改竄していました。この不祥事を受け、検察は、供述調書至上主義からの脱却を目指すことになり、黒川さんや林さんら法務官僚が中心になって刑事手続き改革を行うのですが、法務省幹部の一人は「(ロ事件摘発で捜査の神様といわれた)吉永さんは、いまや検察にとって反面教師になった」と話していました。そこまでいうか、と思いましたね。
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