2021年02月06日
東京地検特捜部は2021年1月15日、元農水相の吉川貴盛元衆院議員を収賄の罪で在宅起訴。この1年間で訴追した国会議員は4人となった。近年にない政界事件の摘発ラッシュ。収賄の罪で起訴した2人に政治家立件で多用した受託収賄罪でなく、立証が簡単な単純収賄罪を適用するなど検察権行使の新たなスタイルもうかがえる。それは、「自然体の検察」とでも呼ぶべきものだ。
▽秋元司・衆院議員(東京15区)=2020年1月14日(収賄罪)、2月3日(同)、9月17日(組織犯罪処罰法違反=証人等買収)
▽河井克行・衆院議員(広島3区)=20年7月8日(公職選挙法違反=買収)
▽河井案里・参院議員(広島)=同。2021年2月3日辞職。
▽吉川貴盛・衆院議員(北海道2区)=2021年1月15日(収賄罪)。20年12月22日辞職。
読売新聞の記事「東京地検特捜部50年 『巨悪』追い続けた半世紀」(1997年11月10日朝刊)によると、戦後の混乱期の1948年に検察は昭和電工疑獄で国会議員8人を起訴。同時期に摘発した「炭鉱国管汚職」でも国会議員7人を起訴した。54年の造船疑獄でも5人を起訴したが、社会が落ち着くに従い政界事件の摘発件数、訴追人数は減少。76年のロッキード事件では3人、86年の撚糸工連事件では2人。その後も、間欠的に政界事件を摘発し政治家を訴追してきたが、1年間で政界事件を3件、計4人の国会議員を訴追したケースはなかった。
「快進撃」の初っ端は、IR(カジノを含む統合型リゾート)をめぐる汚職だった。特捜部は19年12月25日、元内閣府副大臣だった自民党の秋元司衆院議員(東京15区)を、IRへの参入をめざしていた中国企業側から370万円相当の賄賂を受け取ったとする収賄容疑で逮捕。翌20年1月14日、この370万円相当の賄賂の罪で起訴するとともに別の収賄容疑で再逮捕。秋元議員は一貫して容疑を否認したが、2月3日の追起訴を含めると起訴対象の賄賂総額は約760万円になった。
国会議員の職務にかかわる収賄罪での起訴は、2002年の鈴木宗男衆院議員(当時)以来、17年ぶりだった。
さらに、特捜部は、秋元議員が保釈後、知人を通じ贈賄側の業者に偽証を求め、その報酬として現金を渡そうとしたとして組織犯罪処罰法違反(証人等買収)容疑でも20年8月20日、再逮捕。9月17日、知人らとともに追起訴した。証人買収罪は、2017年に成立した共謀罪法案の一環で導入され、秋元議員らはその適用第1号となった。
東京地裁は2020年10月12日、贈賄側の2人に有罪判決を言い渡したが、秋元議員については公判前整理手続きが長引いており、初公判の日程はまだ決まっていない。
IRは、観光立国を目指した安倍政権の看板政策のひとつだった。ギャンブル依存症を招くとの懸念もあり、国民の評判はよくなかったが、政府は2016年に「カジノ解禁法」、18年に「カジノ実施法」を成立させ、21年には自治体が国へ計画を申請し、全国に最大3カ所つくる予定だった。秋元議員の摘発は、政権が「拙速」に進めるIRの負の一面を暴いた形だった。
IRをめぐる闇は深かった。米国の調査報道専門組織「ProPublica」が2018年10月10日、Justin Elliott記者の署名記事「Trump’s Patron-in-Chief」で、17年2月に安倍首相がトランプ大統領との会談のため訪米した際、大統領が、自らのスポンサーである米国の大手カジノ業者の日本開業について安倍首相に口利きしたとも受け取れる疑惑を報じていた。
特捜部は秋元議員の収賄事件の関連で複数の米国のカジノ企業の東京事務所も捜索したが、その時点では戦線を拡大せず、その後、捜査は潜行し今にいたる。
克行議員は安倍晋三首相、菅義偉官房長官(現首相)の側近といわれ、同年9月、法相に起用されたが、まもなく同参院選での車上運動員(ウグイス嬢)に対する違法報酬疑惑が発覚。在任わずか50日で辞任した。
広島地検は2020年1月15日、夫妻の地元事務所などを捜索。3月3日にはウグイス嬢への違法報酬をめぐる公選法違反(買収)容疑で案里議員の選対幹部を逮捕するとともに、河井夫妻の議員会館の事務所などを捜索。克行議員が作成したとみられる現金配布リストを押収した。
安倍政権は20年1月末、政権に近いとの風評があった黒川弘務東京高検検事長について次期検事総長含みの勤務延長を決め、野党や一部のマスコミから「検察首脳人事への介入ではないか」との批判が巻き起こったが、3月13日、さらに検察首脳の勤務延長に政府の裁量権を盛り込んだ検察庁法改正案を閣議決定。通常国会での成立を目指す中での摘発だった。
政権与党側からは「捜査は、検察人事への介入に対する意趣返し」との不満も漏れたが、法相まで務めた有力国会議員による悪質買収事件だった。検察が厳しく追及するのは当然で、コロナ禍の中でも、捜査の手を緩めない検察を世論は支持した。
夫妻は、8月25日に東京地裁で開かれた初公判で無罪を主張。同地裁は2人の公判を分離して案里議員の審理を先行させ、21年1月21日、案里議員に懲役1年4カ月執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。案里議員は控訴期限前日の21年2月3日、辞職。控訴はしないとコメントした。
そして、2021年1月15日、特捜部は、吉川元農水相を、大臣在任中の18年11月から19年8月の間に鶏卵大手「アキタフーズ」(広島県)代表から、日本の鶏飼育手法に否定的な国際機関の基準案に反対し、また、養鶏業者に対する日本政策金融公庫の融資条件を緩和することを依頼され、計500万円を受け取ったとする収賄の罪で在宅起訴した。
河井夫妻の選挙違反事件の捜査の過程で、克行議員がアキタ側から多額の寄付を受けていた事実をつかんだのが捜査の端緒だった。20年7月にアキタ本社を捜索し、吉川氏ら国会議員らへの出金記録や面会スケジュール表などを押収。代表を取り調べ、吉川氏への現金授受の日時や趣旨を特定した。
バブル崩壊に伴い東京佐川急便事件など経済事件の摘発ラッシュとなった1990年代初め、特捜部は一つの事件の捜査から次々と新たな事件を掘り起こし、それが政界捜査にもつながった。それを彷彿させるような捜査展開だった。
特捜部は吉川氏について逮捕も視野に内偵捜査を進めたが、20年12月2日、吉川氏に対するアキタの献金疑惑報道があった前後に、吉川氏は慢性心不全などの治療のため都内の病院に入院。特捜部が同月21日に実施した病院での任意取り調べに対し、吉川氏は現金の授受は認めたが、わいろ性の認識については否定した。
吉川氏は翌22日、心臓病治療のためペースメーカーの埋め込み手術を受けるとして議員を辞職。特捜部は同月25日、吉川氏の関係先を捜索したが、病状を考慮して逮捕は見送り、在宅のまま起訴した。アキタフーズの代表も贈賄の罪で在宅起訴した。
鶏卵業界の関係者によると、アキタフーズ元代表は1990年代から広島選出の大物衆院議員や農水族に太いパイプを持ち、鶏卵政策をめぐり農水省に強い影響力を持ってきた。検察は1990年代末ごろから国税当局とも連絡しつつ「鶏卵業界の政商」としてマークしてきた。
2000年代初め、国内で鳥インフルエンザが発生し養鶏業界が大きな打撃を受けた際、感染鶏の殺処分を基本方針とする農水省に対し、アキタ代表と親密とされる与党の有力国会議員らが当時の農水相に外国製のワクチンを導入するよう圧力をかけたのではないかとの疑惑が取りざたされた。今回摘発された事件と同様の図式だ。
筆者は当時、朝日新聞社会部記者としてその問題を取材し農水省の関係者にも当たったが、事実関係を詰め切れず、記事にはできなかった。10数年の時を経てやっと鶏卵政策をめぐる政治腐敗に検察のメスが入った。検察には、元農水相にとどまらず、鶏卵利権の闇を追及してほしい。
筆者が一連の摘発について「自然体検察」との印象を持った所以に話を移す。
かつての検察には、政界事件に対峙する際、「巨悪に立ち向かう」という気負いと、法律に強い捜査のプロとしてのこだわりがあった。4つの事件では、それが消え、適正手続きで収集した証拠をもとに従来の起訴基準で起訴、不起訴や適用する罪を決めればいい、評価は、裁判所と世論に任せる、という割り切り、思い切りがあるように感じられるのだ。一言でいえば、肩の力が抜けた印象だ。
収賄の罪で訴追された秋元議員と吉川元農水相について適用された罪は「受託収賄罪」でなく「単純収賄罪」だったことがそれを象徴している。
1990年代前半に東京地検特捜部に在籍した弁護士は「当時の検察には、国会議員については受託収賄が立件の条件という『受託収賄しばり』のルールがあった」という。
職務に関して賄賂を受け取っただけで成立する単純収賄罪に対し、受託収賄罪は、贈賄側から職務に関して特定の行為を依頼(請託)された場合に成立する。単純収賄罪より悪質とされ、単純収賄が5年以下の懲役なのに対し、7年以下の懲役と定められている。ただ、供述が支えとなるため、立証のハードルは高い。
それでも、検察が受託収賄罪にこだわったのには、歴史的な背景がある。検察は、敗戦後の混乱期にGHQの意向もあって多数の国会議員を収賄容疑で摘発したが、職務権限やわいろ性の立証が不十分で無罪となるケースが多かった。その反省から、国会議員の汚職については賄賂と職務の対価関係が明確な受託収賄罪で立件し、職務権限やわいろ性について厳密な捜査をするのが基本スタイルとなった。
それ以前に、戦後の検察には、戦前の検察が軍部と結びつき「帝人事件」など政治的な検察権行使で「ファッショ批判」を受けたことへの深い反省があった。それは、国民の選んだ政治家を基本的に尊重する思いとなり、単純収賄のような「簡単な」罪で摘発すべきでない、との考え方にもつながったとみられる。
それゆえ、特捜部が摘発した過去の政界汚職では、受託収賄罪が適用されることが多かった。田中角栄元首相を逮捕・起訴した1976年のロッキード事件、藤波孝生元官房長官を在宅起訴した89年のリクルート事件、阿部文男元北海道・沖縄開発庁長官を逮捕・起訴した92年の共和汚職事件、中尾栄一元建設相を逮捕・起訴した2000年の事件などがそうだ。逆に、単純収賄罪が適用された例は、86年の撚糸工連事件の稲村佐近四郎衆院議員ぐらいしかない。このほか、国会議員が公務員に不正行為をさせた場合に適用する斡旋収賄事件も数件あった。
もちろん、被疑者への罪の適用は、捜査で収集した証拠や犯罪の態様によって決まるものだ。IR汚職、鶏卵汚職のいずれについても、検察首脳らは、十分検討したうえで最終的に「受託収賄での訴追は無理」と判断したとみられるが、IR汚職で秋元議員を逮捕した日の夜、検察首脳の一人はこう語った。
「秋元氏が金を受け取ったとされる時期は、まだ、IR推進法が成立し、カジノ業者をどういう風にして認可するかなどのルールを決めようという段階。国交大臣が国会答弁を担当することになり、秋元氏はその副大臣でしかなかった。業者から頼みごとをされても、それを実現する職務がなかった。『請託』ではなく実質的には『政策陳情』だ」
「とはいえ、副大臣がおカネをもらってはいけない。しかも、業者は、そこらの(職務権限のない)議員になら渡さない金額を渡している。単純収賄だって犯罪は犯罪だ」
この首脳には、適用する罪のハードルを下げることに対する抵抗はなかった。
検察関係者によると、吉川元農水相については、さすがに大臣の汚職とあって、「受託収賄罪が適用できる筋はないのか」と特捜部に宿題を出したようだが、最後は単純収賄に落ち着いた。
起訴状などによると、アキタ側は、国際機関が打ち出した鶏の飼育指針案に対する政府としての反対や、日本政策金融公庫の業界向け融資の拡大を吉川氏に要望したとされているが、農水省内には、当初から同省は指針案には反対で、「わざわざカネを出して要請する必要はなかった」との見方があるとの報道もあった。
それだと、仮にアキタ側から「頼み事」があったとしても実質的な対価性はなく、受託収賄罪の対象にはしにくい。それが単純収賄罪を適用する大きな要素だったと思われる。元農水相が在宅起訴された15日、野上浩太郎農水相は法曹関係者らでつくる第三者委員会を設置。当時の政策や対応が公正だったか検証する作業を進めている。
一方、容疑を否認する吉川元農水相を逮捕せず、在宅起訴したことも法曹関係者やマスコミ関係者の間では話題となった。これも、証拠収集のために行う刑事手続きに対する検察の今の考え方を反映している。
政治家の事件について検察が原則、在宅起訴を選択してきた時代があった。法務事務次官、最高検次長検事、検事総長を歴任し「検察のエース」といわれた伊藤栄樹氏が法務・検察内で実権を持っていた1980年代のことである。
国会議員を国会開会中に逮捕するには所属議院の逮捕許諾が必要だが、その手続きが面倒なうえ、国会での審査中に容疑の情報が漏洩するなどして捜査の支障になる、というのが表向きの理由だった。しかし、当時の検察は、ロッキード事件で逮捕された後も「政界闇将軍」として政権与党に強い影響力を持つ田中元首相と公判で「死闘」を繰り広げており、国会議員を逮捕することで、政界を刺激したくないとの思いもあったとみられる。
撚糸工連事件(86年)や砂利船汚職(88年)、リクルート事件(89年)で罪に問われた国会議員は軒並み、逮捕されず、在宅起訴となった。その伊藤氏は検事総長在任中にがんを発病して88年3月に勇退。2か月後に死去した。
流れが変わるのは92年1月の共和汚職事件からだ。検察は、容疑を否認した政治家については原則、逮捕して取り調べる方針に転換。国会の逮捕許諾が不要な国会閉会中を狙って捜査スケジュールを組み立てるようになった。国会会期中の着手を避けられない場合には、逮捕許諾請求も辞さなくなった。
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