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小沢一郎氏の秘書が起訴された西松建設事件の公判での検察官の冒頭陳述の要旨

 被告人は平成11年に小沢議員の私設秘書となったが、同12年の衆議院議員総選挙で、それまで小沢事務所においてゼネコンに対して工事受注の了解を与える一方、選挙の際の支援や多額の献金等を要求する役割を担っていた同議員公設秘書のHが当選したことなどから、被告人が、その後任として、上記役割を担うようになっていった。
 被告人は、談合の仕切役を務めていたF社のGと密接な関係を保ちつつ、以下のとおり、ゼネコン側に対し、自分がHの後任として上記役割を担うこととなった旨説明するなどした上、自ら「天の声」を発出する一方、これを背景に、選挙の際の支援や、下請企業を使った多額の献金等をゼネコンに要求していた。

(1) 平成13年ころ、被告人は、その下請企業群によるものも含め年間2000万円程度の献金を小沢議員側に行っていたI社の東北支店副支店長から、岩手県立福岡病院新築(建築)工事について工事受注の了解を得たい旨の陳情を受けた際、同副支店長から、「工事の関係ですが、今後もHさんがおやりになるんですか。それとも大久保さんにお願いに上がったらよろしいですか。」などと尋ねられたのに対し、「私がHさんとチェンジすることになりました。」などと答えて、自らがHの後任として上記役割を担うこととなった旨を説明した。
 そこで、I社は、以後、数回にわたり、上記副支店長において被告人に対し上記の陳情を行い、その結果、被告人から工事受注の了解を得て、平成14年3月、同工事をI社をいわゆるスポンサーとするJVが56億8000万円(税抜)で受注した。
 その後の平成16年ころ、被告人は、小沢議員側への献金額を大幅に減額したい旨申し入れてきた同社東北支店副支店長に対し「なんだと。急に手の平を返すのか」と怒鳴り付けていったんこれを拒否した。

(2) 平成14年ころ、被告人は、小沢議員側に下請企業群によるものも含め年間500万円程度の献金を行っていたJ社の東北支店副支店長に、同社が施工した東京都内のビルの1フロアを小沢事務所が購入したいので世話してほしいなどと依頼したが、分譲用の物件ではないとして断られたことから、同副支店長に対し、「この件でもう駄目です。奥座敷には入れさせません。」などと言って、今後J社に対しては工事受注の了解を与えない旨を言い渡し、実際J社は同年中の岩手県発注に係る公共工事を受注できなかった。
 その後、被告人は、平成15年、J社東北支店の後任の副支店長に対し、「人も替わったわけだし、関係修復を図りたいと思う。」「年間2000万円くらいお願いしたいのですが。」「協力していただけるのであれば、また、土俵に上がっていただとうと思います。今までのことは水に流そうと思いますけど、どうですか。」などと言って、献金額を年間2000万円程度に増額するよう要求した。
 これに対してJ社は、この要求を受け入れざるを得ないと判断し、その下請企業に要請するなどして小沢議員側に対する献金を増額し、その上で、平成16年9月ころ以降、被告人に対し、岩手県発注予定の小倉山4号トンネル築造工事について工事受注の了解を得たい旨陳情し、その了解を得るに至った(同工事については現在まで未発注。)。

(3) 平成14年ころ、被告人は、従来下請企業群によるものも含めて年間300万円程度の献金を小沢議員側に行っていたK社の盛岡営業所長に対し「ある業者さんは、協力会社を20社程度紹介してもらって、自由党の第4総支部に入会してもらっているんですよ。1社平均50万円くらい出してもらっています。K社さんも、協力してくれませんか。協力会社を20社程度紹介してもらって、第4総支部に入会させてくれませんか。」などと言って、下請企業20社程度に各年間50万円程度の寄附をさせることにより、献金を年間1000万円程度増額してほしいと要求した。
 これに対し、 K社は、平成9年の秋田県知事選で選挙応援をしなかったなどとして小沢事務所の不興を買い、小沢事務所から工事受注の了解を得られずにいたため、この被告人の要求に応じることとし、その下請企業に要請するなどして、小沢議員側に対する献金額を同年約1200万円に増額し、さらに、平成15年以降は年間2000万円程度に増額した。

(4) 平成16年ころ、被告人は、関連会社などによ

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