そこで、検討するに、本件において重要な点は、いうまでもなく、中国JRバス事故事案の処理の時点で、Dハブの強度不足を疑うに足りる客観的状況があり、その時点でリコールをすべきであったか否かである。ところで、原審における審理では、Dハブ輪切り破損の原因が何であったかの究明が行われ、弁護人は、摩耗原因説なるものを主張し、その原因は摩耗にあり、それは整備不良等のもっぱらユーザ一側の事情によるものであるから、リコールの対象にはならないと主張した。これに対して、原判決は、前記のように強度不足が原因であると推認できるから、特段の事情がない以上、そう認定できるとした。そこで、弁護人は、そのような認定の仕方では、Dハブが強度不足であることに合理的な疑いが残り、刑事事件の事実認定として正当ではない旨主張するのである。その結果、本件では、Dハブの強度不足が原因であるか否かの科学論争の体裁となった。しかし、翻ってみれば、本件の最大の争点とすべき点は、前記のように、中国JRバス事故事案の処理の時点でDハブの強度不足を疑うに足りる客観的状況があったか否かである。もちろん、その後のリコール時点において強度不足が原因であることが客観的なデータ等により明らかになったのであれば、中国JRバス事故事案の処理の時点でもリコールをすべきであったということができるし、仮に強度不足が原因でないことが明らかになったのであれば、中国JRバス事故事案の処理の時点ではその疑いがあったとしても、リコールをしなかったことに過失があるとはいえない。その意味では、原判決のように強度不足が原因であると認定できるのであれば、過失は明瞭に認められることになる。しかし、原因論がテーマとなる限り、特段の事情がなければ、強度不足と推認できるという認定方法には、所論が主張するような問題点がある。本件においては、所論の指摘するように、一般に強度不足がDハブ輪切り破損事故の原因であると断定するだけの客観的なデータがなく、さらに、本件瀬谷事故の原因がDハブの強度不足であると断定できるだけの証拠もない。まさに、原判決のような推認による部分が残されていることは事実である。
しかしながら、本件では、Dハブの輪切り破損原因論を科学的に確定することが重要なのではなく、中国JRバス事故事案の処理の時点でリコールをすべき程度に強度不足の疑いが客観的にあったか否かに焦