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戦後メディアの偶像、初代若乃花を考える

倉沢鉄也

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

 去る1日、「土俵の鬼」元横綱初代若乃花が亡くなった。

 団塊世代が小学生低学年だった遠い昔、1950年代後半(昭和30年代前半)の5年を全盛期として、彼は間違いなく日本のトップスターであった。それは当時野球と相撲程度しかなかったプロスポーツの人気者なのではない。筆者の持つ資料には、新人にして話題沸騰の長嶋茂雄、映画スターとして人気絶頂の石原裕次郎、の2人の青年の肩を両手で抱いた、ベテラン横綱若乃花の報道写真がある。彼らは、限られたメディアでしか一般市民が情報を得られない時代において、全国民が親しみをこめた絶対的なアイドル(偶像)であった。若乃花には、全盛期を迎える前に自身が主演の自伝映画まで作られていた。

 初代若乃花という力士の成績をつぶさに見ていくと、その全盛期は意外に短く、またその後の大横綱との比較において見劣りする。全10回の優勝のうち9回は1958~60年(昭和33~35)の3年間に集中しており、先輩横綱栃錦とのハイレベルな優勝争いも1年半に限られる。それでもなお、戦後復興から高度経済成長期の日本の文化を論じるときに「黄金の栃若時代に市民が熱狂」のように言われるのは、まさにこの時期がテレビというメディアの黎明期であったことと強く関係している。

 その後発生したいかなる新しいメディアも、「市民権」すなわち数百万~数千万の利用者を得るまでに10年を要し、その10年は最適コンテンツの模索に苦しむ10年間である。今あるアーカイブ映像も、コンテンツとしての価値を十分に感じるのは1965年(昭和40年)あたりからである。それまではテレビもまた、当時最強メディアであった映画業界から排除され、最適コンテンツの模索に苦しんだ。「三種の神器」の一つであった高価な専用端末から出てくるコンテンツは、メディア特性を活かしかつ国民的な関心事である必要があった。そこにぴったりはまったコンテンツが、速報ニュース、歌を交えたバラエティ、スポーツ中継、であり、そこに必要な偶像が長嶋茂雄、力道山、玄人受けする栃錦ではなく若乃花、であった。幸いこれらのスポーツ選手はいずれも、その後誰も再現できていないような、豪快な人柄と派手な技術とトップの業績、を持ち合わせていた。

 若乃花の引退と入れ替わるように土俵に君臨し、若乃花もなしえなかった爽やかな雰囲気をかもし出した青年横綱、柏戸と大鵬の出現も一助となって、テレビは全国民が毎日平均4時間から視聴する「怪物メディア」の地位を確立していくことになる。去る7月の大相撲名古屋場所NHK生中継中止の報道に際して、かつて大相撲が民放でも中継されていたことを初めて知った人がいるだろう。それはまさにこの栃・若から柏・鵬青年期(横綱白鵬はここから名をとっている)にかけての人気ゆえであり、民放撤退の理由は、多様化し充実してきたテレビコンテンツに対して、ポスト柏・鵬の次世代スターが不在であったゆえであった。

 テレビメディア論としての初代若乃花の特筆すべき点は、引退後もなお重要なコンテンツの一角を占めたことにある。引退後しばらくして二子山部屋に入門してきた21歳年下の弟が上位に駆け上がる前から注目され、自らの後継者大鵬に最後の黒星をつけ、22歳で大関に駆け上がった。その後怪我に苦しみながらも、1970年代の10年間の大相撲人気は、輪島でも北の湖でもなく、「角界のプリンス」大関貴ノ花が一人で背負っていた。

 初代若乃花の伝説はまだ続く。大関貴ノ花に憧れ、貴ノ花の引退した1981年(昭和56年)1月場所に初優勝を遂げた千代の富士は、その後10年土俵に君臨したが、その千代の富士に引退を覚悟させた敗戦は、初代若乃花の孫弟子であり甥でもある、18歳の少年貴花田が1991年(平成3年)5月につけた黒星であった。のち10年弱、甥の兄弟は横綱となり空前と称される「若貴」人気で大相撲を支えた。そして今、大相撲存亡の危機が報じられる中、世論も相撲界内部も、改革に関わる不思議な力を、まだ40歳手前の貴乃花親方に求めている雰囲気である。

 自身が5年、親族でもある弟子筋が計20年、大相撲あるいはスポーツのみならずテレビを通じて国民の文化の一角を担ってきたのである。大相撲テレビ高視聴率の記録ベスト3(千代の富士初優勝52.2%、貴ノ花初優勝50.6%、二代目若乃花全勝優勝42.1%)は、角界のプリンスの後継者誕生という文脈も含めて、すべて初代若乃花に関わるものである。

 「土俵の鬼」は、名横綱であり、名伯楽(2横綱2大関、十両以上19人を輩出)であり、日本相撲協会理事長でもあったが、それ以上に、戦後日本のテレビの成長を支え、テレビとともに50年歩んだ国民的偶像であった。その偶像が、爽やかでもなくかわいらしくもなく面白くもなく、「鬼」の名称で50年国民的に愛され続けたことは、稀有と言うしかない。

 花田勝治氏本人にテレビを支えた意図はまったくなく、スターとしての立ち居振る舞いや自覚も生涯なかった。国民的人気とは何か、メディアの成長期を支えるコンテンツとは何か、そのコンテンツはいつまで更新再生産されていくのか、について、古いメディアの方は当然として、インターネットメディアに携わる方々にこそ、いっときの考えを致していただければ幸いである。土俵の鬼、もって瞑すべし、である。

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