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ノーベル平和賞に決まった劉暁波さんのこと

大久保真紀 朝日新聞編集委員(社会担当)

今年のノーベル平和賞決定の報に接し、彼の落ち着いた声が私の耳に蘇りました。

 彼とはまさに、平和賞に決まった、いまは中国の獄中にある人権活動家で詩人の劉暁波さん(54)です。劉さんは共産党の一党独裁の見直しなどを求めた「08憲章」を起草して09年6月に逮捕され、今年2月に「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年の有期刑が確定、遼寧省の刑務所で服役中です。

 私は劉さんを取材したことがあります。08年3月、その年の夏に開かれる北京五輪が、民主化という観点から中国社会にどんな影響を与えるかという取材をしていました。64年の東京五輪、88年のソウル五輪と比較しつつのもので、その中国関連取材の中で、劉さんに会って話を聞きたいと思っていました。

 中国での取材はかつては、政府の役人などが通訳と称して同行する形で、自由はききませんでした。それが、五輪を前に大幅に開かれ、そのときはビザさえとれば、現地で通訳を雇って取材ができるようになっていました。朝日新聞が契約していた現地の通訳事務所に取材したい相手を伝え、連絡先を調べてもらい、アポ取りなどをしてもらっていました。北京には1週間滞在の予定でみっちり人に会いました。

 しかし、劉さんについては、その通訳事務所が当初から全くの拒否の姿勢を示してきました。通訳するだけなく、連絡をとることさえできないというのです。だったら、連絡先だけでも調べて教えてほしい、あとは自分で連絡をとるからと何度もお願いしましたが、「それもできません」という返事。理由は語られませんでした。

 中国で暮らす人々にとっては、劉さんに接触すること自体が、自分の身を守るためには避けなければならないことなのでしょう。当時は、まだ劉さんが「08憲章」を発表する前のことです。ですが、天安門事件のときに指導的な役割を果たした知識人のひとりだった劉さんは、武力鎮圧の開始後、軍との交渉にあたり、ほかの3人とともに「四君子」と呼ばれ、その後、投獄や強制労働の刑罰を受けながらも国内にとどまり、民主化について発言を続けてきた人です。

 私は中国や中国に暮らす人々が好きですが、劉さんのことは全くタブーという事務所の態度、そこまで敏感にならざるを得ない中国の国内状況に、何ともいえないむなしさが心に広がりました。

 結局、日本に暮らす中国人に何とか連絡先を調べてもらい、日本から電話をかけて劉さんと話しました。私は中国語はできないので、自己紹介など一部は英語で私自身が直接やりとりし、中国の状況など詳しいことは中国語通訳を交えての話になりました。

 電話口から聞こえてくる劉さんの声はとても落ち着いていました。肩書きを聞くと、「フリーライター」「異見人士(政府と違う意見をもつ人)」と言いました。劉さんは、北京五輪そのものには意見はないが、この五輪は中国社会にとって、人権、言論の自由という側面から少しプラスになるのではないか、と語ってくれました。言論の自由、人権の保障がなければ五輪を開催する資格がないという国際社会のプレッシャーもあって、外国記者への取材の自由が与えられるようになり、「かつてないほど言論の空間が開かれている」と劉さんは言いました。外国の記者を見て、国内メディアももっと自由がほしいと言い出すメカニズムが働く、とも話していました。

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