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2女性殺害事件・私が裁判員だったら……

緒方健二

緒方健二 朝日新聞西部報道センター記者

 死刑判決が十分にあり得る事件の裁判で、もし私がその裁判の裁判員だったらどうするか。裁判員制度が昨年5月に始まったときからずっと考えていることです。

 裁判員裁判初の死刑が求刑された東京の2女性殺害事件の裁判員6人は、どんな思いで評議に参加したのでしょうか。被告の男と数日間同じ法廷にいて、表情を見ながら質問してきた。死刑を求刑した検察側の主張と、男の弁護側の主張も聞いた。自分の判断が男の生死を左右するかも知れない。そもそも裁判員になりたくてなった訳ではない。望んでこの殺人事件の審理に参加したのでもない。それなのに法廷で初めて会った見も知らぬ男に、検察が死刑を求刑した。裁判員裁判が始まって初めての死刑求刑だという。

 しかも何だ。検察の説明だと、男は被害者の女性に拒まれ、しつこくつきまとった末に、その祖母とともに惨殺した、と。いつか出所してきて報復をされないだろうか。

 私がこの事件の裁判員だったら、そんなことを考えてどんな結論を出すか迷うに違いありません。裁判員制度が始まったときから予想された事態とはいえ、死刑判決もあり得る事件に裁判員を充てるのは酷な気がします。死刑の判断をした人はその後、一生思い悩むのではないでしょうか。覚悟を決めて職業として選んだ裁判官とは違うのですから。

 死刑制度そのものをめぐってもあれこれと考えてしまいます。死刑は犯罪者の生命を絶つ刑罰で、刑法9条に刑のひとつとして定められています。同じ刑法に、その手段は絞首、執行場所は刑事施設内でとあります。施設は、具体的には全国7つの拘置所・支所の中にある刑場です。今年8月に法務省が報道機関に公開した東京拘置所(東京都葛飾区)もそのひとつです。

 執行の手順は刑事訴訟法で定めています。法務大臣の命令で行われ、判決確定の日から6カ月以内にしなければならない▽法相が死刑執行を命じたときは5日以内に、とあります。6カ月以内の執行はまずありません。法相もためらうのでしょう。在任中、執行ゼロの法相は複数います。どんな信念を持つのも自由ですが、「死刑反対」論者は法相就任を打診されてら拒むべきです。

 死刑を科すことのできる犯罪も決まっています。殺人罪のほか内乱首謀者罪、放火罪、汽車電車転覆致死罪、水道毒物混入致死罪、強盗致死罪、強盗強姦致死罪などです。

 死刑制度の賛否をめぐる論議はずっと以前から盛んです。賛成派は、同種犯罪の抑止効果や被害者・遺族の処罰感情に応えることを挙げます。反対派の主な論拠は、人道主義的に見て残虐、殺人を違法とする国家が刑罰といいながら殺人を犯すのは矛盾、冤罪で執行した場合に取り返しがつかない、などでしょう。両論はおそらく交わることはない。では国民は死刑をどう考えているのか。内閣府が1994年から5年ごとに続けている調査があります。最新の2009年調査では容認が85・6%で、過去最高でした。94年73・8%→99年79・3%→04年81・4%と調査の度に増えています。一方、廃止派は5・7%です。こちらは回を追うごとに減っている。

 容認の理由は、廃止すれば被害者やその家族の気持ちがおさまらない▽命で償うべき▽廃止すれば凶悪犯罪が増えるなどです。廃止の理由は、生かして償いをさせるべきが最も多く、「裁判に誤りがあったら取り返しがつかない」や「国家であっても殺人は許されない」と続きます。

 死刑適用犯罪の代表的事件である殺人の発生は減少傾向にあります。内閣府調査のあった09年は1094件で、戦後最も少なかった。09年は裁判員裁判初の死刑求刑となった2女性殺害のほか、中央大学教授刺殺(1月、東京)や島根県立女子大生殺害(11月)など残虐な事件が続いて起きました。1297件の殺人があった08年には、8人が殺傷された土浦事件(3月、茨城県)や17人殺傷の東京・秋葉原事件(6月)などの無差別殺傷事件がありました。さらにこの年には、同じマンションの二つ隣の部屋に住む若い女性を殺して切断、トイレに棄てる事件(4月、東京)、元厚生事務次官ら3人殺傷(11月、埼玉県、東京)もありました。いずれも手口が残忍で、犯人と被害者の間に面識がないため社会に与えた衝撃が大きかった。

 死刑容認派が増えている背景に「いつ自分が被害者になっても不思議ではない」という漠然とした不安があるのかも知れません。殺人が減ったとはいえ千件を超えています。ほかに同じく命を奪われた傷害致死が128件あります。数字だけを根拠に語る論者の中に「凶悪犯罪は減っているのだから、防犯カメラ増設など捜査武器拡大は不要」という人もいますが、同意しかねます。

 私は死刑存続に賛成です。これまでに遭遇したたくさんの殺人事件の取材で見聞きした事実や、遺族の話、服役経験者の体験談の中に理由があります。

 いまはほとんど不可能ですが、かつては事件の発生を早くつかめば現場に入って遺体を見ることができました。刺されたり、首を絞められたり、毒を盛られたりして命を絶たれた人たちを見ると、捜査に当たる警察官と同様に「犯人を絶対に許さない」という気持ちになります。

 殺人事件専従の捜査員がこんなことを言っていました。「犯罪は数々あるが究極の犯罪は、他人の生命を絶つ殺人だ。ほかの犯罪も許せないが、まだ償いようはある。殺人は償いようがない。あるとすれば究極の刑罰である死刑だけだ」。別の捜査員は「犯人は、被害者に落ち度があるだの何だのと身勝手なことを言いたい放題だ。でも被害者は言いたいことがどんなにたくさんあってもそれを言うことができない。不公平に過ぎないか? 私たちは被害者に成り代わって事実を明らかにし、相当の仕置きを与えたい」と話します。

 小学生の娘を殺された父親は、最初は冷静でした。犯人への怒りを抑え、「心から反省してほしい」と話していました。場所を変え、酒を飲みながら話し始めると様子が変わりました。「死刑なんて生ぬるい。この手で、犯人が娘にしたのと同じように殺してやりたい」。それができないのなら報復を代行してくれるプロの殺し屋を紹介してほしい、と泣きながら言います。ほかの遺族の中にも同じことを言う人がいました。私が同じ立場に置かれたら、同じ考えを持つでしょう。

 内閣府は一度、殺人事件の被害者遺族を対象に死刑制度意識調査をしてみてはどうか。おそらく一般国民対象の調査よりも容認派が多いのではないか。

 刑務所に出たり入ったりを繰り返す人たちの話は意外でした。傷害致死や詐欺などで都合4回服役した男性は「刑務所では更正や反省は絶対にできない」と断言します。刑務所側はさまざまなプログラムで反省させ、更正に導こうとするのですが、表向きそれらに従う彼らのやることといえば作業や房で一緒になった受刑者と、出所後の悪だくみの相談三昧だといいます。現にこの男性もそうして知り合った男と組んで出所後に強盗をやり、刑務所に舞い戻りました。つまり死刑以外の懲役刑では反省や更正は不可能だというのです。裏を取るのは難しいのですが、この男性が刑務所で知り合った殺人罪の受刑者の1人は反省どころか、どうやって被害者を殺したのかを自慢気に、楽しそうに話していたといいます。もちろんすべての殺人服役囚がそうではないでしょうが。

 さて私が裁判員だったらどうするか。臆病者ですからさまざまな判断基準を探して頼るかも知れません。そのひとつに「永山基準」があります。裁判のプロの間で、死刑適用の「指標」としてよく知られています。1968年10月から11月にかけて全国各地で4人を射殺した永山則夫元死刑囚(97年に死刑執行)に対し、最高裁が83年に出した判決で示しました。それは①犯行の罪質②動機③殺害の手段方法の執拗性、残虐性④結果の重大性とくに殺された被害者の人数⑤遺族の被害感情⑥社会的影響⑦犯人の年齢⑧前科の有無⑨犯行後の情状などを考えたときに、罪質重大で、罪刑均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合は死刑選択も許される、との内容です。

 その後起きた殺人事件の判決は、永山基準にほぼ沿って出されてきました。④の被害者の人数は、とくに死刑かそれ以外かを決める基準となっているようです。1人なら無期懲役以下、3人以上なら死刑というように。2人の場合の判断は割れています。今回の場合も被害者は2人で、裁判員や裁判官は悩み抜いたことでしょう。

 判断基準や「相場観」はそれとして、事件は一件一件すべて様相が異なります。共通しているのは被害者が突然命を奪われ、犯人への恨みや憎しみを言う機会も永遠に封じられているということです。私は、生半可な知識や加害者側の言い分を頭の片隅に置きながらも、物言えぬ被害者の思いを精一杯想像して判断したいと考えています。

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筆者

緒方健二

緒方健二(おがた・けんじ) 朝日新聞西部報道センター記者

朝日新聞社会部員(組織暴力専門記者)。1958年大分県生まれ、同志社大卒。毎日新聞社を経て88年入社、92年東京本社社会部。警視庁警備・公安、捜査1課、国税などを担当、99~2004年警視庁キャップ。東京社会部デスクを経て、04年から警察・事件担当の編集委員。地下鉄サリンなど一連のオウム真理教事件のほか数多の殺人、贈収賄、暴力団犯罪などを取材。17年4月から西部報道センター。

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