倉沢鉄也
2010年11月08日
総務省は、「日本×ICT」戦略による3%成長の実現を目的とする「ICTによる協働型教育改革」として、小中学校を中心に、デジタル教材(電子教科書)等を活用する、という。この政策項目を根拠に、すでに協議会も立ち上がってしまい、実証実験も行うという。
新しい技術が古い技術に更新されていくこと自体は賛同する。普及を市場の自然な成長だけでなく政策誘導的に行う必要のある分野もある。しかし、残念ながらこの電子教科書の流れは、少なくとも2010年秋の現在、政策的推進の必然性がまったくないと言わざるを得ない。政策の最終成果を児童・生徒の教育効果でなくICTビジネスの市場形成だと割り切って見たとしてもなお、大きなリターンの望めない市場である。残念ながら弊社内に推進に組みする者もいる中、企業が積極的に取り組む合理的な理由は見当たらない。
多岐にわたる論点のいずれについても、現況を踏まえた課題と最終的成果(アウトカム)とのギャップを抽出したとき、どの論点をどうつなげても、デジタル教科書教材推進協議会が公式に記しているような、推進のロジックにはつながらない。限られたスペースの中で、ほんの一部をたとえ話で整理してみる。
電子教科書は、いわば毎日握り飯を食べている子どもに、新しい弁当箱を使わせ、新しい献立の弁当を食べさせようとしているのと同じだ。毎日変わる新しいお弁当は、しばらくは先生や子どもたちの心を躍らせるかもしれない。弁当箱メーカーや弁当屋は、少々は儲かるだろう。
先生の足元を見れば、洗えば使えるのにさびてしまったパソコン、まだできあがっていないブロードバンド回線、真新しいのに使ったことのない電子黒板、といった、弁当箱のゴミが転がっている。それら弁当箱から何が得られ、何が無駄になったのかは、まさに小学生でも肌感覚でわかる。
子どもが学校から帰れば十分においしいICTのハンバーガーやカレーライスがあり、自宅や街角のICTから得られる栄養が偏ったり過剰になったりしないようにどうつきあうかは、小学生でも感覚的にわかっており、最小限の理屈(ICTリテラシー教育)は先生がすでに教えている。大人だって欲求に負けて「ICT成人病」になるものを、新しい弁当と弁当箱は子どもの課題の何を解決するのか。
そもそも子どもは、
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