朝日新聞記事審査室長兼紙面オンブズパーソン兼紙面審議会事務局長。1955年生まれ。社会部で司法やメディアを担当。論説委員として司法改革や裁判、事件などの社説を執筆。2011年6月から現職。共著に『ルポ自粛』『孤高の王国』『代用監獄』『被告席のメディア』。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
古西洋
さて、日本の刑事司法では、警察官や検察官が逮捕状を請求し、裁判官が審査して逮捕状を発布する。その際の要件は、事件が悪質かどうかではない。(1)容疑者が逃げるかもしれない(2)証拠を燃やしたり、捨てたりしてしまう恐れがある、のいずれかだ。今回は、そのいずれの心配もないので、逮捕状を請求するに至らなかった。菅首相や周辺は逮捕を望んでいたようだが、そうした意向に左右されることなく、検察が通常の事件の通りに判断したということにすぎない。
残った問題は、そもそも海上保安官の行為が、国家公務員法に定める守秘義務に違反する犯罪なのかどうか、という点だ。問題の尖閣ビデオはまぎれもない証拠物だ。刑事司法では、警察官や検察官に対して証拠物は法廷に提出するまで公開しないことを原則として義務付けている。この点からだけ見ると、海上保安官はこのルールを逸脱していることになる。ただし、とんでもない悪質な行為と批判するには無理がある。映像はなかったものの、衝突事件の顛末についてはすでに公表されていた。尖閣ビデオについては1万人を超す海上保安官のうち、かなりの人が見ていたうえ、国会議員にも要約版が上映されていた。罰せられるほどの「秘密」にあたるかどうかは、議論の分かれるところだ。
最も重要なことは、たとえ、公開が禁じられている情報であっても、国民の知る権利の方が優先する場合があるということだ。ただ。この観点に立っても、今回の尖閣ビデオは、国民が知っておかないと民主主義が危うくなる日米政府密約や、裏金作りを暴く勇気ある内部告発、といったものと同列には考えられない。
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