倉沢鉄也
2010年11月30日
2002年W杯を経験した、あまりサッカーに入れ込んでいない一日本国民としては、このイベントが、投資対経済効果や社会・文化的影響としてプラスマイナスの差し引きで多少はよい(totoの低迷のきっかけになったなど、マイナスも少なからずあった)ことであろうとは思う。
日本代表の強化やその候補選手の裾野の拡大には絶大な効果があろうが、そのさらに裾野を形成するサッカー少年たちが、日常のテレビで見る欧州リーグやW杯ではなく、実は近寄りがたかった2002年の自国W杯からどの程度のよい影響を受け取ったのか、個人的感覚ではやや疑問ではあるが、おそらくないよりもあったほうが確実にプラスの影響をもたらすであろう。以上の既定路線の論点も深くは論じない。
筆者が気になる論点は「日本という国は、世界のサッカー市民の目線から見て、4年に1度、一生に15回くらいしか見られないW杯開催国として、たった5回ぶりで登場するにふさわしい国なのか」という点である。そうした漠然とした先入観は、最終決着での投票者たちの判断基準としてかなり重要なところを占めるのではないかと思われる。
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