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それは「書籍」ではない

平和博

平和博

著作権法の本を読んでいて、情報の「固定」という表現が出てきた(中山信弘著「著作権法」)。「書籍や絵画等は著作物を固定している媒体物であるに過ぎず、著作物そのものは当該媒体物とは異なった観念的な存在であって、情報の一種である」と。つまり、著作権が保護する著作物は、創作的表現の形をとった「情報」なのだという。情報は書籍やCDなどのメディア(媒体)に「固定」する形で流通してきた。これまで情報は、メディアの上で固まり、くっついている必要があった。

 書籍、CDという呼び名は、情報の固定先を示す。と同時に、文字、音、といったその情報の種別をも表していた。だが、その情報が特定のメディアから溶け出し、はがれてしまった場合には、何と呼ぶべきなのだろうか。

 先日、出版業界の方とお会いした際、「出版物のアイパッド対応は『電子書籍』と呼ぶのに、音楽の場合は『電子CD』とは呼ばないですよね」という話を伺った。確かに呼ばない。音楽は、携帯端末のアイポッドやネット音楽配信のアイチューンズなどが定着し、パッケージとしてCDメディアに固定化されているものというイメージから、液状化して個別のメディアからはがれた情報としてのイメージに切り替えが済んでしまっているからかもしれない。

 これまで書籍に固定されていた情報は、そこから溶け出し、はがれた時点で「書籍」ではない「何か」だ。そして、メディアから溶け出した情報が向かう先はクラウド空間。文字情報、音声情報、映像情報がフラットに交錯している。

 そのとき、液状化した情報を「書籍」のアナロジーで語り続けることに意味はあるだろうか。それは相変わらず小説や評論であり続けるだろうが、すでに「書籍」ではない。

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