古西洋
2010年12月29日
法廷での被告・証人の証言や提出された証拠をめぐる検察、弁護側双方のやりとりを聞き、陪審員や参審員・裁判官が真偽を判断するのが、欧米を中心とした先進国での刑事裁判の姿だ。だが、日本の刑事裁判はこれと大きく異なる。裁判官が有罪か無罪かを判断するうえで最も重視してきたのは、司法試験に合格して司法修習で同じ釜の飯を食った検察官が提出した自白調書だった。逮捕・勾留された容疑者を密室の取調室に監禁して通常23日間にわたって朝から晩まで取り調べる。身体的にも精神的にも容疑者が異常な状態に置かれての「自白」こそ、最も真実に近く、法廷でいくら否定してもそれはうそをついている。こう考える裁判官が多かったことは否定できない。
調書裁判といわれるこの日本の刑事司法の下で、当然のことながら、警察・検察の取調官は「自白」をとることに執着してきた。「自白」は「証拠の王」とされ、それを取れる取調官が最も評価された。調書では、「私は次に述べるような方法で被害者を殺害しました……」といった一人称形式で書かれているが、実際は、容疑者が自ら筆を取って書いているのではなく、取調官が作文して容疑者に読んで聞かせて署名させる。今回の不祥事の舞台となった郵便不正事件では、検察から証拠として法廷に提出された調書の大半が、裁判官によって証拠に採用されなかったために、有罪を立証することができず、主犯として逮捕・起訴された村木・元厚労省局長は無罪となった。
今回の最高検の検証報告でも「裁判所が証拠採用しなかった供述人3人の取り調べに対する指摘は、検事がほかの関係者の供述や検事の意図する内容に沿った調書を作成しようとした点で共通する。必ずしも相当と言い難い誘導などにより、
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