本田由紀
2011年01月20日
にわかに盛り上がりを見せているタイガーマスク運動について、私は複雑な思いを抱いている。様々なものをもらった子どもたちは喜んでいるだろう。子どもたちのために何かをしたいという気持ちは明らかに善意だろう。報道も、おおむね喜ばしいこととして捉える向きが多い。
しかし私が心配することのひとつは、もらえなかった子たちはどのような気持ちになるのかということである。寄付がどこまで広がっているのか私は正確に確認できていないが、全国津々浦々の児童養護施設が、すべて寄付をもらえたわけでもないし、もらえたものの内容も異なるだろう。もらえなかった子たちは、見捨てられたように感じないだろうか。なぜ自分たちには寄付が来ないのかと悲しく思わないだろうか。また、これからも継続的にタイガーマスク運動が続く保証は何もない。これが一時期の流行であるならば、それがすぎさった時に、子どもたちは自分たちが気まぐれで施しの対象とされたように感じないだろうか。
ぜいたくを言うな、と言われるかもしれない。しかし私は上記の危惧を捨て去れない。
それに直結するもうひとつの思いは、このように「他者のために何かをしたい」という気持ちはこの社会の人々の中に一定程度存在するにも関わらず、様々なリスクを広く社会全体で分け合うための制度や体制を整える上で必要な増税に対しては、きわめて忌避感が強いことをどう考えるかということだ。自分が貢献したい対象に直接に贈与することは是とする一方で、税金への不信は大きい。これは、支払った税金が自分が願うような使われ方をされないだろうという意識を背景としている。
これまで数十年の長きにわたって政権をとってきた政党が、
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