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夫婦同姓を強制することの鈍感さ

古西洋

古西洋

結婚という人生最大の祝いごとに際し、姓を変えることを強制されることに苦痛を感じる人びとに向けて冷笑を浴びせながら傍観してきた。これが、ふだん人権の尊重を標榜している私たち日本社会のもう一つの顔だったのではないか。仮にこれを「多数派の冷笑」と呼ぶなら、それに耐え続けてきた「少数派の忍耐」を救うことが、司法の役割だ。「夫婦同姓を強制する民法の規定は、憲法違反だ」と訴えることにした70代の事実婚夫婦らの行動はもっともなことであり、この問題を放置しつづけた国会と政府の怠慢を司法がただす絶好の機会になるだろう。

 夫婦は同じ姓を名乗るべきであり、妻が夫の姓に変えるのが普通ではないか。子どもも含めて家族全員が同じ姓を名乗ることで一体感を得ることができる。夫婦別姓であると、子どもは父母のどちらかと異なる姓を持つことになり、子どもが混乱してかわいそうだ。こうした理由から日本では長年、夫婦同姓を民法で強制してきたが、それは良き伝統なのだ――。選択的夫婦別姓論に対する反論はこのようなものだが、少し冷静に考えれば、論理的にも現実的にも破綻しているのは明らかだ。

 第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 法律家が「個人の尊重」「幸福追求権」と呼ぶ憲法の規定だ。日本国憲法の専売特許ではなく、世界の文明国では当たり前のことと考えられている理念だ。普通の市民にもわかるように翻訳すれば、国家というものは個人を犠牲にしがちなので、なるべく国民の暮らしには口を出すなということだ。国家によって引き起こされた抑圧や戦争の犠牲になってきた歴史から会得した、いわば人類の知恵ともいえる重要な原則だ。

 これからすると、顔つきや体格、性格といったある人間を表す特徴の中で、最も基本とされる名前を国家によって強制的に変えられることは、よほどの理由がないかぎり、やってはいけないことになる。

 世界を見回しても、夫婦同姓を強制している国は少なく、 ・・・ログインして読む
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筆者

古西洋

古西洋(こにし・よう) 

朝日新聞記事審査室長兼紙面オンブズパーソン兼紙面審議会事務局長。1955年生まれ。社会部で司法やメディアを担当。論説委員として司法改革や裁判、事件などの社説を執筆。2011年6月から現職。共著に『ルポ自粛』『孤高の王国』『代用監獄』『被告席のメディア』。

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