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どうせなら結婚制度に抵抗しなさいよ

澁谷知美

澁谷知美 東京経済大准教授(社会学)

世の中には、理解できるが支持できないものがあって、その一つが選択的夫婦別姓制度である。以下では、「フェミニストとして」(←ここ強調)選択的夫婦別姓制度を支持できない理由を述べる。保守派のオッサン・オバハンとも、支持派フェミニストとも異なる、多くの人にとってあまりなじみのない意見を表明するから、よーく耳をかっぽじって聞いてもらいたい。

 まず、支持できない理由が保守派のそれとは違うことを証明するため、選択的夫婦別姓制度の「理解できる部分」について述べる。

 一つは、所望されている制度が、「選択的」夫婦別姓制度であって、同姓をのぞむ人にまで別姓を強要するものではないことである。今までどおり夫婦で同じ姓を名乗りたければそれもアリ。そのへんのことを分からずむやみに反対する人にたいして、ある支持派は、「あーどうして分かんないかなぁー!!!夫婦の氏選択制なんだってばよ!!同姓にしたい人も別姓にしたい人もオールOKなの!!!!」と憤懣やるかたない様子で書いていたが(*1)、そのいらだちも込みで私はこの制度の「選択的」性格を理解している。

 もう一つは、現行制度によって同姓を強要される人(多くは女性)の精神的苦痛である。内閣府の調査によれば、姓を変えることにより「今までの自分が失われてしまったような感じを持つと思う」とする人は約10%いる(『家族の法制に関する世論調査』2006年)。また、今回の別姓訴訟の原告である75歳の女性は、結婚前の姓名で「生き、逝きたいです」と、訴訟を起こした決意を述べる(「別姓訴訟を支える会・富山の発足集会チラシ」2011年1月)。別姓が認められないことに悩み、うつ病になり自殺した人、戸籍名を強要され、呼ばれ続けるうちに神経症になった人もいるというが(民法改正を考える会『よくわかる民法改正』17頁、2010年)、さもありなんと思う。

 愛着のある姓を奪われたくない、愛着のある姓とともに生きて死にたいという気持ちは、「人格権」という概念によって法的に正当化されうるものだ(最高裁昭63・2・16判決、民集42巻2号27頁)。結婚前の姓で生きたいという思いは、個人の「わがまま」などではない。現行法のもとで起きているのは、法によって認められうる権利の行使を法が邪魔しているという、おかしな状況である。

 以上の点を理解した上で、しかし、

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