倉沢鉄也
2011年02月11日
本稿の限られた字数で論じるほど単純な問題ではない。ここでは、日本相撲協会が今回受け入れなければならない事柄を、3つだけ挙げる。1つには「八百長は過去にないので、現在にもない」という論理を撤回すること、2つには力士と元力士のみによる法人運営をやめること、3つには、公益法人自身による興行運営を早期に見直すこと、だ。
そして、報道及び一般の人々、そして多くの相撲ファンが受け入れなければならない事柄を、3つだけ挙げる。1つには相撲が国技たるスポーツだという憤りの出発点をあらためること、2つには日本の社会があらゆる場面で八百長を許容しており相撲もその一部に過ぎないという認識を持つこと、そして3つには、日本相撲協会が真相を究明できたとしても日本の社会に何のプラスも生み出さないことに気づいて論じること、だ。
今回、八百長の事実は、ケータイメールという、記録の残ってしまうメディアを使うことによって発覚した。これまでの八百長報道に関わる裁判ですべて日本相撲協会が勝訴してきたのは、物的証拠が残っていないからだ。八百長が今回の関係者の「独創的発明」でない以上、過去に八百長があったという推定で考えると、取引では証拠を残さないことを絶対的ノウハウとしてきたのだろう。だから、日本相撲協会が過去の八百長を認めるか否かにかかわらず、個別事象に言及した報道の名誉毀損の裁判を再審しても、新たな物的証拠が出てこなければ、裁判としての結果が最高裁で覆ることは考えにくい。その意味で、今回の八百長関与者が残した、相撲文化に対する罪は重い。
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