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今後八百長とどうつきあうかが問題の本質

倉沢鉄也

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

八百長問題。語源は江戸時代の八百屋と、お得意先である相撲の親方による囲碁の勝負と聞く。古典落語には大横綱の人情相撲(=相手の家庭事情を察して、意図的に負けてあげる)に拍手喝采するシーンも描かれている。2010年6月25日の拙稿「大相撲は日本の映し鏡。清濁の正確な理解を」に記したとおり、大相撲はその時代時代で日本人の欲しがるものをサービス過剰に提供してきた存在であり、大相撲の闇は日本人の闇、大相撲の恥は日本人の恥、である。それは、野球賭博という刑事犯罪と暴力団の資金源であったことの問題とは明確に異なる。賭博の対象でなければ、八百長は犯罪ではない。警察は倫理観をもって文科省への情報提供をしたに過ぎない。

 本稿の限られた字数で論じるほど単純な問題ではない。ここでは、日本相撲協会が今回受け入れなければならない事柄を、3つだけ挙げる。1つには「八百長は過去にないので、現在にもない」という論理を撤回すること、2つには力士と元力士のみによる法人運営をやめること、3つには、公益法人自身による興行運営を早期に見直すこと、だ。

 そして、報道及び一般の人々、そして多くの相撲ファンが受け入れなければならない事柄を、3つだけ挙げる。1つには相撲が国技たるスポーツだという憤りの出発点をあらためること、2つには日本の社会があらゆる場面で八百長を許容しており相撲もその一部に過ぎないという認識を持つこと、そして3つには、日本相撲協会が真相を究明できたとしても日本の社会に何のプラスも生み出さないことに気づいて論じること、だ。

 今回、八百長の事実は、ケータイメールという、記録の残ってしまうメディアを使うことによって発覚した。これまでの八百長報道に関わる裁判ですべて日本相撲協会が勝訴してきたのは、物的証拠が残っていないからだ。八百長が今回の関係者の「独創的発明」でない以上、過去に八百長があったという推定で考えると、取引では証拠を残さないことを絶対的ノウハウとしてきたのだろう。だから、日本相撲協会が過去の八百長を認めるか否かにかかわらず、個別事象に言及した報道の名誉毀損の裁判を再審しても、新たな物的証拠が出てこなければ、裁判としての結果が最高裁で覆ることは考えにくい。その意味で、今回の八百長関与者が残した、相撲文化に対する罪は重い。 ・・・ログインして読む
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筆者

倉沢鉄也

倉沢鉄也(くらさわ・てつや) 日鉄総研研究主幹

1969年生まれ。東大法学部卒。(株)電通総研、(株)日本総合研究所を経て2014年4月より現職。専門はメディアビジネス、自動車交通のIT化。ライフスタイルの変化などが政策やビジネスに与える影響について幅広く調査研究、提言を行う。著書に『ITSビジネスの処方箋』『ITSビジネスの未来地図』など。

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