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歩行者天国再開で考えた:秋葉原は今後も「アキバ」であり続けるのか?

赤木智弘(フリーライター)

 2008年に起きた無差別殺傷事件をうけて中断していた東京・秋葉原の歩行者天国。1月23日に再開された現地をフリーライターの赤木智弘さんが取材した。赤木さんは、2000年代に「秋葉原像」が大きく変化したことを指摘する。私たちが事件や報道からイメージする「アキバ」や「オタク」は、現実の秋葉原やそこを訪れる人々を見過ごしていないだろうか。

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 ■赤木智弘(あかぎ・ともひろ) フリーライター。1975年8月生まれ。栃木県出身。数々のアルバイト勤務を経て、「論座」2007年1月号で「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」を発表し、反響を呼んだ。非正規労働者や就職氷河期世代の実体験にもとづく社会への提言を続けている。著書に『若者を見殺しにする国――私を戦争に向かわせるものは何か』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』がある。

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 その日の中央通りの歩道は、いつもより人が多く、狭苦しかった。

 その時間が近づくにつれ、中央通り沿いに人が増えはじめ、カメラを構える者も少なくなかった。

 やがて、マスコミが交差点の車道上にずらっと脚立を並べ、その上に立ってカメラを一斉に構えると、もう車道に出ても平気だと判断したのか、人々がそろそろと歩道上に徐々に車道にあふれ出していく。こうして、グダグダとした感じで、いつの間にか歩行者天国は再開されていた。

 あるスポーツ紙のWeb記事では、歩行者天国が再開されると「「イェー!」とあちこちで歓声がわき起こり、ホコ天がスタート。オタクたちがどっと道路へなだれ込んで狂喜乱舞した」などと書かれているが、少なくとも私はそのような光景を見てはいない。

 後で動画サイトを見ると、私がいた場所に近いセレモニー会場で「歩行者天国再開いたします」のアナウンスの声に応じた拍手がわずかにあったようではあるが、私はまったく気づかなかった。

◇警察・ボランティアによる厳重な管理パフォーマンス◇

 2011年1月23日13時。こうして秋葉原中央通りの歩行者天国が再開された。

 秋葉原の歩行者天国は、交通戦争とも呼ばれるほどに悪化した当時の交通事情から歩行者を守るために、1973年から実施された。しかし、2008年の6月8日に、7人の死者を出した秋葉原連続殺傷事件が発生したために、翌週の6月15日から実施が中止されていた。

 歩行者天国が再開した中央通り周辺には、それなりの混雑が生まれた。しかし、元々車道が広い中央通りのすべてが歩道になったこともあり、圧迫感はさほどなく、自由に歩くことができた。

再開直後の東京・秋葉原の歩行者天国。越田省吾撮影。

 私個人が見た印象では、人出は多いものの、いっさい混乱している様子がないどころか、極めて静かであった。表立ったパフォーマンスは一切なく、コスプレイヤー(アニメやマンガの登場人物に扮する人々)もごく数人見かける程度。コスプレイヤーを写真に収めようとする人はいたが、特に撮影会が行なわれるわけでもなく、多くの人たちは、ただ路上を思い思いの方向に歩いているだけだった。

 そんな状況なので、私の目にした範囲では、パトロール中の警官やボランティアスタッフに注意されている人をほとんど見かけなかった。数回見かけたのは、テレビクルーが通行人やコスプレイヤーにインタビューをしていて、それを通行人が取り囲んで携帯電話で撮影しようとするものだから、警官がテレビクルーを注意しているという風景であった。

 また、マナー徹底のプラカードを掲げた地域のボランティアなどにカメラを向ける人も多く、パフォーマンス禁止を呼びかける行為そのものが、ある種のパフォーマンスになっていた。

 私の「ザル目線」では、その程度しか警察の関与は解らなかったが、後日放送されたNHKのクローズアップ現代では、観光に来ている外国人が自分たちを被写体にして記念撮影をしているところや、近隣店舗の軒先を借りてメイド姿でチラシを配る人に、警察官が注意をしている姿が映されていた。

 また別の報道によると、コスプレをして友人としゃべりながら歩いているだけで警官らしき二人組に連行されかけたという事態も発生していたようで、警察による注意が過度に厳重なものだったと言っていいだろう。

 警官たちの態度に対しては、「ああした事件があった後だし、警察が神経質になるのも仕方がない」というふうに理解できなくもない。

 「歩行者天国があったせいで、連続殺傷事件が起こった」という因果関係などありようもないが、それでも歩行者天国と連続殺傷事件の記憶は結びつき、歩行者天国の中で行われる行為に、警察のみならず、地元の住民たちも神経質になっている。

 そして「いずれ、歩行者天国も回数を重ね、安全に運営できることが分かれば、警察も態度を軟化させて行くだろう」と考えることもできるかもしれない。

 しかし、私は疑問に思う。「警察は、あの連続殺傷事件が起きたからこそ、やむなく厳しく注意している」という物語を、私はとうてい信じることができない。なぜなら私は、警察の秋葉原に対する厳しい管理監視が、事件が発生するはるか以前から強まっていたことを知っているからだ。

◇新たな意味をもった「オタク狩り」◇

 思い返せば、警視庁万世橋署と千代田区などは、2004年8月から、「軽微な犯罪を取り締まれば凶悪犯罪を防ぐことができる」という「割れ窓理論」を用いて、秋葉原の店舗に対し、路上へのはみ出し陳列に対する指導の強化を行なっていた。

 店頭の路上に棚を出したり、看板を出したりする行為が、中央通りから1つ外れた裏通りなどで厳しく指導され、街の風景はスッキリしたものの同時に寂しくもなった様子が、当時の秋葉原系のニュースサイトなどで報じられている。

 そしてその頃から、秋葉原に来ている人たちに対する、管理・監視の強化も始まっている。

 当時、秋葉原にくるオタクが「おとなしく、金を持っている」として、カツアゲなどの恐喝行為に合う、通称「オタク狩り」が問題になっていた。警察による職務質問の強化は、そうした犯罪に対する対抗策という側面もあったのだろう。

 しかし、おとなしく圧力に屈しやすいオタクたちは、恐喝犯にとって都合がいい存在であった反面、警察にとってもまた都合のいい「ターゲット」であった。

 女子高生が日記帳やプリクラ、場所によってはホットカーラーを持ち歩くように、秋葉原のオタクたちは、手紙の封を開けたり、少し緩んだネジを締めるなどの利便性やミリタリー好きなどの嗜好を満たすために十徳ナイフ(アーミーナイフ)やドライバーといったツール類 を所有していることが少なくなかった。警察はこうしたオタクたちを狙った職務質問を頻繁におこない、かばんを開けさせて、十徳ナイフが見つかれば銃刀法違反だとして、盛んに連行したのである。

 中には管轄外であるはずの文京区本富士署の警官が、わざわざ秋葉原まで遠征して職務質問をしていたという事実が、写真週刊誌によって報じられている。

 2007年のアサヒコムの記事によると、万世橋署では、2002年には3件だった銃刀法違反容疑での事件送致の件数が、2003年には7件。2004年には35件。そして2005年には84件と急増していたとある。これは、2004年から秋葉原で警察官による職務質問が増えていたという私の実感と合致する。

 警察は「(オタクたちに)動機を尋ねると護身用と答えた」としている。しかし、少し考えてみれば分かることだが、カバンの中にいれた十徳ナイフなど、護身用に使えるはずがない。まさか暴漢の前でカバンをごそごそと探り、悠長にツメの先でナイフをとり出すわけには行かないはずだ。にもかかわらず護身用と答える人が多いのはなぜか。

現場近くで手を合わせる人々。山本裕之撮影。

 理由は簡単で、一度警察に身柄を拘束されてしまえば「護身用」とでも答えない限り、警察がいつまでたっても身柄を開放してくれないからだ。

 警察は、軽犯罪法第一条第二項「正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者」違反で書類送検をしたいので、たとえ何か理由があろうとも、かたくなに「正当な理由」として認めようとしない。

 実際に連行され取り調べをされた人たちが書いたWeb上の日記などを見ると、いくら用途を説明しても納得してもらえず、取り調べが長時間に及び、やむなく護身用と答えて開放してもらったというパターンが、数多く見られる。

 取り調べている警察官は仕事だから時間を気にする必要はないが、取り調べられている側は、仕事の途中かもしれないし、家族や友達との約束があるかもしれない。護身用と答えれば解放されるのであれば、そう答えてしまうのは当然だろう。

 この頃を期に「オタク狩り」という言葉は、「オタクに対するカツアゲ」という従来の意味に加え、「警官が点数稼ぎのために、オタクを狙って職務質問を繰り返して連行する行為」を含むようになった。

 こうした、これまでの警察の取り組みを知っていれば、今回の秋葉原の歩行者天国再開における指導の厳しさは、決して連続殺傷事件の影響ではなく、事件はその理由付けに利用されているに過ぎないのではないかという疑問がわくのである。

◇2000年代半ばに生まれた「無法地帯アキバ」像◇

 私は、2004年ごろに、秋葉原をめぐるもう一つの変化があったと考えている。

 2004年の秋葉原界隈で何があったかといえば『電車男』ブームである。

 ネット上の掲示板、2ちゃんねるから生まれたオタク男性の恋愛ストーリーは、2004年の10月に書籍化され、やがて映画やテレビドラマにもなった。

 これを期に秋葉原が注目され、徐々に歩行者天国にテレビカメラがネタを探しに集まってくるようになる。

 そうした中で、メイドを中心にさまざまなコスプレをした女性が接客をする「メイドカフェ」や、アイドルのファンがコンサート会場などで激しく統率されたパフォーマンスを繰り広げる「オタ芸」といった「いかにも」な事柄にテレビカメラが向けられ、「これこそが秋葉原である」として、ワイドショーやバラエティー番組などで伝えられた。

 報道が盛んになるにつれ、そうした雑多な趣味を受け入れる秋葉原という場所は、マスコミ向けの「アキバ」に変化して行く ことになる。メイドカフェが増え、それを目当てにした観光客が押し寄せるようになるのと同じように、やがて中央通りはカメラを意識したパフォーマーやコスプレイヤーが集まるようになる。ネット上で呼びかけられた、パフォーマンス系のオフ会が開催されるようになり、そしてそれらを目当てにした観光客やアマチュアカメラマン、さらにマスコミのカメラがあふれるようになっていった。

越田省吾撮影。

 そして、こうした秋葉原のごく一部をクローズアップした風景や空気が「アキバらしさ」として喧伝され、日本のカルチャーとして海外にまで紹介されるようにもなった。観光庁による外国人向けの日本観光キャンペーンサイト「VISIT JAPAN」の2010年版のオフィシャルガイドブックには、日本のポップカルチャーの紹介に、秋葉原の歩行者天国でアニソンなどを踊るオフ会の写真が使われている。

 だが、秋葉原にいる人たちは、必ずしもメイドカフェに通っていたわけではなく、オタ芸を繰り広げるアイドルマニアばかりでもなかった。現実の秋葉原は2004年以前と同様、現在も、電子部品を買いそろえる人たちや、パソコンの部品を探す人たち、オーディオ関連や古いゲームソフトなど、さまざまな趣味志向を持つ人たち、すなわち本当の意味での多様なオタクたちが集う場所である。もちろん彼らの大半はコスプレもパフォーマンスもしない。彼らは、マスコミや政府が「アキバ文化」として喧伝しようとしているイメージが、自らの利用実態とかけ離れたものであることに戸惑いを感じていた。

 そうした中、2008年に入ると、歩行者天国でエアガンを乱射する者や、スクール水着姿でのイベントの宣伝、さらにはスカート姿で股を開いて下着を撮影させる など、問題のある行動を起こす人たちが目立ちはじめると、歩行者天国でのパフォーマンスに対し、秋葉原に集うオタク達からの辛辣な非難が次第に目につくようになった。

 そうした反発の背景には、

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