武田徹
2011年03月07日
まだ学生になっていない受験生が相手だとしても、入学試験はその大学で教育を受けるかどうかの資格を問うという意味では、大学教育の最前衛に位置する。実際、問題は大学の教員が作成の責任を負うものだ。そうした試験における不正行為を、大学側は教育の問題として受け止めるべきで、もちろん不正が発覚した以上は受験資格を喪失させるなどの厳しい措置を採るべきだが、学ぶものたちへの最初の教育的指導の一環であるべきだ。
にもかかわらず今回の件で大学はあまりに安易に警察権力の介入を許し、それについての疑念を持っていないかのように思えた。
もちろんケータイ電話が不正行為に使われ、試験会場で現場を押さえられなかった以上は、不正行為者の特定にはケータイ使用履歴などの確認が必要となる。それは捜査目的でなければ開示されないので警察に協力を仰ぐ必要があった。こうして現代のメディア情報環境が、たとえば大学だけで問題処理ができないものになっている事情は認める。しかし、協力を仰ぐことと教育的指導を放棄することとは別物だろう。
警察の逮捕も「一罰百戒」の効果を狙ったのかもしれない。機密情報の流出事件が相次いでおり、ネットを使った業務妨害行為に毅然とした態度で臨む必要があったのかもしれない。それにしても、成人前の青少年が当事者である、良くも悪くも「たかがカンニング」事件(あえて「たかが」の冠を付けたい)をそうしたデモンストレーションの場に選ぶべきかに一考の余地はなかったか。
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