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オピニオン3・11――東日本大震災を考える(1)【無料】

朝日新聞3月16日付オピニオン面(高嶋哲夫さん、広瀬弘忠さん)

◆不眠不休の現場を支えよ

高嶋哲夫さん(作家・元核融合研究者

 1995年の阪神大震災で被災しました。神戸市の自宅は倒壊しなかったのですが、川を隔てた近くの地域は、がれきの山と化しました。地震発生の数日後、友人を探しに街を歩きました。今回の地震の映像から被災者の方々の様子を見て、あの時を思い出し、胸を痛めています。

 防災の思いも込めて、巨大地震で日本が壊滅する小説を書きました。宮城県沖地震はここ30年ぐらいの間に90%の確率で発生するとみられていました。今回の地震は、起こるべくして起こったともいえます。

 津波の猛威が生々しく伝えられるのは初めてでショックを受けましたが、液状化現象、石油備蓄タンク火災、帰宅困難者などは想定された事態です。しかし福島第一原子力発電所の事故は想像を超えたものです。

 私見ですが、対応が後手に回っている印象です。私はかつて日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)の研究員でした。原発関係で働く知人もいます。彼らは真面目でとても優秀です。ただ、地元自治体やメディアに神経質になるあまり、問題を抱え込む傾向がある。自衛隊など他機関への支援要請は早い段階でするべきですし、原子炉の格納容器を海水で冷やす措置も、もっと早く行えたのではないでしょうか。

 日本原子力研究開発機構からは、30人近くが交代で福島原発で対応しています。現場では不眠不休で努力しているはずです。精神的にも肉体的にも疲労が蓄積するかもしれない。人為ミスは絶対に避けなければいけない。十分な人員の確保などサポート体制を整えてほしいです。

 ことここに至っては、電力会社も政府もすべての生データをリアルタイムで公表し、諸外国含め専門家の意見を広く求めるのも手かとも思います。その上で、混乱を避けるために決定は当事者がやればいい。

 この事故により、エネルギー政策の柱として推進されてきた日本の原発は、かなりの長期間、立ち直れないでしょう。石油など化石燃料の資源は限られており、将来を考えても原発は必要です。原発の普及では、高い技術力、安全思想を誇る日本がイニシアチブをとって世界をリードするべきだと思っていました。でも、こうなると無理です。国内でも懐疑的な声が強くなるでしょう。

 安全対策は全面的な見直しが求められます。今回、電源喪失によって冷却ポンプや緊急炉心冷却システム(ECCS)が作動しませんでした。原子炉そのものではなく、電源など予備的なシステムのあり方を再検討しなければいけません。

 原発の運営に携わる人間の技量アップも欠かせません。危機的状況に対して、どう冷静に対処するか。例えば、心理学を含めた総合的な人材教育などの研究に取り組むことも必要ではないでしょうか。

 巨大地震やそれに伴う大津波は100年単位で起きます。次世代への継承が難しい。三陸では明治、昭和初期に甚大な津波被害がありましたが、どれほどの危機感が引き継がれたでしょうか。今回の悲惨な状況を伝える映像や新聞などの報道は保存し、繰り返し見てほしい。日本は地震国だということを常に頭に置くべきです。(聞き手・金重秀幸)

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 たかしま・ただお 49年生まれ。99年、サントリーミステリー大賞受賞。著書に「M8」「TSUNAMI」など。

◆ネット使って支援策募れ

広瀬弘忠さん(東京女子大教授

 二つの意味でわれわれが体験したことのない大災害だ。

 阪神大震災や中越地震の場合は被害が一定の地域に集中していた。東日本大震災はその地震の規模も巨大なら、被害もケタ違いに広範囲だ。このため、市民レベルでいえば、被害を受けなかった周辺地域からボランティアが現地入りして被災地に援助の手をさしのべる、というこれまでの方法が採りにくい。

 もうひとつは、地震と津波というこの上なく激烈な刺激と、原子力発電所の事故という目に見えない災害が複合していること。これもまた前例がなく、とらえどころのなさを増大させる要因になっている。

 ただ、今回は地震体験の共有される範囲も大きい。私も地震の起きた日は東京都内の仕事場から家に帰れず、翌日夜明け前の帰宅となった。「私たちはこれですんだが、肉親を亡くし、家を失った人たちはどんなにかつらいだろう」という切実な思いを多くの人が持ったことだろう。

 実際、東北では多くの人が避難所生活を強いられている。今はまだ被災直後の緊張状態にあって「命があっただけよかった」という高揚感でエネルギーが出せているかもしれないが、数日もすれば深い喪失感と悲しみに襲われる。適切な精神的ケアと生活環境の整備もまた、従来とは異なる規模で必要になる。

 ボランティアの支援を制限している現状も早めに見直したほうがよい。被災地の人々を励ます、あるいは生活の援助をするメニューの考案は急がなくてはならない。むしろ、インターネットなどを通じて、積極的にアイデアを募るべきだ。ネットはデマや流言飛語の温床にもなるが、民間の知恵の集積地にもなる。

 そのためにも、正確な事実を広めていくことが重要だ。とりわけ、原発についての説明がこれまで十分でないことが気になる。深刻で重大な事態に陥っているならばそれを国民にきちんと知らせないと、逆に不安やストレスをあおる結果となる。

 1979年の米スリーマイル島原発事故の時、私は隣のオハイオ州にいて、事故発生直後から住民心理の推移を間近に見聞きし、目に見えない災害に見舞われた際のストレスの大きさを実感した。

 パニックは事実の隠蔽が引き起こす。どんなに深刻な状況でも、事実に直面すれば起きない。デマも同様で、曖昧模糊としたものを解釈する過程で生まれる。一般大衆の願望、疑い、恐れが物語へと組み込まれた、一種の作品なのだ。

 民衆の想像力は、被災者を支援したり、元気づけたりする方策にこそ使われるべきだ。先日のタイガーマスク運動をみれば、潜在的に善意を持つ人は多いことが分かる。みんなが参加したくなるような新しい道筋を考えていきたい。例えば、突然の節電を人気アニメに重ね「ヤシマ作戦」と呼ぶ工夫などは面白い。日本の大衆運動はともすれば禁欲的になりがちだが、長期戦を乗り越えるには、空想や脱力感も欲しい。

 そして、うっかりしていると混入しがちな、根拠のないうわさや風評には惑わされないことだ。日本はそれができるだけ十分に成熟した共同体であるはずだ。(聞き手・鈴木繁)

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 ひろせ・ひろただ 42年生まれ。専門は、災害・リスク心理学。著書に「人はなぜ逃げおくれるのか」。