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過疎の村・川内村が全村でとった行動

鐸木能光(たくき・よしみつ)=作家・作曲家 福島県川内村在住

 私はいま、川崎市の自分の仕事場にいます。ここで原稿を書いています。家は福島県川内村にあります。福島第一原発から20kmちょっとというところです。私は12日午後6時過ぎに村を出て、途中で一泊して川崎市に13日午後4時頃に着きました。

 川内村の家は、11日の地震被害はほとんどありませんでした。周囲の家も、古い家で瓦が落ちた程度です。しかし、原発事故で一変しました。

 携帯電話は地震直後から遮断され(圏外の表示に)、12日の午前中までは、まだインターネット回線が通じていましたが、午後からまずネットが、次に固定電話が……と次々に通信手段がなくなり、不安になっていたところ、夕方、つけっぱなしにしていたテレビに最初の水素爆発の映像が流れました。この映像は地元テレビ局の定点観測カメラのものらしいのですが、放送されたのは爆発から1時間半くらい経ってから。

 これで私は相当慌てました。1時間半も経って第一報。しかも格納容器ごと吹っ飛んだのか、建屋が吹っ飛んだのか、建屋の外の爆発なのかという情報が入ってきません。最悪の事態であれば、1時間半は致命的なタイムロスです。幸い、そうではありませんでしたが。移動準備をしながら、6時からあるという官房長官会見を見届けようと待っていました。しかし、会見が始まって見ていると、あまりに楽観的なことを言っているので、逆に恐怖感が一気に増しました。あの会見の前、官邸や東電、保安院の間で、どこまで発表するかを相談していたのでしょう。その結果の発表が、具体的情報がほとんど含まれていないあの会見。「これは見捨てられた。自分で判断し行動しなければ」と自分なりに覚悟を決めた瞬間、正直、心臓が少しバクバクし始めました。

 すぐに準備して家を出て、風上(南東方向)に逃げ、白河市のお寺に一泊させてもらい、翌朝、川崎市の仕事場をめざしました。

 川崎市の仕事場に着いてからは、ネット、携帯電話などを通じて、知人・友人たちの安否を確認し合っていました。友人たちの何人かはすでに脱出していましたが、村が情報遮断されていて、残っている人たちの状況がなかなか掴めません。

 3月16日になって、ようやく友人の村議会議員(商工会会長でもある)井出茂さんがmixiに書き込んだメッセージを読めました。

 国が発した20km圏内避難、30kmまでは屋内待避という指示を守っていたが、国からも県からも村にはなんの連絡もない。一方で、現場に入っていた作業員が村に戻ってきたり、消火活動の応援にいった近隣の消防が帰ってきたりして、現場の様子がリアルに伝わってくる。「現場ではとんでもないことになっているのに、テレビでは何も伝えていない!」という悲鳴に近い訴えを聞き、村に残っている人たちの緊張感が限界に近づいていることを感じました。

 現場を見ている人は必ずしも原子力の基礎知識を持っているわけではないので、放射線量の意味や、避難の際の注意点を正確に伝えられるわけではありません。しかし、惨状だけはリアルな感覚で分かります。そうした状況で、上部組織からの指示はまったくないという「見殺し状態」(井出氏)がずっと続いたのです。

 その後、白河市に避難した友人からの情報では、15日の段階で、遠藤雄幸(ゆうこう)村長は「(20~30kmの屋内待避に従わずに)もっと遠くへ避難すべきだ」という決断をしたとのことですが、その段階では「自主避難を勧める」ということだったようです。(http://www.youtube.com/watch?v=2LHFznIFhD4

 16日になってからは、特に4号機が相当危ない状態だという情報が現場から伝わってきて、村の緊張はピークに達したようです。

 4号機は定期点検で休止中ですが、燃料棒交換してまだ間もなく、かなりの熱を持っている上、放射能は使用済み燃料のほうがはるかに高いので、それが露出し、発熱を続けていることは極めて危険な事態も想定されるということでしょう。

 そしてついに、遠藤村長は独自に全員強制避難を決定。郡山ビッグパレットに向かって村内に残る全員を移動させ始めました。西風(海に向かう風)が強く吹くという予報の出ている今日、明日が、移動するなら最大のチャンスですからこの決断は正しいと思います。

 井出さんは16日13時24分、mixiへこう書き込みます。「孤立無援の状態が続いています。政府、県がいつまでも方向性を示さない現状を打開すべく強制避難をします。郡山のビッグパレットを目指して大移動を開始しました。総理、県知事の高度な政治的判断を期待したが、全く期待はずれでした。こういう時に力量が分かるものです」

 彼はこれを、避難者の誘導や近隣自治体との連絡などで村から出たとき、わずかに残った通信可能エリアから発信しています。その後また、通信遮断された村に戻る……。その姿を想像すると、本当に後ろめたい思いですが、通信可能な場所にいる私にできることは、このことをメディアに知らせることだと割り切り、発信しています。 

 これを書いている16日15時40分現在、第一陣はすでに郡山入りしたと、朝日新聞の地元記者からも連絡がありました。国の指示を超えて決断した遠藤村長の行動の是非を問う論調の記事などがこれから出てくるかもしれませんが、孤立した現場の切迫感と、あまりにも無責任な、あるいは無責任にならざるをえないほど追いつめられている国、県、そして東電の姿勢を考えれば、村長の決断を安易に批判することなど到底できません。私は村長の決断を断固支持します。どちらかに決めなければならない場合、最悪の事態を避けられるほうの決断をするのは当然のことでしょう。

 今回の災害は、地震災害というより、9割以上は「津波災害」です。川内村は、津波被害はなかったので、地震だけであれば、今もいつも通りの暮らしをしており、冷静に浜側(富岡町、双葉町など)で津波被害にあったかたたちの受け入れをしていたはずです。

 住んでいる私がいちばんよく知っていますが、川内村は本来、災害には強い場所なのです。それを根底からひっくり返し、さらには緊急を要する津波被害の被災地救援をも極めて困難にさせたのが今回の甚大な原発事故なのです。

 つい先日、3月1日付けの福島民友の記事は、第一原発での多数の点検漏れなどを報じています(http://www.minyu-net.com/news/news/0301/news3.html)。そもそも、バックアップ電源関連の設備を原発本体より海側に用意しているというのはお話になりません。陸側に何重にも強固な送電手段を作っておくのはあたりまえでしょうに。これでは天災ではなく人災というしかないと私は思います。

 これが日本の原発の実態です。

 最後に、今必要なのは、こまめで正確な風向き情報と、風上は安全なので慌てず冷静に行動せよ、という情報伝達だということを強調しておきます。

 半径20km、30kmで一律に区切っても意味がありません。風上10kmより風下100kmのほうがはるかに高い数値が出るはずです。こういうときにこそ、行政や企業のトップの力量が問われているのです。とにかく正確で「正直な」情報をすぐに発信してください。知らせることによるパニックより、知らされないと疑心暗鬼になることからのパニックのほうがずっと起こりやすいのですから。

 今回の事故は、放射能漏れによる直接の健康被害はもとより、「世界的な風評被害」によるダメージが計りしれないということを教えています。すでに海外メディアは、津波被害の悲惨さよりも、放射能漏れのニュースが大半を占めていて、関心はほとんど原発事故に集中しています。

 これから事故が収束し、後始末をするのには長い時間と莫大なお金がかかるでしょう。信用を失った日本の経済や技術からくる損失もはかりしれません。そういうコストがすべてこれから先、電気料金や税金にはねかえってきます。

 実効性の高い、技術の確立された発電方法を見直し、なによりも、少ないエネルギー消費で豊かな幸福感を得られる文化的な生活をめざす国になるようシフトチェンジすることが絶対に必要です。

 日本人はもともと、大食い、欲望暴走型の生活をする人たちではなかったはずです。今はまず人命第一でこの難局を乗り越え、少し時間が経ったら、そのことを真剣に考え直したいと願っています。

【追記】

19時50分の井出さんからのメッセージを紹介します。

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これからビッグパレットを目指します。 2011年03月16日19:50

避難所であるかわうちの湯から富岡町民を全員避難させるべくバスに乗車させました。

7時でした。ぼくは、これから故郷を後にします。涙が勝手に出て止まりません。復興

を心に誓い後にします。村民の皆さんまた笑顔でお会い出来るのを楽しみにしています。

その時が来るまで頑張りましょう。

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