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災厄にひそむ“好機”を活用しよう

斎藤環

斎藤環 精神科医

未曾有の大災害が私達の日常にもたらした損害は、いまだはかりしれないものがある。しかし、不幸に圧倒されるばかりでは今後の展望につながらない。治療者としての私は、信条の一つとして、つねづね「ピンチはチャンス」と考えている。未曾有の危機、前代未聞の不幸には、その中に必ず、小さなチャンスの芽をはらんでいるものなのだ。

私は災害医学の専門家ではないが、ひきこもりを専門とする立場から、この機会にぜひ伝えておきたいことがある。

たとえば、こんなニュースがあった。

 岩手県の野田村で、15年間ひきこもっていた48歳の男性が、津波で家が流されて奇跡的に生還し、避難所で周囲と助け合いながら生活をはじめたという(3月17日付 MSN産経ニュース)。

私は確信するが、おそらくこの男性は、この震災を機会に社会参加を果たすことができるはずだ。ただし、本当にそうなるかどうかの鍵を握るのは、避難生活が過ぎて日常が戻ってきたときに、彼の家族がどのように対応するか、である。

 私の考えでは、もしこの男性が、避難所で大きな問題を起こさずに生活することができたのならば、復興が住んでからは家族と同居すべきではない。別居がそのまま自立にはつながらないが、たとえ福祉制度を利用することになったとしても、彼にはこの機会に、単身生活をはじめることをお勧めしたい。

 16年前、阪神・淡路大震災の際にも、ひきこもっていた人々が復興で大いに活躍したと聞いた。社会システムがダウンした時こそは、ふだん彼らを圧倒している抑圧が少しだけ軽くなり、外へと向かう重要なきっかけをもたらすのだ。

以上のようなエピソードをヒントに、現在ひきこもりやそれに近い状態の家族を持つ人たちに検討していただきたいことがある。

 今回、少しでも被災を経験した家庭では、そこからの復旧に際して、積極的に本人の力を借りてもらいたいのだ。はじめから「どうせ何もしてくれないだろう」と諦めるべきではない。彼らは「リアルな危機感」にもとづく必然性を感じることさえできれば、むしろ復旧に積極的に協力したいという気持ちを持っているものだ。くれぐれも、そうした思いを無駄にしないでほしい。

 たとえ被災が軽微な場合でも、今は各地で買いだめが横行して品不足になっている。ならば買い出しに協力してもらうのもいいだろう。運転ができるのなら給油を手伝ってもらうとか、計画停電のさいの水や照明の確保、あるいはネットをつかって停電情報を引き出してもらうのもいい。

 被害がほとんど、あるいは全くなかった家庭には、被災地のためにどんなことができるか、家族で一緒に考えてみることをお勧めしたい。日本中がテレビやネットに釘付けになっている今こそ、普段乏しくなりがちな家族間の会話を活性化する良い機会でもある。

 募金に協力してもらう、あるいはボランティアとしての参加を検討してみるのはどうだろうか。いずれ被災地では人手がいくらあっても足りない状況になるであろう。募集がはじまったら、親子で被災地でのボランティア活動に参加することも検討してみてほしい。

 ここで一点、注意しておくべきことがある。本人に対してはくれぐれも「被災地の人たちはもっと大変なんだから」といった「お説教」をしないことだ。これほど「子供だまし」な表現はない。言われた本人は奮起するどころか、バカにされた屈辱感でますますかたくなになりかねない。 ・・・ログインして読む
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筆者

斎藤環

斎藤環(さいとう・たまき) 精神科医

精神科医。1961年、岩手県生まれ。筑波大学医学専門群(環境生態学)卒業。医学博士。爽風会佐々木病院診療部長を経て、2013年4月から筑波大教授(社会精神保健学)。専門は青年期の精神病理学、病跡学、精神分析。著書に『文脈病』『社会的ひきこもり』『関係の化学としての文学』など。

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