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雅子妃への、きわめて控えめな提言

斎藤環 精神科医

この記事を書こうか書くまいか、実はかなり迷っていた。

 しかし、書くタイミングは、おそらく今をおいてほかにない。この機会を逃したら、次のチャンスは永遠に巡ってこない。というか、簡単に巡ってこられても困る。

 なので、あえて浅慮にすぎないかもしれない記事を投稿する。もちろん文責は私一人に帰属するし、バカとか不謹慎とか爆発しろといった批判は甘んじて受けるつもりだ。

 もったいぶらずに書いてしまおう。雅子妃のことだ。

 以下はもちろん、雅子妃の体調が安定していて、今回の被災によっても、それほど大きなダメージを受けていないと仮定した上での話である。

 震災を一週間ほど過ぎたあたりから、私は彼女に「あること」を引き受けてもらえないものかとずっと考えていた。「あること」というのはほかでもない、震災被災地の訪問である。かなうことなら皇太子とともに被災地を訪問し、避難民を励まし、犠牲者のために祈る、というミッションを、彼女に引き受けてはもらえないだろうか。

 ならば普通に皇太子夫妻の訪問を期待する、と言えば良いではないか。なぜあえて、皇太子より雅子妃のほうを強調するのか。

 周知の通り、彼女はこの数年というもの、「適応障害」とか「新型うつ」とか、さまざまな呼ばれ方をする“体調不良”に苦しんできた。長い間、彼女の顔からは心からの笑顔が失われている。公式行事への参加にしても、安定的には続いていない。

 私はこれを皇室という環境への不適応と考え、さらに彼女の一挙手一投足を批判とともに注視し続ける国民からの視線を「一億総小姑」と表現した。医師として見ても、これほどストレスフルな環境下で、回復が順調に進むとはとても思えない。

 もはや彼女が真の回復に至るためには、愛子さまとともにしばらくの間、少なくとも数年以上をかけて、海外で静養してもらうほかはない。私は本気でそう考えていた。ここでひとこと断っておくが、私自身は皇統の存続よりも、雅子妃という一個人がシステムの重圧に潰されかねない状況のほうを、一精神科医として憂うるものである。

 ストレスの原因はほかにもあろう。

 徹底した近代教育を受けた雅子妃のような女性に、公式行事はともかくとして、それを信じない者にとってはおよそ意味不明な宮中祭祀を強要することが、いかほどストレスになり得るか。立場ゆえにこなさねばならない形式的な役割がいかばかり辛いものかは、旧家に嫁いだ女性ならみな覚えがあろう。「覚悟が足りない」云々の批判は、心から彼女の回復を願うなら出てくるはずもない“悪口”にすぎない。

 公式行事への出席にしても、単に好奇の目にさらされるだけなら、どれほどの意味があるだろう。出席しなければ怠け者扱い、がんばって出席 すれば仮病扱いでは、まともに治るものも治らない。

 これほど妨害要因に満ちた治療環境で、それでも一歩ずつ改善に近づいている雅子妃と医師団の努力には、素直に頭が下がる。すぐ海外とか言い出す短慮な私なら、とっくに途方に暮れていただろう。

 そんな困難な状況も、この震災を機に流れが変わるかもしれない。皇室について言えば、これを機に存在感が高まるか、人々から忘れ去られるか、いずれかの極端に向かいそうな懸念がある。

 ではなぜ、被災地訪問なのか。 ・・・ログインして読む
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筆者

斎藤環

斎藤環(さいとう・たまき) 精神科医

精神科医。1961年、岩手県生まれ。筑波大学医学専門群(環境生態学)卒業。医学博士。爽風会佐々木病院診療部長を経て、2013年4月から筑波大教授(社会精神保健学)。専門は青年期の精神病理学、病跡学、精神分析。著書に『文脈病』『社会的ひきこもり』『関係の化学としての文学』など。

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