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原発震災3週間を経たFUKUSHIMAの課題

鐸木能光(たくき・よしみつ)=作家・作曲家 福島県川内村の自宅から避難中

 「原発震災」という言葉を最初に唱えたのは地震学者の石橋克彦さん(神戸大学名誉教授)だと思いますが(*1)、福島は今、石橋教授が警鐘を鳴らしていた原発震災のまっただ中にいます。

 前回の拙稿『過疎の村・川内村が全村でとった行動』(3月16日)の続報として、現在の「原発震災被災地」の状況と今後の問題について書いてみます。

 自宅のある川内村から川崎市麻生区の仕事場に避難してきてからも、しばらくはガソリンが手に入らず、村に戻ることはできませんでした。相当慌てて出てきてしまったため、いろいろなことをやり残してきています。放射性物質による汚染状況なども、ネットで発表されている文科省のモニタリングカーの計測数値などを通じて、かなり分かってきたので、早い時期に一度村に戻りたいと思っていました。

 川内村はすでに浜側の富岡町(福島第二原発がある町)からの避難住民と、もともとの川内村住民全員が郡山ビッグパレットに避難したとのことでしたが、その後、避難所にいる村の職員や商工会長などとネットを通じて情報交換している中、まだ数十人が村に残っていること、避難所での厳しい生活に耐えられないお年寄りを抱えている家族などが村に戻っていくケースが増えていることを知りました。

 しかし、村は今でもインターネット、携帯電話、固定電話のすべての通信が遮断されていて、ガソリンもないため、残っている村民同士が連絡を取ることもできません。それ以前に、誰が残っているのかも正確には分からないのです。

 3月26日(土曜日)、私と妻は、愛車の後ろに20リットルのガソリン携行缶2つ(*2)と、近所のスーパーで購入した食料などを積み、ポケットにはガイガーカウンターを入れて川内村に向かいました。

 私が持っているガイガーカウンターはロシア製で、初期設定では0.3μシーベルト/hを超えると警報が鳴るのですが、常磐道に入ったあたりから頻繁に警報が鳴るために、警報音の閾値を高く設定することを繰り返さなければなりませんでした。ちなみに、移動中に記録した最高値は、川内村に入る手前に峠越えをした鬼ヶ城といういわき市の施設付近で、5.4マイクロシーベルトでした(*3)。

 車のダッシュボードには、検問に備えて「川内村住民・一時帰宅&救援物資運搬」と書いたボードを掲げ、ビッグパレットに移転した村役場からFAXで送ってもらった「居住者証明書」のコピーも用意していたのですが、家(第一原発から約25km西南西)に着くまで、検問の類は一度もなし。村に入ってからは、人ひとり、車1台すれ違いませんでした。

 雪が降り出した中、村に残っていると聞いていた元消防署勤務のSさん宅に直行。村内に残っていると思われる人のリストや最新の放射線測定値をコピーしたプリント数部とガソリン、食料を託しました。

 Sさんの話では、村の呼びかけに従って一度は避難したものの、老齢の母親を抱えているため、避難所暮らしは無理だと判断して戻ってきたそうです。やはりガソリンと通信手段がないため、近所の誰が残っているのかも分からず、動きがとれないとのことでした。

 ビッグパレットに移転した川内村役場は、避難した村民とその避難先、村に残っている村民のリストをWEB上で逐一更新しながら公開しているのですが、村に残っている人たちは通信手段がないためにその情報を得られません。それが分かっていたので、村に残っている人たちのリストや、村長からのメッセージ、それに、23日に原子力安全委員会が公表した放射性ヨウ素の拡散予測マップなどの情報をコンパクトにまとめたプリントを用意して持って行ったのです。

 データを見る限り、川内村は奇跡的に放射線量が低い。福島市、郡山市、いわき市などに比べても低いから、不必要に恐れることはないですよ、と伝え、ささやかな救援物資の分配をお願いしました。

 翌日、Sさんから物資を受け取ったというかたから、私のケータイにお礼の電話がありました。お会いしたことのないかたでしたが、ケータイがつながったことに驚いて「通信が回復したのですか?」と訊ねたところ、自分の家はもともと携帯電話の電波が届かないので、家の外に自力で高い携帯電話専用アンテナを建ててあるとのことでした。そのアンテナは、村をカバーしている中継局ではなく、山の向こう側(田村市側)の中継局にときどきつながるので、運がよければこうしてつながるのだとのこと。

 過疎の村に住む私たちは、日頃から自力でできる範囲のライフラインを確立する努力をしています。ですから、多少のことではそうそう慌てません。そのへんも、都会に暮らしている政治家や組織のトップには想像が及ばないことかもしれません。

 さて、私はこの一時帰宅から再び川崎市の仕事場に戻り、その後の第一原発の様子を注視していますが、

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