宇野常寛
2011年04月08日
東日本大震災と呼ばれる先の地震から一か月が経とうとしている。甚大な、という表現すら余りあるその傷は深く未だ被害の全貌すら把握できないのが現状だ。これからしばらくの間、日本は災害からの復興という視点抜きに物事を考えることすら難しいだろう。
さて、本稿ではごくごく簡単に文化批評の立場からこの震災の影響を考えてみたい。
私がここで指摘したいことは二つある。それは第一にメディア状況の変化であり、第二に震災後の物語的想像力の変化である。
メディア状況の変化については、震災直後の緊急報道体制が結果的にだが日本における旧メディア(新聞、出版、テレビ)とインターネットとの融合のかたちを示したと考えている。NHKが事実上の副放送としてニコニコ動画を使用したことが象徴的だが、震災とその後の緊急報道体制は近い将来、同サイト的な動画配信/共有サイトがテレビの未来像であることを端的に示してしまった。おそらく、キー局はなんらかのかたちで動画サイトをもち副放送としてインターネット放送を行わなければならなくなるだろうし、ニコニコ動画は第七のキー局としてのし上がっていくだろう。こうした動画サイトを中心としたテレビとインターネットの融合は、昨年後半から主に報道・討論番組を中心に早朝や深夜枠で試験的に行われてきたが、震災報道はこの流れを一気に加速したと言える。
両者が売買収にて経営レベルで統合していったアメリカとは異なり、日本においてはメディアレベルで両者の区別が曖昧になることでの統合が進むというビジョンが有力になったと言えるだろう。これはテレビが大きく貢献していた日本社会の高い均質性の維持機能が、インターネットに大きくその場を移すことを意味する。この震災時にインターネット、特にツイッターなどのソーシャルメディアで大きな発言力をもった若い知識人層たちが世論に与える影響は、これによって大きく増すだろう。
第二に、これはほとんど個人的な興味に近いが、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください