メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

福島県は本当に「自立再生」に向かっているのか?

鐸木能光(たくき よしみつ)=作家・作曲家。福島県川内村の自宅から避難中

 福島第一原発1号機が水素爆発し、その直後に、自宅のある川内村から川崎市の仕事場に避難してきた3月12日から、早くも1カ月が経過しました。

 不安と怒りと緊張の中、あっという間の1カ月という気もしますが、1カ月経っても事態が好転していないどころかどんどん深刻になっていく状況にほとほと疲れ果てています。

 ここ1週間ほどで、原発周辺地域の様子もずいぶん変わってきました。ご報告がてら、今私がいちばん憂慮している問題について書こうと思います。

◇通信復活で住民が戻ってきたが、行政の迷走ぶりは相変わらず◇

 川内村の通信は、4月5日前後に相次いで復活しました。

 まずはインターネット回線(NTTのBフレッツ)が復活し、ネットとひかり電話(NTTが提供しているIP電話)、他社IP電話が復旧。当初はIP電話同士ならつながるものの、片方がアナログ電話だとつながりづらいなど、完全ではありませんでしたが、それも1日程度で完全復旧。携帯電話もDoCoMoが復旧。

 4月11日の大きな余震で、12日から再び通信不能となりましたが、今度は13日にすぐ復旧しました。

 通信が回復したことで、村に戻る人たちが一気に増えました。これを書いている4月13日現在、少なくとも200人以上、数百人が戻っているようです。

 川内村は千代田区の17倍の面積(197.38平方キロ)に家が千戸、人口は3千人を切っている過疎の山村ですから、数百人規模で住民が戻っているということは、事実上「正常化」に向けて動き始めたということです。実際、営業を始めた商店などもあります。

 一方で、国や県がいっこうに復興指針を示さないどころか、場当たり的な指示を出すため、住民の不信感は限界を超えています。

 前回のリポートでも書きましたが、3月30日、佐藤雄平福島県知事が国に対して「20km圏内は強制的に立ち入りできないように『警戒区域』に設定せよ」と求めました。

 国はこれを一度は「預かり」として決定しませんでしたが、現在、20km境界線での検問は強化されています。今までは検問ポイントも少なく、あっても警官がひとり程度で「一時帰宅です」と言えば通れていたのが、かなり厳しくなっているそうです。

 前回のリポートでとりあげたあぶくま厚生園は、田村市の多機能集会所ではどうにもならず、千葉県の施設に再引っ越しを余儀なくさせられました。しかし、そこはバリアフリーの建物ではないため、車椅子をスタッフ二人が両側から抱えて階段を上り下りするなど、以前の何倍もの苦労を強いられているとのこと。

 施設があった元の場所はぎりぎり20km圏ですが、放射線量はそれほど高くありません。しっかり調査をした上で、戻れればそれに越したことはないのですが、県は認めないでしょう。スタッフや入所者たちの苦労はまだまだ続きます。

 川内村だけでなく、今、第一原発周辺では、牛が数頭ずつ群れをなして自動車道路を歩いている光景が普通に見られます(写真提供:自然山通信)。

 避難指示に従って家を離れた農家では、家に戻れず牛や豚に餌もやれない。家畜を放ってはおけないからと家に残った人たちも、出荷できないのでどうしようもない。諦めて牛を殺処分するにしても、業者が来てくれないので処分できない。生かしておくにも餌がない、人手もない。県も国も返事をくれないので、村も明確な対応指示が出せない。

 一時期、「牛の疎開」を受け入れる牧場が名乗りを上げたというニュースが流れましたが、30km圏内からの牛は受け入れられないとのこと。また、肉牛は受け入れても乳牛は受け入れられないなどなど、結局は打つ手なしで、お手上げ状態です。

 養鶏場では自分たちで地面に穴を掘り、鶏を埋め始めたところもあります。

 そんな状況の中、

・・・ログインして読む
(残り:約4283文字/本文:約5834文字)