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日々途切れなく大量に伝えられる東日本大震災の報道で、手が止まり動かなくなったのは4歳の震災孤児を取り上げた新聞記事だった。

 岩手県宮古市の昆愛海(まなみ)ちゃん(4)は、家族とともに自宅の庭で津波にのみ込まれた。愛海ちゃんは刺し網にひっかかり浜辺にとどまったが、漁師だった父(38)と母(32)、妹(2)の行方はわからないままだ。

 集落の目の前に広がる青い海を、「黒の海に見える」と言った。身を寄せた親類宅では、両親への思いを覚え始めたひらがなでノートにつづる。

 「ぱぱへ。

  あわびとか うにとか たことか こんぶとか いろんのをとてね

  ままへ。

  いきてるといいね おげんきですか おりがみと あやとりと ほんよんでくれてありがと」

 

 16年前の阪神・淡路大震災で、やはり4歳だった男の子が震災孤児になったことがあった。

 しげちゃんは全壊した神戸市長田区の自宅で家具とテレビの間に横たわっていて、約30時間後にほとんど無傷で救出された。しかし、ケミカルシューズ会社に勤める父と身重だった母、小学校1年だった兄は圧死した。

 震災から1週間後、大阪市内で葬儀は営まれた。しかし、しげちゃんのショックを考えると、家族の死を祖父母は告げることができないでいた。

 しげちゃんは「おうちがなくなった。行くところあらへんねん」としか言わない。ただ、伯父は「何も言わんということは、事実を知っているんやと思う」。伯母は「元気に振る舞う姿を見るのがつろうて」と目頭を押さえた。祖父母らと一緒に避難所にいたしげちゃんは、大阪市内の親類宅に落ち着き先が決まるまで預けられた。

 当時73歳だった祖父は「引き取って育てる。でも、年が年やから、もしものときは後を頼むで」と伯父に語りかけた。

 しげちゃんは前年の4月から幼稚園の年少組に入園した。母親にまとわりついて離れようとしなかったのが、震災の1カ月ほど前から変化を見せるようになった。担任の先生に「僕が4月に5歳になったら、赤ちゃんが生まれるねん」とうれしそうに打ち明けていた。

 4歳は、 ・・・ログインして読む
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筆者

川本裕司

川本裕司(かわもと・ひろし) 朝日新聞社会部記者

朝日新聞社会部員。1959年生まれ。81年入社。学芸部、社会部などを経て、2006年から放送、通信、新聞などメディアを担当する編集委員などを経て、19年5月から大阪社会部。著書に『変容するNHK』『テレビが映し出した平成という時代』『ニューメディア「誤算」の構造』。

 

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