川本裕司
2011年05月05日
岩手県宮古市の昆愛海(まなみ)ちゃん(4)は、家族とともに自宅の庭で津波にのみ込まれた。愛海ちゃんは刺し網にひっかかり浜辺にとどまったが、漁師だった父(38)と母(32)、妹(2)の行方はわからないままだ。
集落の目の前に広がる青い海を、「黒の海に見える」と言った。身を寄せた親類宅では、両親への思いを覚え始めたひらがなでノートにつづる。
「ぱぱへ。
あわびとか うにとか たことか こんぶとか いろんのをとてね
ままへ。
いきてるといいね おげんきですか おりがみと あやとりと ほんよんでくれてありがと」
16年前の阪神・淡路大震災で、やはり4歳だった男の子が震災孤児になったことがあった。
しげちゃんは全壊した神戸市長田区の自宅で家具とテレビの間に横たわっていて、約30時間後にほとんど無傷で救出された。しかし、ケミカルシューズ会社に勤める父と身重だった母、小学校1年だった兄は圧死した。
震災から1週間後、大阪市内で葬儀は営まれた。しかし、しげちゃんのショックを考えると、家族の死を祖父母は告げることができないでいた。
しげちゃんは「おうちがなくなった。行くところあらへんねん」としか言わない。ただ、伯父は「何も言わんということは、事実を知っているんやと思う」。伯母は「元気に振る舞う姿を見るのがつろうて」と目頭を押さえた。祖父母らと一緒に避難所にいたしげちゃんは、大阪市内の親類宅に落ち着き先が決まるまで預けられた。
当時73歳だった祖父は「引き取って育てる。でも、年が年やから、もしものときは後を頼むで」と伯父に語りかけた。
しげちゃんは前年の4月から幼稚園の年少組に入園した。母親にまとわりついて離れようとしなかったのが、震災の1カ月ほど前から変化を見せるようになった。担任の先生に「僕が4月に5歳になったら、赤ちゃんが生まれるねん」とうれしそうに打ち明けていた。
4歳は、
有料会員の方はログインページに進み、デジタル版のIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞社の言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください