西田宗千佳
2011年05月11日
1995年の阪神淡路大震災と今回の違いが、携帯電話やインターネットの普及であるのは間違いない。ネットインフラと携帯電話が普及し、通信とコミュニケーションのあり方が変化したこと。それが15年間に起きたことだった。
だが、それらの普及で多くの人々の命が助かった、と言い切るのはあまりに傲慢だ。
被災直後にネットが使えたのは、都心を含めた、直接の被災地ではない場所だ。被災地は、携帯電話が利用できるようになるまでですら、ある程度の時間がかかった。またそもそも、ネット上にはデマも蔓延し、買い控えや復旧作業の遅延の原因ともなった。冷笑的な言い方をすれば、ネット「だけ」で命は救えない。
だがそれでも、ネットの普及は、災害の不安から人々を救う助けになっていた、と思える。
震災当日、東京近郊の帰宅難民を救ったのは、帰宅難民同士で交換される、リアルタイムの交通情報だった。暗い道を歩く人々にとって、それがどれだけの支えであったことか。
小さな町や交通が不便な地域には、報道関係者がなかなか入ってこないこともあり、当初、災害情報が外に伝わりにくい状況があった。そういう地域でも、通信回線が復旧しはじめるに従い、被災地内部から直接声が伝わり、復旧の一助となった。
一部地域では、地デジ対応を地域のケーブルテレビ網が担っており、その設備が被災した結果、テレビも電気もあるのにテレビ番組から情報を得られない、という事例もあったという。そこでは、テレビ・ラジオのネット経由による再配信が、大きな役割を果たしたという。
確かに、通信が人を助けられる範囲は、限られているのかもしれない。
だが、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください