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堀江貴文氏を強く支持する

宇野常寛

宇野常寛 宇野常寛(批評家)

「ホリエモンの時代は終わるのか」というのが今回の「お題」なわけだが、個人的にはこのコピー自体に堀江氏への不当に低い評価を感じざるを得ない。

 結論から述べよう、ホリエモンの時代は終わったか、という問いは愚問だ。なぜならば堀江氏の逮捕自体が、多くの指摘があるように国策捜査のもたらしたものであり、その背景には時代の変化を拒む日本社会の悪しき保守性以上のものは存在しないからだ。事実、ライブドア(当時)とほぼ同内容の「粉飾」と解釈し得る内容の 会計を行った企業の多くが、罰金や追徴課税をもってして処分とされているし、起訴を受けて有罪となっても執行猶予がつけられている。日興コーディアル証券や山一証券、あるいはカネボウなどがこれにあたる。しかし実刑判決まで受けたのはライブドアの堀江氏だけだ。状況証拠的に考えて、堀江氏に対するイデオロギー的な反 感とそれに基づいた「見せしめ」の意図が働いていたことは明らかだ。

 このようなアンフェアな処分が、法治国家で平然と行われていることにまず私は怒りと絶望を感じざるを得ない。そしてこのような不正義を看過するマスメディアにも。

 堀江氏はたしかに旧態依然とした大手マスコミにとっては既得権益を脅かす「敵」だったかもしれない。しかし、その「敵」が国策捜査でアンフェアな逮捕と実刑を受けたならば、「それはそれ、これはこれ」としてその不正義を追求するのがマスメディアの役割ではないだろうか。

 もちろん、堀江氏の社会的影響を考えれば厳しい処分は当然だという反論はあるだろう。しかし、こういった考えにこそ私は怒りと軽蔑を禁じ得ない。堀江貴文という人物が行動で示していたのは、日本は変わらなければならないというメッセージだ。「戦後」的な不自由だけど安定した、温かい社会はもう帰ってこない。それは 冷戦終結後のグローバル化する世界市場を概観すれば明らかだ。だとするのなら、日本はあらゆる側面で脱戦後化するしかない。行政、社会、産業、メディア……冷たいけれど自由な――しかしそんな条件を生かして個人が幸せになれるあたらしい社会を、日本なりのやり方で受け入れて構築していかなければならない。堀江氏の活 動は産業とメディアの側面から、そんな変革の必要性を訴え、実践したものだったと言える。

 堀江氏の活躍した時代は、あの小泉改革の時代でもあった。その具体的な成果については疑問視する声も多いが、 ・・・ログインして読む
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筆者

宇野常寛

宇野常寛(うの・つねひろ) 宇野常寛(批評家)

批評家。1978年生。批評誌〈PLANETS〉編集長。文学、サブカルチャー、コミュニケーション論など幅広く評論活動を行う。著書に『ゼロ年代の想像力』。共著に更科修一郎との時評対談集『サブカルチャー最終審判 批評のジェノサイス』。近著に『母性のディストピア(仮)』など。

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