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殻を破ってたくましさ身につけた内田

潮智史

潮智史 朝日新聞編集委員

「ベスト4まで来た。でも(頂点は)つかめそうでつかめない。だいぶ遠いけど、もうちょっと頑張ろうかな」

 欧州チャンピオンズリーグ(CL)の準決勝第2戦でマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)に敗れたとき、シャルケのDF内田篤人はこう話した。単独チームによる大会としては世界最高レベルの大会である。日本人選手が初めて4強入りを果たしたという感慨よりも、この言葉を聞いて思ったのは、たくましくなった彼自身の変化と同時にまだ選手として成長を続けるだろうという期待感だ。

 内田の活躍を見ていて痛感するのは、アスリートを取り巻く環境の大切さである。内田は3月に23歳になったばかり。若い選手にとってはなおさらなのだろう。日々のチーム練習を含めて、「毎日がワールドカップみたいで刺激になる」と話している。ドイツに比べてレベルの低いJリーグでは自分を追い込むことができなかった選手も、密度の濃い環境に放り込まれた途端、もがきながら成長していく。それはコンマ数秒の判断の速さの差であったり、わずか10センチのパスのずれであったり。内田のコメントは、それがいかに大きな差であることを体に染みこませながら成長していることを物語っている。

 もともと、冷静で頭の回転の速い一方で、繊細な神経の持ち主という印象が強い選手だった。南アフリカでの2010年ワールドカップ予選を勝ち上がり、本番への準備を重ねていく段階で、原因不明の吐き気に悩まされたことがあった。練習中に体調不良を訴えて、選手仲間に相談して見つけた解決策がガムをかんでのプレーだった。ガムをかむ習慣はいまも続いているが、繊細さゆえのことだったと思う。

 アジアを勝ち上がる予選でレギュラーの座をつかみながら、ワールドカップ本大会では先発から外れた。その過程でチームスタッフが話を聞いたとき、内田は試合に出たいというモチベーションを持てずに苦しんでいたという。それは燃え尽き症候群という見方もあったし、ワールドカップという大舞台ゆえの重圧だったという見方もあった。ワールドカップ後のドイツへの移籍という環境の急激な変化を選択した本人の中には、このままではいけないという切迫した思いもあったのだろうと想像している。そして、 ・・・ログインして読む
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筆者

潮智史

潮智史(うしお・さとし) 朝日新聞編集委員

朝日新聞編集委員。1964年生まれ。87年入社。宇都宮支局、運動部、社会部、ヨーロッパ総局(ロンドン駐在)などを経て現職。サッカーを中心にテニス、ゴルフ、体操などを取材。サッカーW杯は米国、フランス、日韓、ドイツ、南アフリカ、ブラジルと6大会続けて現地取材。五輪は00年シドニー、08年北京、12年ロンドンを担当。著書に『指揮官 岡田武史』『日本代表監督論』。

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