後藤正治
2011年05月20日
私が移植医療をテーマに取材を重ねていたのは1980年代から90年代である。脳死者が生まれる救急病院や移植外科医たちの研究室を訪ね、また心臓移植、肝臓移植のメッカであったスタンフォード大学やピッツバーグ大学の付属病院も訪問した。
当時、臓器移植は欧米ではすでに日常の治療手段となっていたが、日本では遠い彼方にあった。医療レベルが劣っていたからではない。「社会的合意」が形成されなかったからである。さまざまな理由があろう。脳死の認識に対する混迷、獏とした医療不信、和田心臓移植の後遺症……などである。
だれもが、ドナー(臓器提供者)、あるいはレシピエント(臓器受容者)の立場に成り得る。取材のなかで私がたどり着いたのは、一人ひとりの自由な、深い選択にゆだねる――というものだった。そのような考えから自身の選択を記したドナーカードは常に保持してきた。
移植医療について日本ほど苦労した国はないとも思う。長く脳死の「神学論争」が続き、告発事件もあった。ようやく脳死臨調の結論を得て臓器移植法が制定されたものの、「臓器移植禁止法」と揶揄されるほどに厳格な枷がはめられ、提供数は年平均一桁にとどまってきた。改正法を得て、日本社会もようやく一般的な移植治療時代の入口に立ったというべきであろうか。
臓器移植は一歩間違うと危険な側面をもっている。厳正なルールのもと、常に臨床例の医学的な検証を行ない、移植への社会的信頼を高めることが大切であるのはいうまでもない。ただし、それは、「社会的合意」とは別の次元の事柄ではないだろうか。
たとえば
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