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大漁旗に込めた負けじ魂~震災復興に向け釜石ラグビーは市民とともに

松瀬学 ノンフィクションライター

岩手県釜石市はラグビーと共に生きている。日本選手権七連覇の偉業を遂げた新日鉄釜石の流れをくむ『釜石シーウェイブス』は市民の誇りである。復興の希望の灯である。

 震災後、釜石の町を二度、歩いた。一度目は震災から10日後。もう見るも無残、釜石湾岸の中心街は荒涼たる瓦礫の山が広がっていた。多くの市民が家と家族を失い、途方に暮れていた。そんな中、釜石シーウェイブスの部員はボランティアとして復旧作業に励んでいた。外国人選手も一緒だった。

 二度目がGWの釜石シーウェイブスの再始動の時である。市民の理解を得、チーム運営の経済的裏付けの目処がたったとして、練習を約2カ月ぶりに再開した。津波の被害を免れたグラウンドで、ラグビー部員が楕円球を追う。サクラ満開。市民が駆け付け、土手で5本の大漁旗を打ち振っていた。

 大漁旗は釜石市民にとって特別である。釜石といえば、「鉄と魚とラグビー」の町。大漁の漁船が立てる旗を、市民はかつて、新日鉄釜石が日本一になった時にスタンドで振り回していた。生きているぞ、負けないぞ、やってくれたぞ、そういった歓喜の旗なのだ。

 5月15日には盛岡を訪ねた。釜石シーウェイブスの震災後初の試合が行われたからだった。相手が関東学院大。快勝だった。一つひとつにプレーに喜びと気迫が込められていた。試合後、スタンドでは十数本の大漁旗が強風に舞っていた。釜石ラグビーの黄金時代を知る者として、つい泣きたくなった。

 この日、釜石の避難所などからも約160人がバス5台、2時間をかけてやってきた。スタンドが2400人の観客で膨れた。おじいちゃんもおばあちゃんも子どもたちも声を枯らし、「カ~マイシ」とおらんだ。

 試合は復興イベントとして企画され、V7時代の「北の鉄人」や日本代表OBもはせ参じてきた。釜石シーウェイブスの高橋善幸ゼネラルマネジャーは言う。「選手たちがグラウンドに立った時には胸がジンときた。復興の第一歩になれたかな、と思うけれど、僕らも釜石のファンの方々から力をもらった。ひたむきな姿を見せ、勝って釜石を元気にしたい」

 そうなのだ。釜石シーウェイブスは単にラグビー愛好家によるクラブではない。日本一を目指す闘争集団である。

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筆者

松瀬学

松瀬学(まつせ・まなぶ) ノンフィクションライター

ノンフィクションライター。1960年、長崎県生まれ。早稲田大学ではラグビー部に所属。83年、早大卒業後、共同通信社入社。運動部記者としてプロ野球、大相撲、オリンピックなどを担当。02年に退社。人物モノ、五輪モノを得意とする。著書に『汚れた金メダル』(ミズノスポーツライター賞受賞)、『早稲田ラグビー再生プロジェクト』、『武骨なカッパ 藤本隆宏』。

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