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[1]復興には、ほど遠い

カミュ「ペスト」

外岡秀俊 ジャーナリスト

阪神大震災を1年以上取材し、3月まで朝日新聞編集委員だったジャーナリストの外岡秀俊氏が、東日本大震災の被災地を回っている。毎回、一つの文学作品や批評などを読み解きながら、被災地で考える新連載。

 

 3月で朝日新聞を退社し、郷里に戻った。

 東日本大震災から1週間後、8日間にわたって被災地を回り、最後のルポ原稿「これほどの無明を、見たことはなかった」(アエラ誌)を書いた。その締切が退社日だった。

 しばらくは札幌の郷里で、老いた両親とともに日々を過ごしたい、と考えていた。とある日、近くに住む姉から私の携帯電話に、こんな連絡があった。

 「今朝のテレビ、観た? ヘンミさんという石巻出身の作家が、震災について語っていたのよ。『ペスト』っていう小説に触れて、震災が起きた今のようなときこそ、誠実さが大事なんだって。感動したわ」

 興奮さめやらぬ様子の姉の言葉の断片を組み立ててみると、作家の辺見庸氏が、NHK教育テレビの早朝番組で震災について語り、アルベール・カミュの長編小説「ペスト」について触れた。そのなかで辺見氏は、登場人物のリウー医師が「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」と語る場面を引用したのだという。

 姉の言葉を聞いているうちに、無意識の層に埋め込まれたボタンが押され、心のうちの何かが起動した。被災地を見てしばらく、今起きていることが何かを自分で定義することができず、呆然と日々を過ごしてきた。その曇りガラスがかかったようなぼんやりした映像が、辺見氏の指摘するリウーの言葉をきっかけに解像度を高め、くっきりとした輪郭をとって浮かんでくる気がした。いまこの国で起きていることは「ペスト」の世界であり、そこでどう生きるかが、一人ひとりに問われているのだ、と。しかし、「誠実さ」とは何だろう。辺見氏は、その言葉にどんな思いを託そうとしたのだろう。

 その答えを見出せないまま、ともかくも被災地の現場に戻ろうと思った。辺見氏の特集番組を観る機会はなかったが、その問いかけに対し、自分なりの応答をしてみることが、「ペスト」の国で今を生きることの意味を探るきっかけになるのではないか。

 翌4月25日、北海道から南下し、東北に向かった。被災地に戻るのは、ちょうど1ヵ月後のことだ。

宮古で

 盛岡から宮古に向かう国道106号は、閉伊街道と呼ばれる。「がんばろう岩手」の貼紙や横断幕が目立つ盛岡駅から高速バスに乗り、築川の清流に沿って100キロの山道をひた走る。

 乗客は10人ほどで、通訳を連れた外国人ジャーナリストの姿も見える。途中、残雪が残る区界高原からは、早池峰の白い峰々が垣間みえた。だが峠を越えたあたりから、木々の枝先が新芽の薄緑を点し、寒々とした風景が華やいで見える。つい1ヵ月前、宮古には粉雪が舞い、海と陸の境を失って瓦礫の山が連なる長い海岸線は、厳しく冷たい冬景色に閉ざされていた。右側を流れる閉伊川の岸に咲きはじめた桜に、北国にもようやく訪れた春を感じ、復旧はどれほど進んだのだろうかと、淡い期待が浮かんできた。

 だが、期待は裏切られた。宮古駅前派出所で借りた自転車に乗り、市内を走ってみて、その変わりのなさに、愕然とした。道路こそ瓦礫は撤去されたが、防潮堤の内側には被災した車両が山積みになり、沿岸の工場は破壊されたまま放置され、ほとんど手つかずだ。

拡大岩手県宮古=4月26日、筆者撮影
 道路には、押し流されたヨットが横倒しになり、藻や浮き球がみっしり絡みついている。よく見ると、津波に押し流されなかった道路脇の建物の外壁にも、軒並み赤ペンキで、「解体可」「解体OK」の文字が大書してある。瓦礫を撤去するどころか、まだ、被災建物の解体作業すら始まっていない。

 もともと宿泊先や、事前の取材予約はしていなかった。インターネットで探しても、東北地方の宿はほとんど「満室」が表示される。被災者や復旧作業の人々を優先するのだから、当然だろう。現地の情報を、遠隔地で探そうにも、発信の側にゆとりはなく、発信されていても、時間差が生じる。現場の情報は、現地で取るしかない。

 これまでの取材経験から、そうは予想していた。しかしこの非常時に、組織を離れ、フリーの立場になって飛び込んだとき、自分を受け入れてもらえるだろうか。一抹の不安を覚えながら宮古市役所に入ると、広報担当の企画課副主幹、藤田浩司さん(50)が、親切に対応してくださった。

 人口約6万人の宮古市では、25日現在で死者406人、行方不明534人。家屋全半壊は4675棟に上る。被害の多かった田老地区では当初、1000人近い行方不明者がいると恐れられたが、いまは100人くらいと見られている。これは、最初のうちは役所が浸水して住民台帳を取り出せず、大まかな人口から、避難所にいた方と、町外で確認された方を除いた数字をあげていたためだ。

 しかし少なくなったとはいえ、被害は甚大だ。今も市内21ヵ所の避難所に、2000人近い方が暮らしている。仮設住宅はすでに948ヵ所着工したが、まだまだ足りない。

 「津波ですべてを失った方が多い。仮設住宅や当面の生活資金など、一日も早い支援がほしい。それと、どこにどんな建築規制をかけ、どのように復興していくのか、将来像が見えない。田老では10メートルを超す防潮堤を、津波があっさり乗り越えた。次に津波が来るのは5年後か、100年先か。そのために何メートルの防潮堤を作ればいいのか」

 藤田さんも自問しながら、その答えを見出せずにいる。

 閉伊川沿いに絶つ宮古市役所は、津波で2階床まで浸水し、1階の非常電源が使えなくなった。職員と市民約300人が6階に避難して、暗闇の中で一晩を過ごした。私が訪ねたときも、1階はまだ使えず、市役所の銀行ATMが壊れたまま。周辺の住宅は大波にさわられて傾いだそのときの姿のまま、時間は停止している。

 市内には、北海道警、静岡県警などの応援パトカーが目立つ。宮古大橋を渡って磯鶏地区を行くと、坂の麓の海浜に建つ宮古署が見えてきた。ここも津波で1階に浸水したが、署では4階会議室に対策本部を設け、警察無線で県警本部と連絡をとった。

 110番は盛岡の県警本部で集中管理しており、そこから無線で宮古署に情報が送られた。119番は使えなくなったが、署では市役所、市消防本部に連絡要員を送り、警察無線を使って、救急搬送や消火要請を伝えたのだという。

 「職員は1人亡くなり、1人が行方不明。10人以上が官舎などの住まいを失いました」と、小野寺勝善副署長がおっしゃる。

 他県警の応援は数百人規模だ。ご遺体の捜索から交通整理、パトロール、避難所警戒など、応援の範囲は幅広い。約100人の署員ではとてもカバーしきれない広域の被災地で、ともかくも平穏を維持してこられたのも、警察庁という全国組織の動員力、機動力の支えがあったからだろう。

 倉庫には、数十個の金庫が並んでいた。その点について尋ねると、小野寺副署長は、「今は100個ほどに減りましたが、多い時には700個。津波にさらわれ、遺失物扱いになったのです。持ち主を確認して、順次お返ししています」という。

 警察の支援態勢は万全として、自治体はどうだろう。その足で宮古大橋を引き返し、坂の上にある避難所の愛宕小に向かった。

 1ヵ月前に訪ねた別の小学校では、避難所を管理する学校の幹部が、唇をわなわな震わせ、「これから会議をするんです。取材には応じられない」と顔をそむけた。「取材ではありません。新聞と食糧をお届けにあがりました」といっても、後ろを向き、両手を台に突っ張って、背中で拒絶の姿勢を見せた。周りの教員がとりなそうとしても、無駄だった。実際、私は取材をするつもりはなかった。自らや家族も被災しながら、公務員というだけで、住民のお世話に追われて不眠不休の活動を続けてきた人が、もう体力気力の限界に近づいていることは、すぐに見てとれた。

 避難所を管理する人々はどうしていらっしゃるのだろう。愛宕小を預かる市職員の舘崎正さん(47)にお目にかかった。「ここはコミュニティがしっかりしているので、楽です。札幌から自治労が応援に来てくださって、日中は3人、夜は2人態勢になりました。前は2泊連泊でしたが、今は1日交代になりました」。愛宕小に避難している方は110人。朝晩、別の避難所に常駐している自衛隊から炊き出しが届き、昼は生協から弁当が届く。缶詰など食糧は足りているが、必要な日用品があれば、昼に物資を届けにくる宅急便の業者に「避難所連絡票」で注文を出し、翌日の便で届ける仕組みができている。

 「今はモノではなく、現金収入をどうするか、住宅に入れるかどうかが、不安になっています」

 食糧と水はようやく供給が安定し、かろうじて「日常」は戻ってきた。明日もまた、今日と同じ日がくることは期待できる。しかし職と住という暮らしの根幹はまだ見通しが立たず、すぐ一歩先の足元は、闇に包まれている。それが1ヵ月後の姿だった。

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筆者

外岡秀俊

外岡秀俊(そとおか・ひでとし) ジャーナリスト

1953年、札幌市生まれ。1977年、東京大学法学部卒業。同年、朝日新聞社に入社、社会部、外報部、ニューヨーク特派員、ヨーロッパ総局長、AERA編集部、東京本社編集局長(GE=ゼネラル・エディター)、編集委員などを経て、2011年3月に退社。著書に、『地震と社会――「阪神大震災」記』(上下、みすず書房)、『傍観者からの手紙――From London 2003-2005』『アジアへ――傍観者からの手紙2』(いずれも、みすず書房)、『情報のさばき方――新聞記者の実戦ヒント』(朝日新書)、『北帰行』(河出文庫)など。