倉沢鉄也
2011年06月01日
もちろん、昨年の野球賭博問題以来の経緯から、普通のように見える場所として開催するために投じられた関係者のエネルギーは壮絶なものであったし、二度と相撲を見ることのない大量の人たちが離れていったのだろう。両国国技館にも、無料開催だからやってきた来場者も多いだろう。そして観客も含めて「国技から八百長は根絶したか、大相撲は社会から退出すべきか、みそぎは済んだか」について結論の出ない議論を続ける人は今後も多いだろう。
それらたくさんの論点については、すでに筆者からWEBRONZAの複数の寄稿において一定の見解を示しており、ここでは個々の説明を省略する。すべてを要約すると、江戸時代の相撲会所以来のよしあしの伝統や様式美は維持され、その伝統の範囲で賭博罪でない八百長は一部で今後も続く中、それでも超人的な肉体を作り上げた力士が見せる勝負事はエンターテイメントとしてそれなりに魅力的であり、これを従来価格の半分以下なら場内観戦する人、有料放送やネット動画配信では十分な規模だけ視聴する人、がマーケティングターゲットとして残り、力士や親方はリッチな職業ではなくなるが、パトロンを上手に見つけ、民間の興行団体として柔軟に残っていくだろう。
それらの是非よりも、まずはニコニコ動画の無料リアルタイム配信において15日間でのべ160万人の視聴者数を獲得したこと、無料とはいえわざわざ平日昼間の両国国技館に足を運ぶ人が連日6,000~7,000人規模を数えたこと、を事実として重視したい。これだけブランドイメージの失墜した大相撲を見たい人、見た人は、いまだ日本のプロスポーツの何番目かの規模で存在しているのだから、それに応じた課金・広告のビジネスは可能であること、そこからポジティブに改善策や将来を考える余地は十分にあること、から議論をはじめることが、日本経済および社会にとって、より生産的な取り組み方であろう。
放映については、もう大相撲は有料放送(WOWOWやJ-Sports等)でお金を払って見る時代であろう。大相撲は、ネット配信、ダイジェスト番組も含めて、多チャンネルコンテンツの1つとして妥当な社会的地位にあると思う。この点、NHKは放映こそしなかったが、元職を含めてアナウンサーを協会公式映像配信の実況者として派遣し、保管資料として放映されない実況中継をし、場内での優勝インタビューまで行っている。影の協力者であったことはもっと社会にアピールしてよかったが、
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