大久保真紀
2011年06月18日
バットストーンさんは、サンフランシスコ大学でビジネスについて教鞭をとる教授である一方で、人身売買に反対するキャンペーン「Not For Sale(売り物ではありません)」を立ち上げ、活動を続けている人です。
当日夜には講演会が予定されていましたが、交通機関が止まり、参加者は10人程度。私もうかがえず、翌日、彼は必死の思いで成田空港にたどりつき、次の訪問先の韓国に向かいました。それから約3カ月。6月初めに再来日し、私は再度、彼に会うために、いま取材を続けている岩手から東京に戻ってきて、彼と再会しました。
バットストーンさんの人身売買問題に関する活動は、ひとつの新聞記事から、始まりました。2001年、サンフランシスコのアパートの一室でインド人少女が一酸化炭素中毒になる事故がありました。それをきっかけに、数百人のインド人の子どもたちが“密輸”され、奴隷状態で働かされていたことが発覚したのです。
新聞記事によると、その舞台は、バットストーンさんの自宅近くにあるお気に入りのインド料理店でした。何回も訪れ、カレーに舌鼓をうっていた店です。バッドストーンさんは店に小さな子どもがいるのには気づいていましたが、親族と思っていました。入れ替わりの激しい大家族、その程度に思っていたそうです。
それが、実は、現代の「人身売買」の犠牲者だったのです。「それほどの大きな犯罪が起きていたのに知らなかった。見えない、ということに大きな衝撃を受けた」とバットストーンさんは言います。
もともとはビジネス系の雑誌に記事を書くジャーナリストです。血が騒ぎました。自ら調べると、米国内で10万人以上の人が強制的な労働を課せられていることがわかりました。
2005年、バットストーンさんは勤めていた投資銀行を辞め、1年かけて世界十数カ国に人身売買の実態を取材に出かけました。400万円の自腹を切っての旅です。インド、タイ、カンボジア、メキシコ、ペルー、エルサルバドル、ウガンダ、南アフリカ、ルーマニア、モルドヴァ、イタリア、英国、オランダ、オーストラリア……。8歳から14歳の4人の子どもをひとりずつ、それぞれの旅に連れて行きました。「会社を辞め、大学を休むという決断なぜしたのか。事の重大さを理解してもらうため」でした。
カンボジアでは覆面捜査官と売春宿に客として潜入しますが、11~12歳の女の子約20人を前にして胸が張り裂けそうでした。
当初は本を書くだけのつもりだったのが、そうした現実に触れ、何かをしなくてはとの思いにも駆られたそうです。タイの活動家に保護した子どもたちが暮らす家を建ててほしいと頼まれたことに背中を押され、NFSキャンペーンの活動を始めました。2007年2月のことです。
昨年暮れに日本で出版された「告発・現代の人身売買」(朝日新聞出版)の原作「Not for Sale」もこのとき同時に米国で出版され、以後、10万部売れたそうです。社会問題を扱う部門ではベストセラーといえるほど米国では読まれているとのことです。
NFSキャンペーンはいまでは年間4億円の事業規模で、さまざまなことに取り組んでいます。「現代奴隷地図」をウェブ上に公開したり、世界各地で人身売買問題について学び、取り組むためのアカデミーを開いたり、実際にタイ、カンボジア、ペルー、ルーマニア、ウガンダ、米国など8カ国でプロジェクトを実施しています。カンボジアでは縫製工場で、正当な方法で生産された原料から、正当な賃金を保証して製品を作る事業も始めているそうです。
「あなたが毎日着ている服は、だれがどこで作ったものか知っていますか」「毎日飲んでいるコーヒーは?」「それに入れる砂糖は?」
バットストーンさんはそう問いかけます。
NFSは、企業が作る製品の製造過程で、人身売買や強制労働にどれほど関係しているのかを調べ、その結果で、その企業をランク付けすることも始めています。買い物をする前にチェックして、より賢い消費者としての選択ができるようにするものです。強制労働のもとで作られた製品を買うことは、強制労働をすすめる会社のメリットになるものです。「消費者としての消費行動が、世界の人たちの自由を進めていく行動であることを私は望む。企業の社会的な責任をもっと考えていかなくてはならない」とバットストーンさんは言います。
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