赤木智弘(フリーライター)
2011年06月15日
■赤木智弘(あかぎ・ともひろ)1975年8月生まれ。栃木県出身。数々のアルバイト勤務を経て、『論座』2007年1月号で「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」を発表し、反響を呼んだ。非正規労働者や就職氷河期世代の実体験にもとづく社会への提言を続けている。著書に『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)、『「当たり前」をひっぱたく――過ちを見過ごさないために』(河出書房新社)がある。ライブドア「眼光紙背」を連載中。個人ブログは「深夜のシマネコBLOG」、twitterは@T akagi
================================================================
「支援の輪」への、いささかの疑問
今回の震災に対しては、公的な支援はもちろんとして、企業などからも様々な被災者支援が行われた。
中には、被災者に向けて、正社員の枠を用意して、これを被災者支援とする企業などもあるようだ。
震災で被害を受けた人たちが大変なことは、今更言葉を重ねる必要もないほど明白である。だからこそ、官民ともに、被災者に向けて支援をするのは当たり前であり、そうした支援は絶対的に良いこととして、世間に受け入れられている。
穿った見方をすれば、企業にとっては、それが報じられる事自体が宣伝になるという目論見もあるのだろうが、被災で仕事を失った人々に対して、生活の糧となる仕事を提供したいという善意や、そうしなければ企業活動を支える社会そのものが危機に陥ってしまうという切迫感は、決して嘘ではないだろう。
だが私は、そうした支援に対する良心を疑わない一方で、そうした「支援の輪」がもたらす結果に対して、いささかの疑問を感じずにはいられない。
しかし、被害を受けたのは直接的な被災者だけではない。震災は被災地に限らず、多くの不安定な立場の労働者を直撃し、彼らもまた間接的な被害を受けている。
震災の影響で仕事がないと言われてシフトを減らされたり、賃金補償のない自宅待機を強要されたり、辞めさせられたりする非正規労働者も決して少なくないと聞いている。
しかし、今後の仕事に対する見通しがつかないという意味では、被災者も非正規労働者も同等であるはずだ。
自然災害は本人の責任ではないが、市場の選別によって振り分けられた人は自己責任だという考え方もあるだろう。しかし、個人が自然に太刀打ちできないように、市場もまた個人で太刀打ちできるものではない。その片方にのみ責任があるとする考え方には無理がある。
また例えば、去年の就職戦線はこれまで以上に厳しい「超買い手市場」であったし、来年もそうであろう。彼らは震災によって職を得られなくなったわけではないが、仕事に困っているという状況は同じである。日本の非正規労働者は震災前からずっと不安定な境遇に置かれており、景気がよかった時代にであっても安定した仕事に就けなかった人は決して少なくない。
有料会員の方はログインページに進み、デジタル版のIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞社の言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください