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全仏テニス・李娜の優勝がもたらす世界観

倉沢鉄也

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

去る6月4日、テニスの4大大会(全豪、全仏、全英、全米)の1つ、パリで行われた全仏オープンの女子シングルスで中国の李娜(リー・ナ)選手が優勝を果たした。大会後の自己最高ランキング世界4位は、1996年の伊達公子選手(当時)と並んだ。

 プロテニス界では4大大会タイトルは五輪金メダルよりも圧倒的に価値の高い栄誉である。アジア系民族による優勝は過去もあったがアジア国籍の選手は男女通じて初めてとなった。またプロテニスの世界ではシングルスの成績がキャリアのすべてであり、ご本人には申し訳ないが杉山愛選手(2003年全英ほか3タイトル)などのダブルスタイトルとは重みがまったく違う。伊達もなしえなかった、李娜の4大大会シングルス優勝は、テニスの歴史に残る偉業だ。

 日本での報道を含む表面的な報道としては、「アジア初」「中国初」などの文脈で語られていた。中国ではもちろん国の栄誉として大々的に報じられたが、李娜自身がすでに中国のスポーツ育成システムからは完全に外れてしまったグローバルプレイヤーであることは、おそらく多くの中国人が知った上で報道を受け取っていることだろう。インターネット上の論評は言うに及ばず、政府の影響が強い「北京青年報」すらも「中国スポーツ界に衝撃を与えた李娜のキャラクター」「挙国体制が与える保護と平穏に満足せず、リスクや圧力を甘んじて受けてきた」と論評するともに、「中国スポーツ界の金メダル至上主義が、世界の主流であるプロスポーツに与える影響力は小さい」(6月5日付)との批判を展開している。

 現在29歳の李娜は、若い頃、ナショナルチーム主導のツアースケジュール(たとえば、ランキングの低いダブルスペアとの帯同)が世界標準で運営されるランキングシステムと適合せず、コンディションもベストに整えられないまま成績が低迷した挙句、ナショナルチーム内恋愛(現在の夫。コーチも務める)を制限する中国テニス協会との不和も生み、2002年~2004年で実質2年間ツアーから離脱してしまった経緯を持つ。もちろん、共産主義国であるがゆえに収入(賞金、契約金)の国家当局による管理もトラブルの原因となってきた。

 北京五輪(2008年)の強化のために国家当局が好成績を見込める李娜に対して、ナショナルチームにある程度の柔軟性も持たせて譲歩する形で再び強化選手に指定した。2006年以降、安定して世界20位前後を維持し、北京五輪はシングルス4位(当時の実力からすれば時刻開催なりの十分な健闘。ただし別の選手が競争の少ないダブルスで金メダル)、昨年から安定してトップ10に入るようになった。

 伊達の全盛期と違い、女子テニスのトップ争いは現在本命不在の混戦状態にある。李娜は、

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