島尾敏雄「出発は遂に訪れず」
2011年07月01日
日清日露から9・11同時多発テロ、さらにはアフガン、イラク戦争までにわたり、純文学やエンターテインメント作品などを網羅した選集だという。
その広告を見て感慨を覚えたのは、私自身、理由がわからないままここ数年、「戦争文学」に引き寄せられ、集中的に読み耽ることが続いたからだった。
以前、古書サイトで取り寄せた全集は二つあった。一つは集英社が1964年から刊行を始めた「昭和戦争文学全集」(全15巻、別巻1)であり、もう一つは、数年遅れて毎日新聞社が出した「戦争文学全集」(全6巻、別巻1)である。
前者はタイトル通り、「戦火満州に挙がる」の第1巻から「死者の声」の最終巻まで、昭和の「あの戦争」を時間軸に沿ってテーマ別に編集した選集だ。後者は日露戦争からベトナム戦争を扱う開高健の「輝ける闇」まで、より長く射程をとって、「戦争」の実相をさまざまな角度からあぶりだそうとした。
前者が、まだ戦争の余燼がさめやらない時期に編まれた同時代の自画像とするなら、後者は、激化するベトナム戦争の曳光弾が照らしだす闇を見据え、「あの戦争」を現在にひきつけて読み直そうとする試みだったろう。
ふしぎなことに欧米の書店を訪ねて、この種の「戦争文学」の棚を見たことがない。もちろん、米英の大型書店には決まって「戦争」の大きな棚があり、浩瀚(こうかん)な書物で埋まっている。けれど、それらはいずれも、「戦史」であったり「戦記」であったり「秘話」であったり、つまりはドキュメンタリーで占められ、「戦争文学」は「文学」や「伝記」の棚の周縁に、ささやかな位置を見いだしているに過ぎない。
これは、どうしてなのだろう。毎日新聞社の「戦争文学全集」第3巻に、政治思想史家の橋川文三が寄せた解説を読んで、その疑問が氷解した。ちなみにこの巻には、大岡昇平の「俘虜記」や梅崎春生の「桜島」、原民喜の「夏の花」など、第二次大戦の体験を踏まえて書かれた戦争文学の古典を集中的に収めている。橋川は、一市民としての被災から将兵としての酸鼻な戦闘体験まで、収録した文章がきわめて多様であることに触れたのち、こう書いている。
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